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じゅきに あんkn@狩板

1 :今イ`:2002/09/03 13:58:23
笑え。

本家スレ「じゅきに あんkn」
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1030964092/l50

163 :名無し娘。 :2003/11/26(水) 22:38

この国は、戦後日本が3分割されたときから、親王様による君主制の下に国民の最低限の生活を国が保障し、
そのほかは自由に物を売買して良いということになっていた。
戦後の混乱時期に、国をひとつに纏め上げるための象徴としての君主制、そして社会主義と資本主義をブレンドした国。
それがこの国だった。戦後のこの地を治めていく上で、最高の選択だと教科書に書いてあった。
最低限の生活を保障されている国民は、それこそ自分のため、国のため、みんなが一つになって経済発展に邁進していた。
事実、戦後20年だけを見ると、復旧の早さは西や琉球王国を遥かにしのぐ勢いだったらしい。
でも、ベトナムで戦争が始まると、ソ連はこの国により強い影響を及ぼすようになり、
親王様を替え、社会主義…というよりソ連による占領の色を再び濃くしていった。

親王様といったって、二十歳に満たない女性ということと、その外見から、男の人には人気が高かった。
ロシアの王族の血を引くというクォーターの顔立ちは、男たちに言わせると天才的な美少女だった。
だから親王様のお言葉があると、翌日、村中の男たちが彼女のお言葉を呪文のように唱えていた。
でも、そのお言葉が彼女のものではなく、ソビエトの言葉に過ぎなかった。
そんなことは誰もわかっていることだったけど、もう、誰も口に出していうことはできなくなっていた。
口に出してしまうと、翌日の太陽を拝むことはできない…そう言われていたし、事実そうだった。

164 :名無し娘。 :2003/11/26(水) 22:39

小川があたしの横で、悲しそうな顔で子供たちを見ている。
「あの子達、もう…」
もう此処へは戻ってこないんだ。
うわさでは、その日のうちに穴の中に生き埋めにされるという話だ。
浮浪者を殺すのに、弾のひとつを使うことすら惜しいということらしい。
あの子達は、何のために生まれてきたんだろう…

でも、あの列にあたしがいないのは単に運がよかっただけだ。
あたしの両隣のお店の子供たちは、あたしが店に戻ったときには既にいなかった。
店は破壊され、ただひたすら泣いているおばちゃんとそれを遠巻きから眺めている小川がいた。

165 :名無し娘。 :2003/11/26(水) 22:39

小川は周りの子供を引き連れて逃げようとしたらしいが、子供たちは親から離れることを拒み、
結局、小川だけが逃げ延びてしまったのだ。

「安倍さん…あたし…」

小川はあたし姿を見つけると、涙をこぼし始めた。

「うん」

あたしはそっと小川の肩を抱きしめてやることしかできなかった。

166 :名無し娘。 :2003/11/26(水) 22:41



スミマセン…ネタスレにはまってました…

167 : :2003/11/27(木) 05:11
>>166
ワラタ 更新お疲れ様

168 :名無し娘。:2003/11/29(土) 05:09
今回も面白かったよ

169 :名無し娘。 :2003/11/29(土) 17:39

「あたし…あの子達助けてあげることができなかった…」

その晩、珍しく石黒さんの店で食事を取っていた。
四角いテーブルと不ぞろいの椅子がいくつも並んでいる。

「仕方ないよ」

あたしと小川はカウンターに座り、出されたビスケットを紅茶で流し込んでいた。

170 :名無し娘。 :2003/11/29(土) 17:40

「どうして仕方ないんですか?」
「それは…」
それは此処で言うことはできない。奥のテーブルには、まだ一組お客さんが残っていたし、
りんねさんも石黒さんも近くにいる。

「第一あんたそんなにあの子達と親しい訳じゃないっしょ」
「それはそうなんですけど…」

小川があの子達と特に親しいわけではなかった。
目が会うと挨拶するぐらいだった。話をしている姿を見たこともなかった。
そんな他人より、自分のことを考えないと生きていけないのに…。

