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【小説】チープなドラマ感覚で【みたいな】
- 1 :名無し娘。:2006/09/17(日) 19:57
- ハロプロ全般、上から下まで。
予定は未定で確定ではないけれど、書いていこうと思います。
『ヒロインx男』の形が多くなると思うので、好まない方はスルーでお願いします。
下の方でコソコソいきます。
レスしてもらえるなら喜んで受けます。
類似したものを書いてくださる方はどんどん書いてください。
- 228 :名無し娘。:2006/10/10(火) 20:57
-
その時でした。
先程までよりも大きな音が聞こえた、そう二人が気がついた瞬間、暗闇から影が飛びかかってきたのです。
悲鳴も上げられず倒れ込んだ二人。
しばらくして、混乱から立ち直った梨沙子がそっと目を開くと、そこには孝之のシャツの胸元しか映りませんでした。
そして梨沙子は気がつきました。
庭に倒れたはずの自分が、なんの衝撃も受けなかったことに。
理路整然と導かれる結論ではありませんでした。
けれどなんとなく、梨沙子は理解したのです。
「あっ!」
そう思い至った時、慌てて這いずるように梨沙子の下から身を起こした孝之。
- 229 :名無し娘。:2006/10/10(火) 20:57
-
遅れて起きあがった梨沙子の眼前に、差し出されたのはまだ小さな茶虎柄の猫。
「あ…」
「これだったみたい」
「……かわいーね」
「え? うん、そーだね」
子猫を抱きかかえ笑う孝之の腕が、泥に汚れてうっすら血が滲んでいるのを見つけた梨沙子。
難しいことは解りませんでしたが、それでも梨沙子はなんとなく思ったのです。
“守ってもらった”んだって。
それ以来、二人の関係に小さな変化が生じます。
その変化は、子猫が成長するのと同じように、二人にとって大きなものになっていくのにさほどの時間はかかりませんでした。
- 230 :名無し娘。:2006/10/10(火) 21:03
-
こんな感じで……うぎゃ!?
最初以外名前欄変えんの忘れたorz
次から気をつけよう。
で、こんな感じで結構続きますけどいいかな?
『夏だね』の倍くらい。
キライじゃない人だけでもお付き合いくださいませ。
- 231 :名無し娘。:2006/10/10(火) 21:21
- >>222
他の更新って他にも小説を書いてるの?
- 232 :名無し娘。:2006/10/10(火) 21:28
- 早っ!?
>>231
小説っていうか……狩狩で書いてますよ。
そのイメージだとエロはどうかなあと思ったので、名無しで立てたんだけど。
読んでくれる人にしてみれば気にするようなことでもないのかな。
- 233 :『小さな恋の……』:2006/10/10(火) 23:03
-
2
翌年、梨沙子は二年生になり、孝之は中学生になりました。
あの日を境に一緒に通うようになった学校でしたが、同じ学校に通うわけではなくなり、通学路を共に歩く時間はごく短いものになってしまいました。
半年以上の間一緒に歩いた通学路は、その道程の半ばで梨沙子の小学校と、孝之の中学校を隔ててしまいます。
それでも孝之は、時間の許す限り梨沙子を小学校まで送り届け、その後走って自分の中学校へ通いました。
幼い梨沙子は、孝之が小学校まで来てくれることを不思議だと思ってはいましたが、そうしてくれることが嬉しかったのです。
だから下校時には、どうやっても先に授業の終わってしまう自分を寂しく思い、なにかにつけて時間を引き延ばします。
出来るだけ長く学校に居残り、教師に帰るように言われると、ゆっくりと中学校へ分岐するT字路までの道程を歩くのでした。
- 234 :『小さな恋の……』:2006/10/10(火) 23:04
-
母親に持たされている携帯電話で時間を確認した梨沙子は、T字路の見えるところまで来て立ち止まりました。
意味もなくメールのチェックをしたり、登録されている数少ないアドレスを眺めたりします。
梨沙子は知っていたのです。
孝之がどれくらいの時間になるとこの道を通るのかを。
勿論、最初はそんなこと知りませんでした。
ほんのちょっとした偶然。
それは梨沙子が学校に、忘れ物を取りに戻った日のことでした。
- 235 :『小さな恋の……』:2006/10/10(火) 23:04
-
傾きかけている日射しの中、小学校へ戻り、体操着の収められた巾着袋を取って、再び家路についたその途中。
沈んでいく太陽に急かされるように足早になる帰り道でした。
その途中、見通しのいい通りの遥か先に見える曲がり角の陰から、見知った横顔が姿を現したのです。
遠目ながらも間違いないと確信を持てた梨沙子は、駆け足でその姿を追いかけました。
段々と荒くなってくる呼吸の中で、少しずつ近づく後ろ姿に励まされて走る梨沙子。
その距離が十数メートルにまで近づいた時、前を歩く孝之が不意に振り返りました。
「あれ? りさちゃん」
孝之の声が聞こえました。
梨沙子は目一杯まで頑張っていた脚を徐々に緩め、最後には歩きになって、やっと孝之に追いつけました。
- 236 :『小さな恋の……』:2006/10/10(火) 23:04
-
「はあっ、はあっ……ケホッ」
「そんなに急いで…どうしたの? 大丈夫?」
かがみ込むようにして様子を窺う孝之に、大丈夫、と言おうとした梨沙子でしたが、乱れた呼吸が邪魔をします。
額にうっすらと汗を浮かべながら、一つ大きく深呼吸をして、言葉の代わりにニッコリと笑ってみせたのでした。
その笑顔をみた孝之も、同じように笑ってみせて、それに梨沙子は「えへへ」と声に出して返しました。
「落ちついた? もう平気?」
「うん。もうだいじょーぶ」
「せっかくだから一緒にかえろうか」
いざ追いつきはしたけれど、自分から言い出せずにいた梨沙子はとても嬉しく思ったのです。
「うん♪」
「よしっ、いこう」
- 237 :『小さな恋の……』:2006/10/10(火) 23:05
-
あまり離れないように、数歩後ろを歩く梨沙子を気遣いながら歩く孝之。
その少し後ろから見える孝之の顔を見ながら、梨沙子は笑顔でとてとてと歩くのでした。
そして、それ以来、梨沙子はなるべくこの時間にあわせて帰ってくるようになったのです。
最初の一週間ほどは、なかなか時間があわず、すれ違っては肩を落として帰宅していました。
けれどいつからか、おおまかな時間が解ってくるようになったのです。
早い時は曲がり角で、すぐ目の前を。
遅い時でも十分〜二十分程で、あの曲がり角から孝之が帰ってくると解りました。
ですが、梨沙子は一つだけ、知らなかった……気がつかなかったことがあります。
それは、最初の一日。
その日以降、孝之も同じように“時間”を探していたのだということを。
自分よりも早く帰るなら、それは構わない……というか、仕方がないと思っていた孝之でした。
けれど、自分と同じくらいになってしまうなら、少し日の傾きかけた帰り道を行くのなら。
ならば自分が送って行かなければと、そう孝之が考えたことを、梨沙子は知りませんでした。
二人は、お互いの幼い考え、淡い気持ちも気がつかずに、今日も二人で数歩分の距離を保って歩くのでした。
- 238 :名無し娘。:2006/10/10(火) 23:07
-
ちょっと時間が空いたんでもう一話分。
一日二話なら二週間くらいで終わるなあ。
毎日くればだけど。
ではでは。
- 239 :『小さな恋の……』:2006/10/11(水) 20:58
-
3
ある日のことでした。
いつもの場所、いつもの時間。
携帯で時間を確認した梨沙子は困ったように周囲を見廻していました。
しばらくそうしていた梨沙子が再び携帯に目を遣って……そして「うん」と小さく、自分を励ますように呟いて歩き出しました。
件のT字路を、家の方向でも、小学校の方向でもない方へと向かって。
「わぁ……」
きょろきょろと辺りを見ながら、しばらく歩いた梨沙子が小さな感嘆の声をあげました。
初めて歩く道、新鮮な光景の中を一人で歩くことの昂揚感。
そんなワクワクしつつもドキドキした気持ちで歩いていた梨沙子は、分岐路で聞いた道を中学校へ向かって歩いている……つもりでした。
ですが、ふわふわとした昂揚感のままに歩いてきた梨沙子は、自分が目印を見失ったことに気がついていませんでした。
- 240 :『小さな恋の……』:2006/10/11(水) 20:58
-
「……?」
そろそろ中学校が見えてもいい頃だと思っていたのに、いつの間にか目の前には公園が見えていたのです。
それは、青々とした木々に囲まれた、そう大きくはない公園でした。
けれど、小さな梨沙子の目には、初めてくるその公園はとても大きく素敵な場所だと映ったのです。
公園の入り口になっている林道めいた小道から、その素敵な世界へ目を遣った梨沙子があるものに気がつきました。
「あーっ、わんちゃん!」
それは首輪をしていない小さな白毛の犬でした。
きっとこの公園に居着いているらしいその子犬は、野良犬にしては人懐こい様子で、近寄る梨沙子から逃げようともしません。
「おいで? わんちゃん」
しゃがみ込んだ梨沙子の側に寄ってきた子犬。
その子犬に、少しおっかなびっくり手を伸ばした梨沙子。
伸ばした手をペロペロとなめる子犬を、梨沙子は空いてる方の手で撫でていました。
- 241 :『小さな恋の……』:2006/10/11(水) 20:58
-
「かぁいぃね〜」
両手を脇に添えるように子犬を抱き上げると、ジタバタと暴れながら、その小さな身体からは思いも寄らないほどの大きな声で泣き出しました。
ビックリした梨沙子は、相応に大きな悲鳴を上げて子犬を解放しました。
「うあぁ、ごめんね、わんちゃん」
その時、梨沙子から数メートル離れた辺りで、木々の下生えがガサガサと音を立てました。
子犬がそちらに向かって走っていくのと同時に、その数倍……それこそ梨沙子ほどもある白い犬が姿を現しました。
- 242 :『小さな恋の……』:2006/10/11(水) 20:59
-
「……ぁ、うぅ」