171 :名無し娘。 :2003/11/29(土) 17:41

「小川の気持ちはわかるよ」
頬を伝う涙を掌で拭ってあげると、誇りまみれの頬がそこだけ少しきれいになっていた。

「でもさ、まず小川は自分のことを考えなくっちゃ」
「まこっちゃんは、誰かと違ってやさしいからね」
石黒さんが突然カウンター越しに、あたしたちの話に割り込んできた。

「なぁんですか?石黒さんは関係ないじゃないですか」
「関係なくはないよ。あたしはあんたらの宿主なんだからね」
「オーナーだからって、人の話に勝手に割り込んでこないでくださいよ。
大体あたしだって十分やさしいんです。こうやって小川の面倒も見てるし」

172 :名無し娘。 :2003/11/29(土) 17:43

あたしのどこが優しくないというの? 優しく…ないのかもしれない。
あたしは子供のころから、人の顔色ばかりを伺って生きてきた。
どうすれば、大人たちに褒められるかばかり考えてきた気がする。

ほら見て、なっちはこんなにおりこうさんでしょ?
ほら、このしぐさ、かわいいでしょ?
ほら、こんなにあなたのこと心配してあげているでしょ?

…全部が結局自分のため?…
でも…だから…

「あんたは、小川のことを何もわかっちゃいないんだよ」

そんな言葉が、あたしの体中を深く切り裂いていく。

「なぁ〜に言っちゃってるんだか。小川の気持ちぐらいわかります!」

石黒さんを睨もうと、少しカウンターに身を乗り出す。

173 :名無し娘。 :2003/11/29(土) 17:43

「あっありがとうございました。毎度ありがとうございます」

でも、石黒さんの視線は、あたしを通り過ぎて店の奥へと注がれていた。
片隅で食事をしていた二人組が帰るところだった。毛布で作ったコートを持ち、
ポケットからしわくちゃになったお金を取り出して数えている。
軍人なんだろうか?大柄で体格のいい男たちだ。栄養も行き届いているらしくて、顔つやもいい。

「また今度値上げするんだって?」客の一人があたしをちらりと見た後、石黒さんに声をかけていた。
「すいませんねぇ、仕入れがね…結構厳しいんですよ。」
「ほんとかよ?あるとこにはあるって聞くぜ。なぁ」
男がもう一人の男を振り返り同意を求めた。その男はああと短く答えて、帽子を深くかぶった。
「すみませんね。ほかは知らないですけど、うちは厳しいんですよ。でも、うちの料理人は一流ですから
味は保障しますよ」
「味なんて良いんだよ。量が大事なんだよ量が」「おい、いくぞ」
帽子をかぶった男が背を丸めながら外へ出て行くと、それに続く。
「量ふやせよ。俺たちは国のために働いてるんだから」
背中でドアを押しながら、石黒さんを指差しながら出て行った。

174 :名無し娘。 :2003/11/29(土) 17:43

「軍人がせこいこと言ってんじゃねえっつーの」
石黒さんは、男たちの皿を片付けながら毒ついた。

「あの人たち軍人なんですか?」
「まあね。ここいらに駐留してるいけすかない連中さ。
それより、なんだっけ?…まこっちゃんのことだっけ?」
「まあそんな感じの…」「あんたが優しくないって話だっけ?」「そっ…」

あたしが反論しようとすると、石黒さんが右手でそれを制止した。

「そんな話はともかく、ちょっと話があるんだけど」
「話って?」
「うん、まあ取り敢えず圭織たちを呼んできてよ。話はそれから…
まこっちゃん、呼んできてよ」
「はい」

175 :名無し娘。 :2003/11/29(土) 17:44
みんな集めて何を話そうというのだろうか?
圭織が夜中になんかしていることと関係あるの?