怖くなった梨沙子はゆっくり立ち上がると、そのままの姿勢で後退りました。
少し離れた位置にいる犬も、離れずに距離を詰めてきます。
その口からは大きな牙がのぞき、低い唸り声をたてながら少しずつ近づいてくるのでした。
怖さに耐えきれなくなった梨沙子は大きな悲鳴を上げ、振り向いて走り出しました。
後ろでは「ハァハァ」と犬の荒い息と砂を蹴る足音が聞こえます。
梨沙子は公園の出口へ、後ろも振り向かずに必死で走りました。
後ろの音はどんどんと近づいてきて、もうものの数歩分で掴まえられてしまうほどです。
梨沙子は『あぁ、自分は食べられちゃうんだ』と思い、走りながらも、つい眼を閉じてしまいました。
- 243 :『小さな恋の……』:2006/10/11(水) 21:00
-
その瞬間、梨沙子の小さな身体に衝撃が加わりました。
梨沙子は自分の脚がふわりと浮くのを感じ、転んじゃうんだと思ったのです。
ところが、ふわりと浮いた梨沙子の身体は、腰の辺りを軸にくるっと廻ったと思うと、その勢いを殺すようにぽんと地に降り立ちました。
それでも恐怖からぎゅっと閉じていた眼を開けられずにいた梨沙子の肩に、ぽんと置かれた温かい感触。
「りさちゃん」
掛けられた声にふっと目を開けると、梨沙子の頭上に孝之の顔があったのです。
何がなんだか解らないでいる梨沙子の腰を抱き上げるようにして立たせる孝之。
「もういっちゃったから、大丈夫だよ」
「たかちゃん……?」
スカートに付いた砂をぽんぽんと払い落としながら、笑顔でそう教えた孝之の顔を、不思議そうに見つめる梨沙子。
辺りを見ると、いつの間にかさっきの犬は何処かへ行ってしまっているようでした。
- 244 :『小さな恋の……』:2006/10/11(水) 21:00
-
「どこもケガなんかしてない?」
「……うん」
「どうしてこんなとこに……。一人できちゃ危ないよ?」
「あのね、たかちゃんが……」
そこまで言いかけて梨沙子が気がつきました。
孝之の左手に赤い絵の具のようなものが流れていることに。
「たかちゃん。……ち?」
「……ん? あっ…大丈夫だよ、そんなに深く噛まれたんじゃないから」
「でも、たかちゃんっ」
「ん、……こうしてれば平気だから。帰ろう? お母さん達心配するよ」
ポケットから引っぱり出したハンカチをグルグルと巻き付けて、少ししかめた表情を笑顔に戻して孝之が言います。
- 245 :『小さな恋の……』:2006/10/11(水) 21:01
-
ぽろぽろと涙を零している梨沙子の頭を、孝之は怪我していない方の手でそっと撫でました。
そして膝をついて梨沙子と目線を合わせて、頭を撫でながらゆっくりと孝之が話し出しました。
「大丈夫だから。ね? 泣かないで。……このことは誰にもいっちゃダメだよ?」
「だって…、だってぇ……」
「お願いだから。誰にもいわないって……約束」
差し出された小指を、くしゃくしゃに泣きながらもジッと見つめる梨沙子。
目の前の小指がふにふにと動き、「ね?」と念を押すように孝之が言うと、梨沙子はおずおずと自分の小指を絡めました。
「よしっ、指切りげんまん嘘ついたら針千本のーます。……二人だけの約束だよ?」
「……ぅん」
泣きながら約束した梨沙子にそっと手を差し出す孝之が「帰ろっか」と優しく言います。
まだぼろぼろと涙を流している梨沙子はどうしたらいいのか解らないようにその手を見ていました。
孝之は、差し出したその手で、ぽんぽんと梨沙子の頭を優しく叩き、そして梨沙子の手を握って、再び促しました。
「さ、帰ろう」
「……ん…ぅん」
- 246 :『小さな恋の……』:2006/10/11(水) 21:01
-
家の前までついた二人は、玄関先で立ち話をしていた母親達に見咎められ、怪我について問い質されました。
孝之は「これは自分のせいだ」と言い、梨沙子は心の中で約束、約束と唱えながら、涙を滲ませた目でじっとそれを見ていました。
母親に連れられて近所の病院へ向かう孝之の背中をジッと見つめている梨沙子に、梨沙子の母親が問い掛けました。
「りーちゃん? 孝之くんの言ったことは本当なのかしら?」
「………」
梨沙子は意地になったように小さくなる背を見つめながら口を引き結んでいました。
そうしていないと声をあげて泣き出してしまいそうだったから。
「そっか。解りました。……孝之くんとずっと仲良くしてもらうのよ?」
梨沙子の母親は、そう言いながらぽんぽんと梨沙子の背を叩き、家へ連れ入りました。
一週間が過ぎて、包帯の解かれた孝之の左手に、小さく残った傷跡。
梨沙子はその傷跡と、そして二人の約束を、ずっと忘れないでいるんだと心に決めたのです。
- 247 :名無し娘。:2006/10/11(水) 21:02
-
ちょびちょび進めていこ。
また明日……か明後日に。
ではでは。
- 248 :『小さな恋の……』:2006/10/13(金) 19:54
-
4
それは日射しも暖かなとある日曜のことでした。
梨沙子が孝之の家のチャイムを独特のリズムで鳴らし、来訪者が誰だか解っている孝之が玄関を開ける。
すでにこれは、二人の……というよりも孝之の家では誰もが馴染んでしまったこと。
でしたが、いつものことであるはずの孝之は少し驚いた顔で、出迎えられた梨沙子は満面の笑みで、孝之の顔を見て言いました。
「こーえんいこっ」
「こーえん? あぁ、うん、いいけど」
「たかちゃんは持ってない?」
「あるよ。僕も?」
「うん。おしえて♪」
そう楽しそうに話す梨沙子は、Tシャツの上に半袖の上着を羽織り、下はショートパンツ姿に……ローラースケート。
- 249 :『小さな恋の……』:2006/10/13(金) 19:55
-
孝之は困ったように梨沙子の姿を見やり、そしてポツリと呟きました。
「それ、履いて行くの?」
「うん♪」
「……そっか。じゃあちょっと待っててね」
「うん♪」
とても楽しそうに話す梨沙子に、なにも言えなくなった孝之は、仕方なさそうにそう言い残して家の中に姿を消しました。
梨沙子がしばらく玄関の前で待っていると、ガチャリと玄関が開き、孝之が戻ってきました。
その手には、使い込まれたローラースケートと幾つかのプロテクターを持ち、先程までのTシャツ姿の上にGジャンを羽織って。
「これだけ付けて行こうね」
「りーの?」
「そう、念のためね」
目の前のそれを見て、小首を傾げて自分を指差しながら言う梨沙子。
そんな梨沙子に、真面目な表情を作った孝之が言います。
- 250 :『小さな恋の……』:2006/10/13(金) 19:55
-
「う〜……」
「ヤならやめる?」
少し不満げに眉根を寄せて、差し出されたプロテクターを見つめました。
けれど孝之にそう言われ、どうするかを量りにかけたように考え、やがてポツリと言いました。
「…つける」
「うん。じゃあ手だして?」
すっと差し出された細い腕の、肘の部分へあてがわれるプロテクター。
そしてかがみ込んだ孝之が膝へ付けるプロテクター。
それをされるがままに見ながら、梨沙子はこう思い、感じました。
こんなの付けなくてもいいのに、と少しだけ不満に。
でも、孝之に心配されて、世話を焼かれるのはほわほわとする。
そんなくすぐったいような不思議な気持ちで、どうしてか自然と笑顔が浮かんできました。
- 251 :『小さな恋の……』:2006/10/13(金) 19:55
-
「はい。出来たよ。……? りさちゃん?」
「ふぁぃ!? あ、うん」
「なに?」
「なんでもなーいよぉ」
「ふーん……」
孝之は、そんな梨沙子の様子を見上げて、訝しく思いながらも無理矢理に納得した風で呟きました。
そして屈んだままの姿勢で、自分のローラースケートを履いていた孝之が、なにかに気がついたように口を開きました。
「これ……おろしたて?」
「おろ…? ……うん、きれーでしょ」
「もしかして、初めて?」
「うん」
当たり前だよと言わんがばかりの梨沙子の口調に、何かを考えるように立ち上がる孝之。
履き替えた自分の靴を玄関に放り込み、ドアを閉めると、その様子を見つめている梨沙子を尻目に、カチャカチャと数歩移動して道路へ出ました。
- 252 :『小さな恋の……』:2006/10/13(金) 19:56
-
「ここまで来れる?」
もと来た方を振り返り、そう言いながら手を差し伸べる孝之。
梨沙子は少し考えて、「う〜」と困惑したような声をもらして歩き出しました。
「うわ、わわっ……やあっ」
奇妙な声をあげながら、それはそれはぎこちない、おっかなびっくりバランスを取りながらの動作。
孝之は笑いを堪えながらも、梨沙子の方へ近づいて、パタパタともがくように動くその手を取りました。
- 253 :『小さな恋の……』:2006/10/13(金) 19:56
-
「っ……うぁ、ふぅ」
「あんまり大丈夫じゃないね」
「だ、だからおしえてっていったのに……」
孝之に支えられながらも、拗ねた風にアヒル口の梨沙子。
「とりあえず、この辺じゃあ危ないから公園まで行こっか。動かないでね」
「うん。えっ? あっ、わわわわっ」
返事を返しながらも、『動かないで』という言葉の意味が解らなかった梨沙子が、おかしく思った時でした。
少し荒れた地面を跳ねるように転がり出すスケート。
孝之の手に引かれ自分の意志とは別のところで移動を始める梨沙子は、ただ小さな悲鳴を上げながら一所懸命にバランスを取ります。
次第にそんな状況にも慣れ、後ろ手に梨沙子の手を取り、時折振り返る孝之を見つめていて。
手から伝わる温かさと、流れる空気を感じて、「えへへ」と小さく笑みを浮かべるのでした。
- 254 :『小さな恋の……』:2006/10/13(金) 19:57
-
5
孝之に手を引かれ、梨沙子はニコニコとその背を見ていました。
なにがこんなに嬉しくさせるのか、自分でも解ってなどいないままで公園への道程を楽しんでいたのです。
「はい。到着っ」
「え? うわっ、あ゙ぁっ!?」
前を行く孝之が、不意に止まってそう言いました。
が、梨沙子は気がつかず──気づいても止まり方を知らなかったのですが──、勢いそのままに孝之の肩へぶつかってしまったのです。
「っ!?」
支えようと踏ん張りかけた孝之でしたが、力を込めても無情に廻るローラーが邪魔をしました。
「う〜……」
「っ、てぇ……」
辛うじて大転倒とはならなかったものの、思いっ切り尻もちをつき、繋いでいた手に引っ張られた梨沙子が、その上に倒れ込みました。
- 255 :『小さな恋の……』:2006/10/13(金) 19:58
-
「あぃた〜……」
「りさちゃん……?」
「はぁい?」
「重いからどかない?」
「えぇ!? りー、おもくないもん!」
孝之の言葉に飛び跳ねるようにして脇に降りた梨沙子が言いました。
まっ白な頬を少しばかり朱に染めて言う梨沙子に、身体を起こしながら孝之が笑いかけました。
「そうだね。りさちゃん細いもんなぁ……ほらっ」
先に立ち上がった孝之の両手が梨沙子の脇に添えられて、小さなかけ声に合わせてひょいと持ち上げられました。
「……う〜〜っ、おろしてぇ」
「うわっ!? ははっ、ごめんごめん」
一瞬何をされたのか解らなかった梨沙子が、顔を真っ赤にしてバタバタすると、孝之はすとんと足から梨沙子を下ろしてあげました。
- 256 :『小さな恋の……』:2006/10/13(金) 19:58
-
子供だとからかわれたように感じた梨沙子は頬を膨らませて背を向けてしまいました。
「たかちゃん、きらいっ」
そんな梨沙子を微笑ましく思いながらも、機嫌を直そうと四苦八苦する孝之でした。
やがて梨沙子にも笑顔が戻り、丁寧なスケートのレッスンが始まります。
初めはバランスを取ることだけで精一杯だった梨沙子も、意外な勘の良さをみせ、次第に上達していきます。
時に転びそうになると、すぐ横で教えている孝之が手を差し伸べて支えます。
あまりにゆっくりで、これはと思う時には転び方すらも教えるように、手を出さずにいることもありました。
そんな時、黙って口をとがらせ「なんで?」という目で見る梨沙子に、孝之は「転ぶことも覚えなきゃ」と言うのです。
なお不満顔の梨沙子へ「それくらいなら、子供じゃないなら痛くないでしょ?」と重ねて。
すると梨沙子は、口を尖らせたままで「うん」と頷くのでした。
そんなレッスンも二時間ほども過ぎた頃、孝之が飲み物を買いに梨沙子の元を離れました。
両手にオレンジジュースの缶を握り、元いた場所へ戻ってきた孝之でしたが、梨沙子の姿が見あたりません。
「りさちゃん……?」
きょろきょろと辺りを見廻した孝之は、きた道とは反対の方向に滑っていく梨沙子の背中を見つけました。
- 257 :『小さな恋の……』:2006/10/13(金) 19:59
-
後を追おうと動き出し掛けて、ある事に気がついた孝之は握っていた缶を置くことも忘れ、全力で滑り出しました。
「りさちゃんっ!」
近づく勢いはそのままに、大きな声で呼びかけると、上体だけで振り向いた梨沙子が手を振ってきました。
足は止まっていましたが、ゆっくりと回り続けるローラーはそのままに。
「たかちゃーん。みてみてっ♪」
「っ……止まって!」
「? ……え? わっ!?」
そこで梨沙子はやっと気がつきました。
自分がなだらかな下り道にいたことに。
そしてその勾配が徐々に急になっていることに。
「ふわわっ……た、たかちゃん」
「りさちゃん!」
段々と上がっていくスピードと、坂の向こうに見える光景に身をすくませ、転ぶことも出来ず孝之の名を呼ぶ梨沙子。
孝之は手に持っていた缶を放り出して、坂の向こうを往来する車のことを考え、必死に後を追いました。
- 258 :『小さな恋の……』:2006/10/13(金) 20:00
-
目前に迫る道路に、恐怖感で一杯になった梨沙子が眼を閉じ、身体を硬くした数秒の後。
車にはねられたと感じた大きな衝撃。
梨沙子が気がつき目を開けた時、そこは道路から僅か一メートル程の場所でした。
「たか、ちゃ──っつ」
隣で倒れている孝之に気づき、手を伸ばそうとした時、上腕に鈍い痛みを感じて動きを止めました。
「はっ! りさちゃん!?」
遅れて気がついた孝之が梨沙子を見ると、痛みを堪えるように表情を歪ませ、ブラウンの瞳一杯に涙を浮かべて。
それでもなぜだか笑顔を作ろうとしている梨沙子がいました。
「りさちゃん、どっか痛い? 大丈夫?」
「ちょっとだけ、いたい。けど……こどもじゃないからへーきだもん」
額にうっすらと汗を浮かせながら、無理に作った笑顔で話す梨沙子。
そんな梨沙子を見た孝之は、理由も解らないままに泣き出してしまいそうになりました。
それは悔い、憤り、哀しみ、哀れみ、様々な感情の表れでした。
- 259 :『小さな恋の……』:2006/10/13(金) 20:00
-
ともすれば溢れてしまいそうになる涙を、ぐいと拭って梨沙子に背を向け屈んで言いました。
「のって。家に帰って、それから病院に行こう」
「えぇっ、だって……」
「いいからっ、早く!」
「……うん」
ごにょごにょ言い続ける梨沙子を背負って、梨沙子の家に着いた二人を見て、梨沙子の母は驚きながらも、手早く行動しました。
休日診療のしてもらえる病院へタクシーで向かう途中、詳しい話を聞いた梨沙子の母は、二人を叱りもしませんでした。
病院で診察を終え、帰りのタクシーの中で、梨沙子は叱られ孝之は謝られていました。
二人は、その扱いや心境こそ違いましたが、同じように右腕を吊り、同じようにしょんぼりしていたのです。
梨沙子の母は、困ったように梨沙子を見て。
申し訳なさそうに孝之を見て。
小さく溜息をついて言いました。
「とにかくヒビだけで済んでよかったわ……」
夕暮れを走るタクシーの中、二人はただ俯いているだけでした。
- 260 :名無し娘。:2006/10/13(金) 20:01
-
今日はこの辺で。
あ、まだデビュー前なんですよ。
ではでは。
- 261 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:36
-
6
いつものように二人で下校してきたある日、両親が不在だった孝之は梨沙子の家に呼ばれしました。
菅谷家のリビングで、孝之は見るでもなくTVの画面を見つめています。
その番組に特に興味を惹かれなかった梨沙子は、ソファーの端に座る孝之に背中を預け、足を肘掛けに投げ出して漫画を手にしていました。
孝之は右の肩から背中辺りで、梨沙子の背中を支えながらも、じっとTVの画面へ向いたままでいます。
一方の梨沙子は背中越しに孝之の温もりを感じ、飼い主の膝に乗った子猫のように満足げにページをめくるのでした。
「はい。おやつでも如何かしら?」
そんなところへ、キッチンから梨沙子の母がトレイを手にして声を掛けました。
- 262 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:36
-
「わぁい。いただきまぁす」
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げて、テーブルに置かれるショートケーキとジュースに目を遣りながら、ほっとしたように笑う孝之。
跳ねるように起きあがり、ケーキに手を伸ばそうとした梨沙子は、その動きを母親に止められました。
「りーちゃんはちょっと待ってね」
「え〜っ!?」
おあずけをくって、不服さを身体一杯に表す梨沙子に、母親が一言囁きました。
「見せたいものがあるから、あっちにいらっしゃい」
「なぁに……?」
「孝之くんは食べててね」
手を引かれて歩いていく梨沙子を見送って、ケーキとジュースを見ながら、孝之は考えました。
きっとすぐに戻ってくるんだろうから、手を付けないで待っていようと。
- 263 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:37
-
孝之がそう決めて、座り直した時でした。
一人で戻ってきた梨沙子は満面の笑みを浮かべて、ぽすっと音を立てて孝之の隣りに腰を下ろします。
とても嬉しそうに笑っているけれど、特になにも話そうとしない梨沙子に、孝之が困ったように笑いながら折れてあげるのでした。
「……なにかいいことあったの?」
「あのねー……まだ、なぁんでもないの♪」
「……そう?」
「うん♪」
にこにこと笑みを浮かべながらケーキを頬張る梨沙子は、その報せによるものなのか、それとも内緒にしているということ自体なのか、ただ楽しげにしています。
釈然としないものを感じながらも、“まだ”というなら、きっとそのうち教えてくれるだろうと納得しておく孝之でした。
- 264 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:37
-
その週末のことです。
いつもならば楽しげに「あしたはどこいく?」とか聞いてくるか、少し淋しげな表情で「あしたはおでかけするんだって」とか言う梨沙子。
それが、今日の彼女は孝之の知っているどの梨沙子とも違うようでした。
「あのねー、あしたはおでかけするからあそべないの」
「そうなんだ?」
そう言いながらも、その表情は一緒にいる前の日のように楽しげに笑っていました。
いつもと違う調子に戸惑いながらも、孝之はなるべく普通に接しようとするのでした。
「でも、りーのかわりにてれびみててね」
「え?」
「おひるのやつ。もーにんぐむすめの」
「あぁ……うん」
そう返事をしながら、孝之は思い出します。
そういえば何度か一緒に観たことがあったかなと。
孝之自身は、特別にいつも観ているわけではありませんでしたが、梨沙子といるその時間にはよく一緒に観たものでした。
- 265 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:37
-
そして日曜日。
律儀に約束を果たす為、TVを観ていた孝之は、画面に釘付けになったまま言葉を失っていました。
いつも隣で笑っていた梨沙子。
べそをかいては孝之にすがっていた梨沙子。
そんな“りさちゃん”が画面の中にいる、その不思議な光景と、なんとも表現しがたい感情に混乱していたのです。