「発電機止めてて来るね」

石黒さんがろうそくに火をともすと、あたしの前にひとつ置いてくれた。

「紅茶飲む?」
「うん」
「ミルク入れる?」
「ううん」

紅茶を入れてくれると、石黒さんは軽く手で挨拶し外へ出て行った。
しばらくすると、照明の光はゆっくりと勢いをなくし、闇の中に吸い込まれていく。
ろうそくの火が、それに替わり淡い炎を揺らめかせ始めた。
厨房ではまだ、りんねさんがお皿を洗う音が聞こえてきた。

176 : :2003/12/07(日) 02:44
おもしろい。一気に読んだ。期待期待。

177 :名無し?:2003/12/12(金) 21:49
蛇の生殺し状態の更新まち

178 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:20
圭織と紺野が降りてきた。
ずいぶん元気になってはいるが、やはり紺野の足元はまだ覚束ない。
先に降りた圭織が、紺野の手を引いてあげている。
紺野が降りたのを確認すると、2〜3段上から小川が飛び降りた。
暗い階段で足元も良く見えないのにって思った瞬間、案の定小川はバランスを崩して
紺野の横に無様に転がってしまった。

「えへへへ」
「もう、びっくりするじゃない」

紺野が大きな瞳をさらにでっかくしながら手を差し伸べると、小川はそれにつかまって立ち上がった。
3人は手をつないだまま一列に並んで店へと入ってきた。

179 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:20

「いつまで仲良く手つないでるの?」
「えっ?」

手を離すと交互に顔を見詰め合って、ニヤニヤしている。

「ばっかみたい」

腹が立つ、むかつく。
大事な話があるっていってるのに、なにニヤニヤしてるんだろう。

180 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:21

「さてと…先ず何から話そっかな」

全員が席に着くと、石黒さんが口を開いた。
カウンターに右からあたし、小川、紺野、圭織と座り、石黒さんがあたしらと対面するように
カウンターの奥側に陣取っていた。

「まあ、とりあえずあんたらもなんか飲む?」
「ホットミルクを…」「あたしもおんなじ物で」
「圭織は?」
「ウォッカ」
「圭織飲み過ぎないでよ」

そういうと、後ろの棚からウォッカのビンを取り出してコップに注いだ。

181 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:21

「はい、圭織。まこっちゃんたちのは、りんねに今暖めてもらってるから、もうちょっと待っててね」
「はい」

しばらくすると、りんねさんが厨房からホットミルクを二つ持ってきた。
彼女はいつも怒っている感じがする。圭織も口数が少ないけど、りんねさんは更に少ない。
でも、圭織と異なり、クールというか冷たい感じじゃなくって、何か熱いものを内に秘めている感じがする。

「ありがとうございます」

小川たちの言葉にも何も返さずに、そのまま奥の席にすわると、たばこに火をつけた。
その炎に顔が仄かに照らされている。

182 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:21

「さてと、じゃあまずまこっちゃんからだよね」
「あたしですか?」
「そうよ。この話を聞くことがまこっちゃんの人生を左右するかもしれないんだからね。
…どうする?」
小川は直ぐには決めかねるのか、ミルクの入ったカップをじっと見つめている。
「どんな話ですか?」
「まこっちゃんは、無理やりっていうか…ここに連れてこられたでしょ?」
「う〜ん、そんな無理やりじゃないっすよ。それにあたし、安倍さんたちのこと好きですから」
「あんた馬鹿じゃないの?あたしらは小川のこと拉致したんだよ?」
言われた瞬間、顔が赤くなるのが自分でも解った。

「でも…好きなんだもん」
「馬鹿みたい…」

恥ずかしかった。別にあたしのことを好きだといってるわけじゃないことは解ってる。
小川は安倍さんたちと言ったんで、それは圭織や紺野のことで、本当はそこにあたしは含まれないのかもしれない。
でも、真直ぐあたしを見る小川に、それ以上厭味を言うことができなかった。
だから、あたしは俯いて馬鹿みたいと呟くしかなかった。