画面に映るのは右手を吊ったあの頃の、VTRであろうもので、硬い表情のままぎこちなくインタビューを受けている梨沙子。
そしていかにも生放送らしく、オーディションに受かって驚き喜ぶ表情を映し出したりしていました。
そしてまとめるような話が流れた後、梨沙子は二万七千九百五十八人の中の、たった十五人の一人に選ばれ残ったのだと、ナレーターの声が告げていました。
不意に鳴った着信音に我に返り取りあげた携帯に、またなぜだか微妙な心持ちになる孝之でした。
急かすように鳴る携帯に出ると、がやがやとざわめきの聞こえる電話口から、少し興奮しているような元気な声が響いてきました。
『たかちゃん、みてたっ?』
「……うん」
『ねーねー、びっくりした?』
「え? ……うん」
自慢げにしっぽを振る子犬のような梨沙子の声。
そんな梨沙子に曖昧な返事を返しながら、孝之は思い出していました。
あれはそういうことだったのか、と。
- 266 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:38
-
何気なくTVを見ていた時に、いつものように寄り掛かっていた梨沙子が身をよじるようにして孝之に聞きました。
「たかちゃん、すき?」
「え?」
孝之は、一瞬なにを言われたのか解らず、小さな驚きの声をあげました。
それが画面に映っている女の子のグループを指していると気がついた孝之は、何の気無しに答えたのです。
「う〜ん、そうだね」
「そーなんだ」
「うん、そうかも」
特別に好きなわけではない孝之でしたが、ただ会話の流れから単純にそう言っただけでした。
梨沙子はなにか考えるようにアヒル口に指をあて、それから笑顔でこう言ったのです。
「ならりーもなる」
「え?」
「りーもミニモニ。みたくなる」
「え〜?」
「なに?」
懐疑的な孝之の反応に、梨沙子は少し頬を膨らませて問い返しました。
「ん〜、なったらすごいね」
「えへへぇ」
なにを想像したのか、やけに嬉しそうに笑う梨沙子の顔が印象に残った孝之でした。
- 267 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:38
-
『──ゃん、きーてる?』
電話の向こうで大きくなった声に、はっとした孝之が慌てて聞き返しました。
「え? なに?」
『もお! あのね、なんかよばれてるの』
「あ、うん」
『じゃあまたね』
「あっ!」
『んー?』
「あの……おめでとね」
『ん? うん♪』
余程急かされていたのか嬉しそうにそう言い残して、慌てて電話は切られました。
孝之は切れた電話を見つめ、その向こうの梨沙子の笑顔を思って呟きました。
「おめでと……」
梨沙子がそうなりたいと思って、そうなれたのだから、それはとても祝福すべきことだと孝之は思いました。
そして、祝ってあげるつもりでそう呟いたのに、どうしてだか笑えずにいる自分をおかしく思うのでした。
- 268 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:39
-
7
互いに意図してではなく会う機会の減った二人に、某かの変化を求めるように時間は過ぎていきます。
それは夏休みに入っても変わらず、梨沙子は母親に連れられて頻繁に出かけていき、孝之は仲の良い学友と遊ぶ以外には、特にすることもなく家にいることが多くなりました。
そんな八月のある日、孝之はなにをするでもなくベッドに横たわり、小さなきっかけに思いをやっていました。
孝之が、梨沙子のことを初めてブラウン管越しに見たあの日。
あれ以来、二人の関係が微妙に変わってきたと孝之は感じていました。
なにがどうとは言い切れなかったものの、それは孝之の中に、確かに根付いた感情だったのです。
自分である必要はない
きっと、言葉にすればそんなことだったのかもしれません。
あの留守番の夜以来、仲の良い妹のように、常に孝之のそばにいた梨沙子。
常に梨沙子の一番近くにいて、危うい無邪気さを庇護し、必要とされていた孝之。
- 269 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:39
-
そんな梨沙子が……“りさちゃん”が、数千人もの人を前に舞台に立った。
例えそれが、グループ全体の為にある舞台であるとしても、その中に梨沙子の名を叫ぶ声が耳についたのだから。
自分の知らない世界に入り、多くの人達に求められるような存在になれば、その役目など幾らでも代わりが出来るだろう。
そう考え、一つの結論にたどり着いた孝之なのでした。
- 270 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:40
-
「孝之っ、梨沙子ちゃん来てるわよ!」
母親の呼ぶ声に、小さく舌打ちをしながら部屋を出て階段を下りていく孝之。
心のどこかが波立ち、苛立っていることに、自分でも気がついてはいませんでした。
「なに?」
「……たかちゃん?」
「……?」
それがなにとは解らないけれど、小さな違和感を感じた梨沙子の声は、いつもの元気に開いた花のような声ではありませんでした。
自身の変化には気がつかない孝之も、梨沙子のその声の調子に、わずかに眉根を寄せて答えにならない答えを返しました。
「…………」
「どうしたの?」
何も言わず、困ったように見上げる梨沙子に、改めて問いかける孝之。
その声からは、梨沙子が感じたいつもの孝之とは異なる“色”が薄れていたようでした。
- 271 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:40
-
「たかちゃん……ん〜ん、なんでもない」
「……? なに?」
「いいのっ。なんでもないっ」
「いいならいいんだけどさ……上がる?」
「…うん」
互いに互いの変化に気がつきながら、自身の変化に気づかずに、自身の中で異なる角度から歪んだ形に納得してしまいました。
もし気がついたとしても、それがどのような“形”をもたらすのか、二人には解らないことだったのですから。
「たかちゃん、あのね……」
「んん?」
孝之の部屋に通され、ベッドの上で脚を投げ出すように座り込んだ梨沙子は、改めて切り出すように口を開きました。
学習机の椅子に、逆向きに座り、背もたれに手を乗せて体重を預けていた孝之は相槌を打つように声を漏らしました。
- 272 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:41
-
「えっとぉ……」
「なに、どうしたの?」
何か考えながら話し、言葉を探している様子の梨沙子に、小さく笑いながら孝之が問い返しました。
笑われたことに対して、少しばかり口をとがらせはしましたが、それでも気を取り直してさらに言葉を探している様子の梨沙子。
「あ、ぇっとねー、えーが……」
「えーが? 映画?」
「うん」
「行くの?」
「うんっ」
「お母さんと?」
「そうだけどぉ……」
「もしかして?」
- 273 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:41
-
思いついたように自分を指さす孝之に、さも嬉しそうにぶんぶんと力一杯に頷く梨沙子。
それを微笑ましく見ながら、孝之が言葉を続けました。
「別にいいけど、いつ?」
「あしたからなの」
「ふ〜ん……」
「いっしょにきてくれる?」
「いいよ」
「あー……えへへ、ありがと♪」
そうしてしばらく話した後、笑顔で帰っていった梨沙子を見送ってから、孝之はあることに気がつきました。
「あっ、なんの映画か聞かなかった……」
口に出して呟いてから、軽く笑って思うのでした。
きっと夏休みによくあるような、子供向けのアニメとか何かだろうと。
もし自分の好みではなかったにしても、それを観て梨沙子が喜ぶのならそれはそれでいいな、と。
- 274 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:42
-
8
視界に映る光景から目を逸らさずにいながら、意識はまったく別の所にある。
そんなアンバランスな自分と、なんともいえない居心地の悪さに戸惑う自分。
そんな自分に困惑しながらも、目の前で一生懸命な梨沙子に同調するような気持ちも感じている。
自分の心の歯車に、小さなズレが生じているのを解っていながら、それを表現させられる程に子供ではなく、やりすごせる程に大人でもない孝之。
有り体にいえば、孝之は迷っていたのです。
梨沙子に対する自分のポジション、立ち位置、距離感に。
お互いの……というよりも、梨沙子の立つ位置が変わったと認識したことによって、自分はどうしたらいいのか。
今までの距離を保つ為にいるべきなのか、相応の距離で接するべきなのか。
ブラウン管越しに梨沙子を見ては一方に傾き、隣に座る梨沙子を見ては一方に傾く。
不安定な天秤にのせられた気持ちの持っていきように迷っていたのです。
- 275 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:42
-
「孝之くん?」
「え? あ、はい」
心ここにあらずだった孝之にかけられた声。
隣の席に座っていた梨沙子の母は、柔和な笑顔で孝之を見ていました。
「退屈じゃない? ごめんなさいね、梨沙子が我が侭言ったみたいで……」
「そんなこと…ないです」
「本当に? だったらいいんだけど……」
「あ…ほら、なかなかこんなトコ、見られないですから」
「……ありがとうね」
「え?」
「うちの子、孝之くんに迷惑ばかりかけてるでしょ」
「いえ、そんな……全然」
「ありがとうございます」
そう改めて言われた孝之は妙に気恥ずかしくなり、あらぬ方へ視線を逸らしたのでした。
- 276 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:43
- そんな孝之を微笑ましく見つめて、そして一度梨沙子の様子を横目で見て、梨沙子の母は言葉を続けました。
「どういうつもりでこんなことしようとしたのか、私には分からないんだけど……。
私達よりよっぽど孝之くんと一緒がいいみたいでね。これからもあの子のこと、よろしくね」
「っ――。そんなこと…ないです。……あっ、トイレ行ってきます」
一瞬、言葉に詰まるのを、顔を逸らして隠してそう言いながら、逃げるように孝之が立ち上がりました。
梨沙子の母は、そんな孝之に我が子を見るような優しげな視線を送りながら、小さくため息をついたのでした。
孝之は出入り口付近で手が空いてそうなスタッフに声をかけると、足早にその空間から離れました。
人気のない通路を教えられたとおりに歩き、用を足して手を洗っているとき、ふと鏡に映った自分の表情に気がついたのです。
「……なんて顔してんだろう」
梨沙子の母と交わした会話で、一時、現実の中に過去がクロスオーバーしたものの、それは“ひととき”のことでしかなく。
いざ一人でこの場にいると、改めて“現実”というものを実感させられている。
それが今、表情に表れてしまっていると、そう感じた孝之でした。
それはきっと、今の梨沙子との距離のように、日頃の孝之とはかけ離れた生気の無い表情でした。
- 277 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:43
-
「こんなんじゃダメだなあ……」
そう呟くと、なにかを振り払うように流れ出る水に手を差し出し、バシャバシャと顔を洗うのでした。
ひとしきりそうした孝之は「ふう」と一息つき、濡れた顔をぬぐってその場を後にしました。
そうして元いた空間に静かに入り込んだとき、ふいに横合いから腕を掴まれました。
「ちょっと待って。関係者以外は立ち入り禁止だよ」
「あ、僕は――」
「ん? あぁ、誰かの連れかい?」
「っ――、りさ…菅谷梨沙子の……」
「お兄さん?」
「いえ、家族じゃ……」
「家族、じゃないの? じゃあなんでいるの? ……まぁ、いいか。あまり動き回らないようにね」
「……はい」
それだけ話して去っていった男の背を見るでもなしに見ながら、まるで言われたとおりにしているかのように孝之はその場に立ちつくしていました。
ただ、音が聞こえてきそうなほど強く握った拳だけが小さく震えていました。
その感情を、なんと表現するのか孝之は知りません。
ですが、自分がどうしたいのか、それだけは解っていた……解ってしまったのです。
- 278 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:44
-
孝之は歩き出しました。
その、まだ幼いといえる顔立ちには不釣り合いなほどに感情を失った表情のままで。
撮影は休憩に入ったらしく、元いたスチールの椅子には、梨沙子の母と、そして梨沙子本人が座って談笑しています。
「あの……」
「たかちゃん♪ ねぇねぇ、みててくれた?」
梨沙子の母に話しかけようとした孝之の腕に、飛びつくようにすがりつきながら梨沙子が言いました。
孝之は、ほんの僅かな瞬間、苦しげな顔になりますが、無理矢理に笑顔を作って梨沙子に応対しました。
「あ、あぁ。うん、見てたよ」
「がんばったの。すっごいがんばったよ?」
「……うん。そうだね。ビックリした」
「孝之くん?」
訝しげに梨沙子の母が問い掛けました。
- 279 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:45
- その声に救われたように、微かな安堵をにじませて孝之が口を開きました。
「ごめんね。……あの、ちょっと用事を思い出して、先に帰ります」
「ええっ!」
「孝之くん……大丈夫? 顔色が――」
「平気です。ごめんなさい」
「たかちゃん……?」
「ごめんね、りさちゃん」
「たかちゃん…へーき?」
「うん。ごめんね、りさちゃん」
- 280 :『小さな恋の……』:2006/10/15(日) 19:46
-
精一杯の努力で、梨沙子にだけは悟られないように、複雑な感情を押し殺して。
心から自分の情けなさを詫びる孝之は、痛々しくもみえそうな笑顔で話します。
「んーん……」
「ホントにごめんなさい。じゃあ……さよなら」
ハの字にした眉で心配そうな梨沙子に、届くか届かないか……掠れそうな声で告げた言葉でした。
自分でも意識しないところでの言葉でした。
早足にならないように、意識して歩みを抑えて辿り着いた重々しい扉。
強く押し開いた扉の向こうで、甲高い声が聞こえました。
するりと身体を滑らせた孝之は、扉の前で座り込むように転んでいる女の子の姿に気がつきました。
「ごめんなさい」
そう口にして、座り込んでいる女の子に手を差し伸べ立ち上がらせた孝之。
それを驚いた顔のままで見返す女の子に、もう一度「ごめんね」と謝罪して、孝之は歩きだしました。
まるで逃げるように。
- 281 :名無し娘。:2006/10/15(日) 19:49
-
りしゃこデビュー!
したところで、今日はこの辺で。
企画のせいなのか、年齢のせいなのか、読んでる人がいない感じ(^^;;;
長編は終わってみなきゃ解らないからな、とか思われてると考えておこうw
ではでは。
- 282 :名無し娘。:2006/10/16(月) 15:55
- やっぱ匿名さんなの?
- 283 :名無し娘。:2006/10/16(月) 20:19
-
>>282
読んでる人いたw って、あまりに直球な。
えっと、ねえ。そうですけど、まあ、このままで行きましょう。
さ、続き続き(^^;;;
- 284 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:19
-
9
「もうへーき?」
数分に及んだ沈黙を破ったのは、不安や恐れ、そして微かな望みで彩られた梨沙子の言葉でした。
組んだ腕に頭をのせて、昼前だというのにベッドに横たわった孝之。
少し離れた大きなクッションに座り込んで、話すきっかけを探していた梨沙子。
きっかけを与えたのは、うるさく鳴いていた蝉が窓に跳ねた音でした。
「……うん」
孝之の言葉は短く、梨沙子はまた接ぐべき言葉を探します。
「えっと……」
「…………」
「…………」
「……それだけ?」
天井を見つめたままで孝之が言いました。
- 285 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:20
-
「そおだけど……」
『でも、そうじゃないもん』と、続けたかった梨沙子でしたが、孝之から感じる異質なものに、その言葉を口にすることが出来ませんでした。
梨沙子には解っていませんでしたが、それはほんの僅かな拒絶。
その“拒絶”は梨沙子の前に見えない硬質な壁を作っていました。
二人は互いに意識していません。
拒絶していることも、されていることも。
壁を作っていることも、作られていることも。
だから二人は、考え、迷い、決められずにいるのでした。
「りさちゃん」
「はあい?」
二度目の沈黙――より重い沈黙――を破ったのは、大きな惑いと小さな苛立ちに染まった孝之の言葉でした。
- 286 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:20
-
逃げるように目線を逸らしていた姿勢のままで、迷った末に言葉を洩らします。
「ごめんね」
「……なあ――」
「もう少し寝たいんだ」
「――っ」
返事すら遮られて届いた言葉は、いつもの孝之からは考えられないような言葉でした。
泣きたくなるような気持ちになった梨沙子は、その理由を体調が悪いからだと自分に納得させるのでした。
それは無意識下での自衛行為。
自身にとって最優先されるといっても過言ではない相手から、自身が拒絶されるという信じたくない事態に対しての精神的防衛でした。
「…………」
「……あのね」
「…………」
「あの……じゃあね」
気がつかないうちに“壁”に手をかけた梨沙子は、言葉という形を作りきることが出来ず、力尽きて滑り落ちるように“壁”から手を離してしまいました。
弱々しく現実化された言葉は逃避でしかなく、今の梨沙子では越えられないと、無形の理解が成された瞬間。
最後まで目を合わせることなく、梨沙子は立ち上がり、部屋を出ようとし。
ドアを閉める瞬間、なにか言葉をかけようとしかけた梨沙子は、躊躇し、そして……ドアを閉めたのでした。
- 287 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:21
-
その夜のことでした。
食事を終え、部屋に戻ろうとした孝之は、父親に呼び止められ食卓に戻りました。
「あのな孝之」
「うん?」
父は何故だかすまなさそうに、いつになく言葉を選んでいるようでした。
「今の学校はどうだ?」
「どう…って、別に。普通だけど」
「お、おう。そうか?」
「うん……?」
「あのな、実は……すまんが転勤が決まってな」
「え?」
「しばらく九州に行かなきゃならないんだ」
「きゅうしゅう……」
「ああ、単身赴任も考えたんだがな。だけど……」
- 288 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:21
-
父親の言葉を耳にしながら、孝之は呆然としたまま、ただ一つのことを考えていました。
この家を離れる。
それは自分にとって庇護すべき対象から離れるということを意味していました。
りさちゃん……
「……孝之?」
「……いつ?」
「え? ああ、孝之の学校のこともあるからな。この夏休みが終わる前にはと考えているんだ」
あと一週間……二週間くらいしか
「孝之……すまんが解ってもらえんか」
「……とつ」
「うん?」
「一つだけ、お願いがあるんだけど……」
「なんだ? 言ってみろ」
「りさちゃんには言わないで」
「うん? ああ、解った」
それで話は終わり、孝之は自室に戻りました。
力なくベッドに倒れ込み、ただひたすらに考えるのでした。
- 289 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:21
-
10