183 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:22

「まあまあ、それは兎も角、まこっちゃんって西に行きたい?」
「えっ…考えたことないです…」
「ん〜やっぱり…。ねえ、まこっちゃんってさぁ西の人だったんだよね」
「はい」
「ん〜、こっち来た時に再教育受けたんだよね」

「…ん…」

小川の表情が急に暗くなった。口をぎゅっと閉じ、俯いた瞳が激しく動いている。
やっぱり、と思った。小川は思い出したくないんだ。
再教育がどんなふうにやられているかというのは、噂で少しは聞いていた。

184 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:22

「まこっちゃん…」
石黒さんが小川の顔を覗き込むと、小川はその視線を避けるように顔を背けた。

「親王様!」

突然、石黒さんが声を張り上げると、小川は条件反射的に姿勢を正そうとした。

「…を裏切るようなことになるかもしれないんだけど…話聞く?」
「ちょっと待ってよ。そんな話なの?そんな危険な話聞きたくない」
「あんたたちには選択の余地はないの」
「なんでよ」
「西に行くんでしょ?」「いくわよ」
「じゃあ聞きなさい」

命令口調が気に入らないあたしは、口を尖らせながら小さな声で文句を言っていた。

185 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:23

「っで、まこっちゃんどうする?突然で悪いんだけどさ」
「ねえ、小川は別にあたしらに付き合って危ない橋を渡る必要なんてないし」
「西行くなら100万円用意しないといけないんだよ。小川には無理っしょ?」
「なっちは黙ってって」
「なによ〜。本当のことじゃない」
「まあ、いいから」

なんであたしが圭織と石黒さんの二人から窘められなくっちゃならないのか、全然解らない。
大体なんでそんな重要な話を、あたしに先にしてくれていないんだろう。

186 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:23

「小川は今夜席をはずしててくれないかな?もしあたしたちとさ、行動を共にしたいと思ったら
そのとき、話すから」
「あたし話し聞きます」
「いいの?親王様に逆らうことになるかもしれないのよ?」
「それは…」
「西に行きたい?」
「…わかりません。でも、みんなのお手伝いをしたいから、飯田さんや安倍さんやあさ美ちゃん
の役に立つなら…」

小川は本気でそんなこと思っているんだろうか?
自分が生きていくので精一杯という時代に、何を甘いことを言っているんだろうか?
そんなことじゃ生きてなんかいけないんだから。

「本当にいいの?」

圭織が尋ねると、小川は小さくうなづいた。

「じゃあ決まりね。…いい?」
「うん」
石黒さんが圭織に確認をすると、後ろのテーブルでタバコを吸っていたりんねさんを見た。
あたしは当然りんねさんは出て行くんだと思ったんだけど、りんねさんは自分のテーブルのろうそくを消すと、
カウンターの隅へと席を移した。

187 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:24

「まず、どっから話せばいいのかな?」
「お金のとこから」
「そうだね」
「お金って、西に行くためのお金?」
「そう、そのお金のこと。そのお金をね、全部あたしにくれないかなってね」
「冗談じゃないべさ!なんで石黒さんなんかにあげないといけないのよ。あれはあたしが西に行くためのお金なんだよ。
それをなんであげないといけないんだべさ。あたしがどんなに苦労して稼いだのかわかってる?」
「ほとんどが圭織のお金でしょ?」「それはそうだけど…」
「ただ貰うんじゃなくって、そのお金をくれるんだったら、あたしたちが西に連れて行ってあげるってこと」
「えっ?なんで?なんで石黒さんが?」
「今全部でいくらあるか知ってる?」

驚いているあたしらとは違い、全部石黒さんと話し合って決めた圭織は、いつもと同じように静かな物言いで
あたしに尋ねてきた。ムカツク。

188 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:24

「210万円ぐらい?」
圭織の200万円と、あたしが稼いだのが10万ぐらいあるはずだ。
「185万ちょいぐらい」「なんで?だって…」「紺野の治療費が結構かかったのよ」
「紺野!?」

あたしが悲鳴にも近い声で紺野を呼ぶと、紺野が圭織の影に隠れた。
10万あたしが稼いでいる間に、一体紺野にいくら使ったんだろう。一体あたしは何のために働いていたのよ。
大体、圭織は初めから石黒さんに頼むつもりだったに違いないんだ。あたしが苦労しながら働く姿を見て
笑ってたに違いないんだ。ムカツクムカツク!