夏休みだというのに、いえ、だからこそなのか“仕事”で留守がちな梨沙子。
その梨沙子に、幾度か一緒についてきてほしいと孝之は声をかけられていました。
ですがあれ以来、どうしても一緒にとは思えずにいた孝之だったのです。
気持ちの整理がついていないということも勿論でしたが、引っ越しの為の荷造りにも追われていたからでした。
正確には、そう理由をつけて梨沙子と顔を合わせることから逃げていたのかもしれません。
自分で告げる、そう言いはしたものの、それをどう、どのように切り出せばいいのかも解らずにいて。
自分が梨沙子になにを話したいのかも解らないでいる孝之でした。
一日は流れるように過ぎ、幼い二人に残された時間は、あっという間に失われていきました。
そして終わりがすぐそこまできているある日。
片づいていく荷物のように、自分の心にも整理をつけたと思った孝之は、とうとう意を決したのでした。
梨沙子の家の玄関に立ち、チャイムを鳴らしてしばし待っています。
- 290 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:22
-
カチャっと鳴るドアの向こうに梨沙子の母の柔和な笑顔が見えました。
「あら……」
梨沙子の母の温かい笑顔の中に、寂しさが混じるのを感じた孝之は、それを悲しく思いながら、少しだけ嬉しいとも思いました。
そして嬉しいと感じてしまった自分を嫌悪して、小さく首を振り口を開くのでした。
「梨沙子、呼んできましょうか」
「あ、いえっ、あの……梨沙子ちゃんに言って欲しいんです」
「……なんて?」
「公園で待ってるって」
「……それだけでいいの?」
「……はい」
「解ったわ。梨沙子のこと……、ううん。孝之くん、ありがとうね」
全て解っているかのように、悲しげに微笑んでいるその姿に、なにも言えず、深々とお辞儀をして孝之はその場を離れました。
- 291 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:22
-
真夏の陽差しが降り注ぐ公園の中、僅かに木々がかかり日陰になっているブランコに、浅く腰を下ろして孝之は待っていました。
十分、二十分と時間は過ぎ、もしかして来てはくれないのかなと孝之が考え出した頃。
陽炎にかすむ公園の入り口から、真っ白い人影が近づいてきます。
地を蹴るように立ち上がり、近づいてくる人影に目を凝らしていると、それは真白な薄手のワンピースに身を包み、それに負けないくらいに透き通るような肌の梨沙子でした。
とてとてと歩いてくる梨沙子から、いつもの元気さは見られず、心なしか表情にも陰があるように感じた孝之は自分から口を開きました。
「りさちゃん……」
「……おはなしってなあに?」
「あっ、うん……座って」
「……うん」
- 292 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:22
-
二人で並んでブランコに座り、梨沙子は下を向いたままで。
孝之はそんな梨沙子に目を遣りながら、言葉を探すように話し出しました。
「なんか元気ない?」
「そんなことないもん」
「そう? そっか」
「うん」
沈黙。
それは話の取っかかりとしてはあまりに不十分な会話。
お互いに、表現しきれない感情に振り回されたままの、ぎこちないやりとりでした。
「あのさ……みんな優しくしてくれる?」
「……?」
孝之の言葉に顔を上げた梨沙子は、アヒルのような口のまま、表情自体は疑問符そのものの沈黙を浮かべていました。
- 293 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:23
-
言葉が足りなかったと悟った孝之は、少し考えて言葉を継ぎます。
「ほら……事務所? の人達とか、一緒の子達とか、さ」
「あー……うん。みんなやさしー。たまにおこられるけど」
幾分和らいだ表情で、照れたように話す梨沙子と、聞かされたその内容に孝之は安心したように頬を緩ませました。
すると梨沙子はニッコリと笑顔になり、さっきよりも一つ弾んだ声で言葉を続けます。
「たかちゃん、わらったぁ」
「え?」
「あのねー、なんか……んーっと。……えへへ♪」
うまく言葉を見つけられない自分に、話す代わりに照れ笑いの梨沙子。
けれど、梨沙子の話したかったことは孝之にも伝わっていたのです。
あの日以来、ろくに笑顔も見せずにいた自分と、そんな自分の態度に傷つき塞いでいた梨沙子。
- 294 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:23
-
「ごめんね」
だから孝之は謝るのでした。
近頃の自分と、これから話さなければならない言葉の分まで。
「ん〜ん。りーね、わらってるたかちゃんのほーがいいの」
一点の曇りも感じさせない無邪気さで言う梨沙子に、孝之はもう一度、心の中で、そして改めて口に出して謝るのでした。
「りさちゃん……ごめん」
「……んー?」
繰り返される謝罪の言葉に梨沙子は困ったように首をかしげます。
- 295 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:24
-
そんな梨沙子から目を逸らさないように努めて、孝之は話し出しました。
「うちね……また引っ越さなきゃいけないんだ」
「……?」
「わかるかな……九州に行かなきゃならないんだって」
「…………」
「お父さんの仕事なんだって」
「たかちゃんもいっちゃうの?」
「……うん。ボクだけ残るなんて許してもらえないし、お母さんも行かないわけにはいかないんだって」
「…………」
孝之の言葉を理解した梨沙子は真白な顔を蒼白くして、呆然と足下を見つめていました。
- 296 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:24
-
「りさちゃん……?」
「……いっちゃうんだ?」
「仕方ないんだ」
「――いいもんっ」
不意に叫んだ梨沙子が立ち上がりました。
同じように立ち上がった孝之を、その小さな両手で突き飛ばして走っていきました。
追いかけたかった孝之でしたが、突き飛ばされ座り込んだ膝がいうことをききません。
その瞬間に見せられた、孝之が初めて見る梨沙子のあんな表情に。
ぼろぼろと涙をこぼし、少しの怒りすら入り交じった大きな悲しみに包まれた表情。
力なく座り込んだ孝之は、ただ届かない呟きをもらすのでした。
「ごめんね……」
- 297 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:25
-
11
それは夏も盛り。
暑い日が続いていた所へ、程良い潤いをもたらす雨降りな一日のことでした。
夜半から降り続いている雨に、夏の陽差しも隠れ、ただいるだけで汗がふきだすような、日々の暑さを忘れられる、そんな一日の始まりだったのです。
あの日、走り去っていった梨沙子を、追うこともできず別れてしまったあの日。
あれから二日がすぎた今日、いよいよ引っ越しの当日になっても、いまだ顔をあわすこともできないでいる二人。
- 298 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:25
-
もしも二人の感情を一望できるとしたら。
それはきっと、とても簡単なことだったのかもしれません。
孝之はただ、梨沙子を守りたかっただけで。
梨沙子はただ、孝之が笑う、その側にいたかっただけで。
それは子供じみた自己満足ともとれる思いなのかもしれません。
けれど、子供だからこそ持ちうる、とても純粋で、真っ直ぐな気持ちだったのです。
しとしとと降る雨の中、必要に迫られる分だけはと、運び出される荷物を横目で見ながら、孝之は隣家の様子を気にしていました。
短い期間でこそありましたが、孝之と梨沙子、子供同士が仲良くなったおかげで、相応に交流を持った両家の親達は、菅谷家でその時を待っています。
開け放たれたカーテンのガラス越しに、時折こちらへ視線を向けてくる親達には気づかないフリで、孝之は静かな時間の中、濁流のように渦を巻く思考に身を任せていました。
- 299 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:25
-
屋外からでは気がつかないほど、薄く隙間を空けたカーテンの向こうを、とがらせた唇でじっと見下ろしている梨沙子。
そのブラウンの瞳は雨に濡れるガラス越しに、悄然と座り込んでいる孝之の姿を見つめていました。
梨沙子にだって、それが仕方のないことだとは解っていたのです。
あの後、泣いて家に帰った梨沙子は、事情を問いただす母親に、しゃくり上げながらもおぼつかない説明をし。
そして母親から聞かされていたのです。
父親の仕事の都合で引っ越すけれど、またあの家に戻ってくるんだよ、と。
ただ、それがどれほどの期間になるのか、それは行ってみなければ解らない。
だから父親だけではなく、母親も、孝之もついて行くことになったんだと。
そうは聞かされたけれど、梨沙子には、その何年かの間、孝之が側にいないという事実を受け入れることができずにいたのです。
孝之が側にいる、それが当たり前すぎて……。
- 300 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:26
-
そうしていると、階下から梨沙子を呼ぶ声が聞こえます。
「りーちゃん、下りてらっしゃい。孝之くん、行っちゃうのよっ」
二度、そう繰り返された声に、梨沙子は怒ったように言うのです。
「いかないっ! いっちゃえばいいんだもんっ!!」
僅かな沈黙の後、聞こえてくる足音にふり返る梨沙子はドアを開けた母親と目が合いました。
歯を食いしばって唇をとがらせる梨沙子に、優しく笑いかけながら梨沙子の母は口を開きました。
「孝之くん、行っちゃうわよ?」
「っ……」
- 301 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:26