「今あるお金では、2人が西に行くのでギリギリなの。だから、彩に頼もうと思うの」
「でね、いろいろと考えると、ちょっと足らないかな〜と思うの、お金が…
でね、ちょっと手伝ってもらいたいのよ」
「手伝いって?」
「うん、たいしたことないよ。ちょっとどけ…」


ちょっとだけ…なんてわけないんだろうなって、そのとき、すでに気付いていた。
でも、あたしにはどうにもできないってこともわかってた。
だから、あたしは石黒さんに手を貸すことに決めたんだ。

189 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:26
すみません、お待たせしました。更新です。

190 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:36
すみませんochi機能ないんですね…あげてしまってスミマセン…

191 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:37
supersageでちょこっと下がるんですね

192 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:52
さがれ〜

193 :名無し娘。:2003/12/14(日) 17:54
読んでいただいている方ありがとうございます。
また、更新遅くてすんません。

194 :名無し娘。:2003/12/15(月) 21:53
読んでるよー。おもしろいよー。

195 :名無し娘。:2003/12/15(月) 21:54
>>194
ありがとうございま〜す

196 :名無し娘。:2003/12/24(水) 23:32

親王様が仙台駅から姿を現すと、駅前の広場が歓声に包まれた。
歓声というより、爆音に全身が共振したと言った方がいいかもしれない。
兎に角、今まで生きていた中で一番おっきな音がしていた。
あたしの位置からは親王様の顔まではっきり見えないけど、そんなに大きくない女の子が、
10人以上の男の人たちに囲まれて、ゆっくりと階段を移動していた。
あちこちから「親王様万歳」の声があがっている。
ここに来ている男の人も女の人も子供も大人も金持ちも貧乏な人も、みんながただ一点を凝視している姿は、
ちょっと異常な感じがする。
横に居る紺野や小川も必死で親王様の姿を眼で追っていた。
この日まで待とうといったのはあたしだったけど、親王様の姿を見たいと言ったのはあたしだったけど、
駅から出てきた姿を見た瞬間から、あたしは興味を無くしてしまった。
あたしが見ているのは、囚われて囲われたひとりのかわいそうな女性、そしてターゲット…

197 :名無し娘。:2003/12/24(水) 23:32

「いくよ」

石黒さんが、あたしの耳元で囁いた。
あたしは前を見たまま人々のゆっくりと下がり、紺野の手を引いて人々の垣根から離れていった。
誰一人あたしたちが離れていくことなんか気に留めていない。
警官たちが監視をしているけど、それは列から飛び出してくるものや銃で狙っているものが居ないかを見てるんで
人ごみからただ離れていくものに注意を注ぐわけがなかった。

本当は今頃仙台を離れているはずだったんだけど、どうしても親王様をこの眼で一度見ておきたかった。
石黒さんが言うには、そのときになれば、いやというほど見られるらしいんだけど、あたしはこの時期だからこそ
見ておく必要があると思った。

198 :名無し娘。:2003/12/24(水) 23:33

「紺野どう思った?親王様」
「ん〜なんかすごいなぁ〜って思いました」
「すごいって?」
「ん〜分からないんですけど、なんかこう…なんか…」
「そう…小川は?」
「かわいいですよね。もう、すっごーいオーラが出てますよね」

これだけの人を熱狂させるんだから、それなりのオーラはあるんだ。
でも、彼女じゃ駄目なんだって、石黒さんは言っていた。
あたしには分からないけど、そういうものなんだと圭織も言っていた。
国を変えるには、彼女ではダメなんだって。

199 :名無し娘。:2003/12/24(水) 23:33

国を変えるなんて、あたしは考えたことはなかったし、そんなことができるとは思っていなかった。
第一、そんなの考えるだけで国賊として捕まるし…

でも、石黒さんはできると断言した。
今やらなきゃいけないんだって。

「手伝います、西に連れてってくれるなら」

そうは言ったものの、親王様に逆らうなんてあたしにできるわけ無いよ。
ただ少しだけ手伝うだけなんだ。脅されて無理やりやっているだけだから、きっと捕まっても許してくれるよ。
きっと…だから、もうちょっとだけ我慢しようと決めたんだ。
成田に向かう、そこで手配人に会って西に渡してもらう。
西にはあたしの幸せが待っている。自由な生活が待っているんだ。

空を見上げると、低く立ち込めた雲から白い雪が降ってきた。
あたしはコートの襟を立てて、足早に圭織の後を追っていった。
これが今年最後の雪だ。
この国で見る最後の雪が、あたしの掌へと舞い降りてきた。

200 :名無し娘。:2003/12/25(木) 02:25
更新乙です。誰なんでしょうね。気になりますね。

201 :名無し娘。:2003/12/26(金) 02:44
ふむふむ。続きが気になる…

202 :名無し娘。:2004/01/07(水) 10:19
一気読みしました。おもしろい!
作者さん頑張ってください!

203 :名無し娘。:2004/01/08(木) 21:10
雪はまだ降っている。
でも、この気温じゃ積もることは無い。雪は道に触れた瞬間、白い雪が透明に変わり、
そのまま解けていく。
路肩に少しだけ積もる雪も、雪というよりシャーベット状の塊に過ぎなかった。

204 :名無し娘。:2004/01/08(木) 21:13
仙台を出てしばらくすると、舗装道路は穴だらけに変わった。
陥没だらけの道路は何年も直された気配もなく、その数をどんどん増やすいっぽうで、
あたしたちを乗せたトラックは、その穴を避けながら走るため、道を右へ左へと蛇行し、
斜めに大きく傾き、時には上下に激しく揺れた。
初めは体が跳ね上がるたびにキャーキャー騒いでいたんだけど、それも直ぐに静まり、
荷台にしがみついてひたすら下を見て耐えるしかなかった。

トラックどころか、車になんか乗る機会のほとんどなかったあたしとか紺野のは、
1時間もしないうちに完全に乗り物酔いをしてしまい、何度ももどしていた。
小川があたしの背中を擦ってくれるんだけど、そんなことで良くなるわけが無くって、
それを逆に煩わしく思ったあたしは、つい小川の手を振り払ってしまった。

「あたしはいいいから、紺野を見てあげて」

手を振り払われた瞬間、小川は一瞬ビクッ体を硬直させたけど、それでもまだ心配げに
あたしを見ている小川に、さすがにあたしもバツが悪くなった。

りんねさんが膝の間から顔を持ち上げ、あたしを一瞥した。

205 :名無し娘。:2004/01/08(木) 21:15
この道路は、まるでこの国のようだ。
出来た当時は立派で快適だったのに、此処に穴がひとつ開き、あそこに穴がひとつ開き…
修復が出来るうちは、まだ良かったんだけど、修理が出来なくなると後は荒れるに任せるだけ。
修理できなくなった理由は色々あるけど、一番の理由はソ連が崩壊したこと。
でも、前兆はその前からあった。
そのきっかけが今の親王様の即位だと、石黒さんが言っていた。

「血がね…」

戦後GHQの占領の後、分割されたあたしの国はソ連の配下に置かれ、ソ連の一地方になるのを待つだけだった。
それを阻止し、独立へと導いたのが直樹親王様だった。
直樹親王様は将門様の血を今に受け継ぐといわれている。それは独立を進めているときも独立後も何度も議論となったけど、
1965年に成田大学の教授を中心とするグループによって、真実と確認された。
本当はそんなことはどうでもよかったのかもしれない。
あの時代、直樹親王様は見事なまでに国民をまとめあげ、導いてくれた。
それは将門様の血だけではなく、実力があったからだ。