-
「喧嘩したままでいいの?」
「…………」
「いつかまた会う時に、笑って会えなくなっちゃうわよ?」
「――っ!」
「いいの?」
「……しらないもん」
その言葉を聞いた梨沙子の母は、深い息をついて部屋を出て行きました。
- 302 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:27
-
やがて、微かに聞こえる雨音に、車のエンジン音が混ざりだして。
それが隣家の車だと気づいた梨沙子は、先ほどまでしていたように、そっと表の様子を窺いました。
一台の車を囲むようにして、孝之の両親と梨沙子の両親。
そして孝之の姿がありました。
なごやかに、それでいてどこか寂しげに話をしている両親達から、少し離れた位置に立つ孝之は、肩を落として梨沙子の家を見やっている。
そんな風に梨沙子の目に映っていました。
- 303 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:27
-
ズキッ
- 304 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:27
-
どこか、身体の奥で、締め付けるような、切り裂くような痛みを覚えました。
その時、不意に視線を上げた孝之と目があったと、梨沙子は思ったのです。
それは間違いではなく、カーテン越しに梨沙子の姿を浮かべた孝之は、小さく手を振り、「さよなら」と、そう口にしていました。
それは梨沙子の表層で、本心の現れを邪魔をするように残っていたしこりを瞬く間に押し流してしまうのに充分な事実でした。
食い縛った梨沙子の口元から零れる嗚咽、それは紛れもない本心の発露。
涙で滲んで見える窓に、飛びつくようにはねのけたカーテンの下で、孝之の乗った車のドアが閉められました。
その孝之に一言だけでも告げたいと窓を押し開けた時、車内の孝之がついと顔を上げたのです。
- 305 :『小さな恋の……』:2006/10/16(月) 20:28
-
孝之はなにかを訴えかけるように梨沙子を見つめていました。
開いた窓に手をかけたままの姿勢で、ぼろぼろと零れていく涙にのせて、一言。
聞こえるはずもない言葉を、梨沙子はただ一言だけを口にしたのです。
「ばいばい…」
その瞬間、ぐにゃぐにゃと霞む視界に梨沙子は見たのです。
哀しげにしていた孝之が優しく笑うのを。
動き出した車の窓越しに、「じゃあね」と、そう口にしたのを。
梨沙子は泣きながら手を振りました。
車が見えなくなるまで……
いえ、離れていく車が、その視界から消えても、手を振っていました。
いつかまた、梨沙子の側に孝之の姿が ある時を待つ為に。
- 306 :名無し娘。:2006/10/16(月) 20:30
-
はいどーも。
梨沙子、低学年時代でした。
えー、終わりませんよ。まだ。
もーしばらく続きます。
ではでは。
- 307 :名無し娘。:2006/10/20(金) 22:55
- 乙です。続きがめっちゃ気になります。
- 308 :名無し娘。:2006/10/21(土) 20:45
-
>>307
それはどうもです。
四日、五日か。ぼちぼちいきます。
- 309 :『小さな恋の……』:2006/10/21(土) 20:45
-
12
ここ数週間……いえ、正しくはを一ヶ月は数える間、梨沙子はあるものを待っていました。
学校へ行く前、帰ってきたとき。
仕事へ行く前、帰ってきたとき。
ことあるごとに真っ黒く口を開けた郵便箱をのぞき込んでは小さなため息をつき。
時にはアヒルのように口をとがらせて、その場にはいない大切な人へ抗議する。
そんな姿を呆れながらも微笑ましく見ていた母親のため息から、逃げるように梨沙子は自室へ入っていきました。
“あの日”から三年の時が流れ、その間に「一人の時間も欲しいでしょ」と、与えられた自分だけの部屋。
その部屋で、梨沙子はため息の理由に目をやるのでした。
その視線はまだ新しい机の一角。
簡単ながらも鍵のかけられる引き出しに注がれていました。
梨沙子は思い出します。
あれ以来、ともすれば沈みがちだった自分に一通の手紙が届いたあの日を。
- 310 :『小さな恋の……』:2006/10/21(土) 20:46
-
それは「じゃあね」と、一言を残して孝之が去ってから、一ヶ月と少しが過ぎた頃でした。
朝、学校へ行き、終業後の数時間を忙しなくも撮影するための時間に充てられたその日。
撮影終わりに合わせ、車で迎えにきてくれた母の様子に、いつもと違う何かを感じた梨沙子は、後部座席からのぞき込むように話しかけました。
「おかーさん?」
「なあに」
訝しげにかけられた声に、ハンドルを握る母がちらりと視線を返してきます。
「なんかうれしそう」
「……いやだ、そう?」
「うん」
「う〜ん、おうちまで黙ってようと思ったんだけどね」
「?」
「そこにあるバッグ、開けてごらんなさい」
「これ?」
助手席におかれていた母のバッグ。
それへ手を伸ばし、自分の脇に置いた梨沙子は、そっとバッグの口を開き中を見てみます。
- 311 :『小さな恋の……』:2006/10/21(土) 20:46
-
「なぁに?」
「薄いブルーの封筒」
言われたそれを取り上げた梨沙子へ、母が言葉を注ぎます。
「それ、よく見てごらんなさいな」
取り上げたそれをひらひらと揺らめかせながら、ふと目についたのは表に書かれた『菅谷梨沙子様』の文字。
自身の名前で、送られてきたそれは。
親しい幾人かの友人から貰った年賀状、そんな程度しか経験がなかった梨沙子にとって、それは不思議な感覚の品でした。
「えっと……」
「裏側、よっく見てみなさい」
困ったようにそれを見つめていた梨沙子に、母が出す助け船。
- 312 :『小さな恋の……』:2006/10/21(土) 20:48
-
「ん……あっ――」
慌てて――それでも汚くならないように気をつけて――封を開けたその封筒には、見知った名前がしっかりと記してあったのです。
カサカサと音をさせて、言葉もなく食い入るように手紙を読んでいる梨沙子に、母のくすくすと笑う声など耳に入りませんでした。
その手紙は、梨沙子にも読めるように、必要最低限の漢字以外は平仮名で、簡単な言葉で、意外なくらいに綺麗な字で綴られていて。
そして何よりも、二枚に収められたその手紙は、他の誰でもなく梨沙子のためだけに書かれた手紙だったのです。
言葉もなく、ただ先へ先へと読み進めて。
読み終えたそれに読み飛ばしや読み間違いがないか、確かめるように二度ゆっくりと読んだ梨沙子は、思いだしたように「ほぅ」とため息を一つ。
- 313 :『小さな恋の……』:2006/10/21(土) 20:48
-
「えへ……えへへ♪」
きっとそれは……そうやって手紙を書くという行為は、孝之にしても数少ないことだったに違いないと、梨沙子にすらそう感じさせる手紙でした。
二人の仲の良さからはあり得ないほどにかしこまった調子で、引っ越し先でやっと落ち着いたこと、そして自身の近況が大半を占める一枚目。
そして梨沙子の様子を心配するように問いかけられていた二枚目。
孝之がいなくなって、梨沙子の中で大きかったその存在の分、ぽっかり空いてしまった心の中へ染み渡るように入り込んできた言葉たち。
今は遠く離れてしまった場所で、それでも自分を心配してくれていると感じさせてくれる孝之の言葉たち。
日々過ぎていく時間の中で生まれる、心の隙間を埋めてくれる大切な手紙でした。
- 314 :『小さな恋の……』:2006/10/21(土) 20:48
-
それ以来、毎月のように、拙いながらも一生懸命な手紙を書く梨沙子の元へ、一通また一通と増えていく手紙。
梨沙子自身は意識していないけれど、大切な宝物のように引き出しにしまわれる手紙。
返事に携帯電話のメールアドレスも書いたのに、それでも届くのは手で書き記された手紙で、それが余計に孝之の気持ちを伝えてくれるように感じていたのです。
そんな大切な、唯一の交流でもある手紙。
それが今年に入ってから何かあったかのように届かなくなっていました。
もちろん、梨沙子に心当たりなどあるはずもなく、何度も書いた手紙すら、本当に届いているのかと疑わしくなってくるほどに。
毎日毎日郵便箱を確かめては、届かない手紙に肩を落としていたのです。
- 315 :『小さな恋の……』:2006/10/21(土) 20:49
-
そうして過ごしていたある秋の朝。
半ば惰性のように郵便箱を開いた梨沙子が、一つの郵便物に気がつきました。
薄いブルーの封筒。
ドキドキしながらも、宛名を、そして差出人を確かめて、安心したように深い息をつきました。
そっと開いた封筒の中に、いつもと同じ手紙が一枚。
手紙を書けなかったことを詫びる孝之の言葉に、梨沙子は心の中で「ホントだよぅ」などと呟いては微笑むのでした。
そして短い文章の最後に、ぽつりと添えられていた言葉。
ぱちぱちとまばたきをし、そこに書いてあることを確かめるように、じっと見つめる梨沙子。
『近いうちに、そっちへ戻ることになりそうです。』
一足早くやってきた夏の向日葵のような、晴れやかで明るい笑顔を浮かべた梨沙子は、もう一度その言葉を噛み締めるように目を通しました。
そしてバタバタと慌ただしい足音とともに家の中へ、大切な報せを手に駆け込んでいくのでした。
- 316 :名無し娘。:2006/10/21(土) 20:50
-
少ないですが、ひとまず。
調子よければまた……明日にでも。
ではでは。
- 317 :『小さな恋の……』:2006/10/22(日) 01:10
-
13
「おつかれさまでした」
「はい。お疲れ様」
そんな挨拶をして、送ってくれたマネージャーの車を降りた梨沙子は、荷物で乱雑になった鞄に差し入れた手で家の鍵を探ります。
ごそごそと手を動かしながら「ん〜」っと漏らした声に、かすかな喧騒が重なりました。
なんだろう? そう思いながら、やっと探り当てた鍵で玄関を開けると、小さな違和感を感じたのです。
「あれ? クツ……あぁっ!」