206 :名無し娘。:2004/01/08(木) 21:20

「でも、ひとみ親王様も将門様と血が繋がっているって言ってたっしょ」
「学校の先生がね」
「違うの?」
「違わないかもしれない」
「どっちよー」
「彼女が選ばれたのは、将門との繋がりなんかじゃなくって、ロシア皇室の血が流れているということが重要なんだよ」
「知ってる。ニコライ2世の子孫だって」
「ニコライの娘タチアナが、ヘッセン大公が娘エリザベートが死んだときに棺に入れたという白いモーニング・ジュエリーと
同じものをヘッセン大公から貰い、それを彼女が受け継いでいるって話でしょ?」
「うん」
「まあ、そんな話も眉唾もんなんだけど、ソビエト崩壊直後のあの時期に作り話にしろ、将門とロマノフ家の血を受け継ぐ
ものを日本の親王として戴冠させたロシア人もしたたかなもんさ」
「どうして?だって直樹親王様には子供がいなかったんだから、少しでも血の繋がりのあるものが継ぐのが当たり前じゃない」
「だからさ…」
「だから?」
「探しているのよ」
「なにを?」
「隠し子をね」
「隠し子!?」
「そう隠し子よ。西にいるといわれている隠し子を探すのを手伝ってくれるんなら、西につれてってあげる」


西で、前の親王様の隠し子を探すこと。
それが、あたしを西に連れて行く条件だった。
顔も名前もわからないどころか、本当に居るのかどうかもわからない人を探すなんてできるのだろうか?
でも、別にあたしが探し出さなくてもいいんだ。ただ手伝えばいいだけなんだもん。

207 :名無し娘。:2004/01/08(木) 21:22
前の親王様が崩御されたとき、既にソビエトは崩壊していた。
バルト三国がロシアと袂を分かち、ロシアの内外とも混沌としているとき、親王様は崩御なされた。
ロシアが日本に影響力を与えたいと考えるのは、すごく当たり前だったんだろうし、
ついでにそのころソビエト国内で台頭してきたロマノフ王朝時代への懐古主義者たちの目を逸らし、
しかも将門様とも血の繋がった女の子…
そう考えると、余りにもできすぎた話なのかもしれない。

「でも、その隠し子を探し出したからって、日本がよくなるの?」
「それはわからない。でも、一人一人がどうすれば国が良くなるかを考えればきっと良くなると思うんだ。
あたしたちは、そのきっかけとしての強烈なシンボルがほしいの。国民をひとつにするぐらい強烈な
シンボルとしての指導者がほしいの」
「だったら、石黒さんがなればいいじゃないですか」
「あたしに将門の血が流れていれば、迷わずそうしたわよ。でも、あたしにはその血は流れていない。
この国の人はね、将門が好きなのよ。朝廷に反抗して東国を打ち立てた将門がね。
そして、ソ連の手に落ちるのを阻止して、西より先に日本国として独立を宣言した直樹親王が好きなのよ、
未だにね。だから、直樹親王の血を持つ親王が必要なのよ。ロシアのクォーターじゃなくってね」


こんな国がどうなろうとも、あたしにとってはどうでもいい。どっちにしたって、ここにはあたしの幸せは
ないんだし、この国が変わるのを待っていたら、あたしおばあちゃんになっちゃう。

トラックは揺れ続け、あたしはもう胃液すら吐くことができないまま嘔吐を続けている。
いつの間にかトラックの帆に雨粒が打ちつけられ、重い音を立てていた。

雪は雨に変わっていた。

208 :名無し娘。:2004/01/08(木) 21:26

∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇ ∇

209 :名無し娘。:2004/01/08(木) 21:28
あけおめです。
レスありがとうございました。すごく励みになります。
いつも更新遅くてすみません。のんびりとお待ちください。