蹴り飛ばすようにして脱いだ靴もそのままに、ドタドタと上がり込んだ梨沙子はリビングのドアに手をかけ一つ息をつきました。
まるで初めて舞台に上がったときのように、緊張とも昂奮ともつかないまま高鳴る胸を押さえて。
それを意識しないように、精一杯に装った日常で「ただいまぁ」とドアを開きました。
リビングには出前でも取ったらしい、ザルに盛られた蕎麦や天ぷらがあり、引越祝いの食事を兼ねた場となっているようです。
- 318 :『小さな恋の……』:2006/10/22(日) 01:10
-
「おかえり、りーちゃん。ほら、お隣の――」
「久しぶりね、梨沙子ちゃん。またよろしくね」
「大きくなったねえ。頑張ってるみたいで」
三年の時間などなかったかのように親しげに話しかけてくれるのは、しっかりと覚えていた……孝之の両親で。
二人に、ぺこりとお辞儀をした梨沙子は、そっと目を動かしていました。
その場にいて、和やかに談笑していたのは、梨沙子の両親と、そして孝之の両親……だけでした。
「孝之くんはおうちにいるんですって。お部屋を片付けてるのね」
梨沙子の様子に気がついた母が、横から笑いながらそう言いました。
「まったくねえ、少しぐらい顔出せばいいのに……孝之ったら」
「…………」
「孝之くん、お腹すかないのかしら」
「いやぁ、放っておけばいいんですよ」
「でも……あ、そうそう」
どうにも微妙なその場の空気に、梨沙子は立ち去ることも座ることもできずにいたところ、梨沙子の母が思い出したように立ち上がり、キッチンへと入っていきました。
すぐに戻ってきたその手には、小さなお盆に店屋物らしい器とペットボトルのお茶が二つずつ用意されていました。
- 319 :『小さな恋の……』:2006/10/22(日) 01:11
-
「これ、まだ温かいから、持って行ってあげたらいいわね」
「ホントに、構わないのに……すいませんね」
「いいえ。久しぶりで気恥ずかしいんじゃないかしらね。さっ、行きましょ、りーちゃん」
「え? あっ、うん」
そう母に誘われて、梨沙子はその場を後にしました。
さっさと歩いていく母の背を見ながら、梨沙子は色々なことを考えてしまうのです。
孝之が戻ってきてくれたということ。
孝之が一人だけで家に残っているということ。
孝之の父のどこか複雑に見えた表情。
母がこうしてくれていること。
いずれの疑問も、今の梨沙子にとってはまだ答えを出すには難しいことでした。
- 320 :『小さな恋の……』:2006/10/22(日) 01:11
-
「さ、りーちゃん。行ってらっしゃい」
「え?」
我に返ってみれば、母は開いた隣家の玄関を背で押さえ、梨沙子に入れと促していました。
「えっと……」
「お母さんは忙しいから。一人で行ってらっしゃいな」
「あ〜……うん」
「色々話してらっしゃい。あっ、ケンカなんかしちゃだめよ」
クスクスと笑いながら言う母に、からかわれてると思った梨沙子は口をとがらせて言い返すのでした。
「しないもんっ。ケンカなんか」
「はいはい」
「もうっ、おかーさんキライっ」
「じゃあね。……頑張りなさい」
口をとがらせたままの梨沙子がお盆を受け取ると、入れ替わるように立ち位置を変えた母が扉を閉める直前にぽつりと言い残していきました。
- 321 :『小さな恋の……』:2006/10/22(日) 01:12
-
何を頑張るんだろう。
そう考えながら、靴を脱いで「おじゃましまぁす」と、ささやくような声で言いました。
前と同じだったら二階の奥が孝之の部屋だと、梨沙子はお盆を傾けないように注意してそろりと歩き出します。
まだまだ片付け終えていないらしい家の中を、きょろきょろと見回しながらもたどり着いた階段。
落としちゃいけないと、より慎重に、足音を忍ばせるように一歩一歩上っていくと、奥の部屋のドアに見慣れたものが掛けられていました。
『たかゆき』
ポップな字体の平仮名で、そう飾られたプレートは昔のままで、あまりに昔のまますぎて、思わず声を殺したままで笑いだしてしまう梨沙子でした。
ひとしきり笑った梨沙子は、手にしていたお盆を脇に置き、わずかに背筋を伸ばし、その表情までもやや硬くして、そっと一つ、ドアをたたきます。
数秒、中は静まりかえっているようで、それでいて返事もありません。
さっきよりも、ほんの少し強く二回。
- 322 :『小さな恋の……』:2006/10/22(日) 01:12
-
「はい?」
数秒で返ってきた声に、梨沙子は小さく身を震わせました。
それは、記憶の中のものよりも、ほんの少しだけ低くなっているように感じられたけれど、間違いなく……。
自分が間違えるはずがないと、そう自信を持って言えそうなほどに、耳に残った声でした。
「お母さん? 入っていいよ」
重ねられる声は、自分へ向けられてはいないけれど、自分に対してのもので。
ドキドキしてくる自分にも気がつかないままで、梨沙子は口を開くのでした。
「たかちゃん……」
- 323 :『小さな恋の……』:2006/10/22(日) 01:12
-
14
開かれたドアはただそれだけを意味するものではない。
ただそれが持つ別の意味まで理解はできないでいる、大人というにはほど遠い自分に確たる形を持たない歯痒さを感じる梨沙子でした。
「りさ、こ、ちゃん……」
ドアの向こうから姿を現した孝之は、三年の月日をすごしたことを感じさせました。
大きく伸びた身長も、少し低く変わった声も、子供らしさが抜けてきた表情も、その全てが会えずにいた時間を感じさせていて。
それでも……やはり梨沙子にとって、今目の前にいるのは孝之であり“たかちゃん”でした。
「たかちゃんっ」
飛び込むように埋めた距離、背中に廻した腕で強く抱きつく梨沙子は、孝之の胸に顔を押しつけて、ただ同じ言葉を繰り返すのでした。
「たかちゃん……たかちゃん、たかちゃん……」
- 324 :『小さな恋の……』:2006/10/22(日) 01:13
-
次第に小さくなっていく言葉は掠れながら潤んでいき、孝之は困惑の度を深めてやり場なく腕を宙にさまよわせていました。
涙に消された梨沙子の声に、さまよわせていた手をふわりとウェーブのかかった髪に落とす孝之。
そっと……零れる涙を拭うような優しさで髪を撫でる手は、溢れてしまった梨沙子の気持ちを落ち着かせるだけの温かさを持っていました。
「……コドモじゃないんだからっ」
久しぶりに会って、その上泣いてしまったことに感じた気恥ずかしさは、思いと逆の力を梨沙子の声に含ませます。
もっとこうしていたいと心の奥で思っていながら、すがりついていた身体を離してしまう裏腹な行動。
それを理解しているのか孝之は真面目な顔で「ごめんね」とだけ、潤んだ瞳で見上げてくる梨沙子に言うのでした。
「電話も教えてくれないで、手紙だって……」
「ごめん」
「イッパイ書いたのに……」
「ごめん」
「んんーぅ」
ふてくされるようにのどを鳴らして、同じ言葉を繰り返す孝之の胸を、小さな握り拳でパシパシ叩く梨沙子。
されるがままの孝之は、困ったような顔をして、やはり「ごめん」と繰り返しました。
- 325 :『小さな恋の……』:2006/10/22(日) 01:13
-
「たかちゃん、あやまってばっか」
「……そうだね」
その言葉に憮然と返した孝之に、クスクス笑い出した梨沙子。
そんな梨沙子を見て、ため息を一つもらした孝之もくすぐったそうに笑いました。
二人の抑えた笑い声だけが広がる部屋の中で、唐突に小さな異音が割り込みました。
「……ぐう?」
「…………」
言葉で発するならそんな音だと、そう口にした孝之と、その言葉に黙り込み俯いて顔を真っ赤にする梨沙子。
孝之は笑いを噛み殺しながら「なにかあるか見てくる」と言い残して部屋を出ようと動き出しました。
横をすり抜ける袖口を、きゅっと掴む梨沙子に動きを止められた孝之が「うん?」と問いかけるように梨沙子を見ます。
- 326 :『小さな恋の……』:2006/10/22(日) 01:14
-
「あるの」
「あるの?」
赤面したままの顔を隠すように俯いたままで、ぼそぼそと口にした梨沙子の言葉を、意味がわからずに繰り返した孝之。
梨沙子はこくんと頷き、部屋のドアを開けると、脇に置いてあったお盆を指さしました。
「あぁ」
そこに置いてあるものを見つけた孝之は、二つある丼物にそっと手を置くと納得したように頷いてくすりと笑いました。
「まだ少しあったかいや。食べよっか」
「……うん」
「あっ、そこ座って」
「……うん」
唯一片づいているベッドを指さして、まだ恥ずかしそうにしている梨沙子を座らせました。
その前に段ボールをテーブル代わりにしてお盆を置くと、孝之はその反対側の床へ直接座り込みます。
- 327 :『小さな恋の……』:2006/10/22(日) 01:14
-
「あっ……」
それを見咎めた梨沙子は小さな声を漏らし、軽く小首をかしげ、コホンと漫画のような咳払いを一つ。
それから孝之に視線を向けて、自分の隣をポンポンと叩いてみせました。
「…………」
それが何を意味しているのか理解していながらも、腰を上げようとしないでいる孝之。
座り込んだままで丼物を食べ始めようとする孝之を見て、「んんーっ」と催促をするように喉を鳴らした梨沙子は、強くパンパンと自身の横を叩きました。
- 328 :『小さな恋の……』:2006/10/22(日) 01:14
-
「……はいはい」
諦めたように苦笑しながら立ち上がった孝之が隣に腰を下ろすのを待って、ようやく梨沙子は満足げな笑顔を浮かべました。
それは孝之の苦笑をより強い物にすると同時に、より柔らかな物にさせる笑顔でした。
「えへへ♪」
十センチほどの距離に腰を下ろした孝之に、背中を預けるように半ばまで寄りかかった梨沙子は照れくさくも嬉しそうに笑います。
「……食べよ」
「うん♪」
満足げに箸を動かす梨沙子と、梨沙子が楽でいられるように少しだけ窮屈そうに箸を動かす孝之。
それは梨沙子にとって、三年の空白を埋めてくれる、温かくて心地よい時間だったのです。
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