210 :名無し娘。:2004/01/08(木) 21:31
それと少しだけお断りを・・・
この物語はフィクションですので、史実と異なることが多々多々多々ありますが
あまり気にしないでください・・・

211 :名無し娘。:2004/01/09(金) 01:11
更新お疲れ様です。
親王様の正体はちょっと意外でした。

212 :名無し娘。:2004/01/09(金) 01:35
更新乙です。
うぁー、想像もしてなかった展開でビクーリ。
そういう背景世界の作りこみというか好きです。
マターリがんがってください。

213 :名無し娘。:2004/01/27(火) 08:11
ちょいと保全

214 :名無し娘。:2004/01/29(木) 00:44
トラックの荷台が、あたしの体から体温を奪っていく。
いつの間にねむってしまったんだろう。体には饐えた臭いのする毛布が掛けられていた。
トラックの中はまだ暗く、相変わらず酷くゆれていた。
何人もの体臭をしみこませたボロ雑巾のような毛布は、ごみ山を思い出させる。
いやな臭いだ。いい思い出なんかひとつもありゃしない。
でもひょっとしたら、この臭いはもうあたしの体に染み付いていて、二度と取れなくなっているのかもしれない。
そう思うと、いてもたってもいられず、慌てて毛布の臭いと自分の右腕の臭いを嗅ぎ比べてみた。
よしっ!まだ大丈夫…あたしの感覚がおかしくなっていなければ、まだ大丈夫…大丈夫なんだ。
自分のそう言い聞かせること自体悲しいことだけど、そうしないではいられないんだ。

215 :名無し娘。:2004/01/29(木) 00:46
滑り落ちる毛布を片手で押さえ半身を起こすと、同じような格好でねむっている紺野が目に入ってきた。
相変わらずあの大きなザックを大事そうに抱えている。

「安倍さん、起きたんですか?」

小川が車の騒音に負けないくらいの大きな声を出した。

「バカ、紺野まだ眠ってるっしょ」
「すんません」

トラックはまだ走り続けていた。
こんな振動している中で、よく寝ていられたよと自分ながら関心してしまう。

「今どこら辺なの?」
「さっき茨城県に入ったそうです」
「そう…ねえ…今何時?」
「あ〜時計無いんで…」
「そう…」

立ち上がると足元がふらついた。右に2〜3歩よろけて幌に手をつきながら運転席の後ろまで
たどり着くと、小さな窓をスライドさせた。

216 :名無し娘。:2004/01/29(木) 00:48
運転をしてたのは圭織だった。
ミラー越しに彼女の顔が見える。
すぐ後ろの窓を開けたのに、目線すら動かさない。

「なんだ、起きてたんだ」
石黒さんが不自然な格好で、あたしに顔を向けた。
「いえ、今まで寝てました」
「そう…で、どうしたの?」
「あっ…え〜と、今何時かと思って」
「あ〜1時を過ぎたところだね」

仙台を出て、もう12時間が過ぎようとしている。それなのに、まだ成田にたどり着かないなんて、なんてことなの?
仙台から成田まで10時間もあれば着くって、圭織も言ってたのに…

「ずっと、運転しっぱなし?」
「2回ほど休憩したけど?あんたら寝てたから気づかなかったんだね」
やっぱり。だから遅れてるんだ。あたしたちが寝ているのをいいことに、どっかでお茶でも飲んでたんだ。
「後どのぐらいで成田なの?」
「朝だね。まあとりあえず、暗いうちに岩井からは遠ざかりたいからね」

217 :名無し娘。:2004/01/29(木) 00:48

岩井には皇居がある。親王様が仙台にいるとはいえ、警備はすごく厳しい。
皇居から半径10キロぐらいは、限られた人しか入ることすらできないらしい。
あたしたちは、その外側を通ろうとしているんだけど、それでも今までの何倍もの警察がいることには違いなかった。
だから、暗いうちに通り抜けてしまいたかった。まだ1時だから、夜が明けるまでには時間がある。
でも、あたしとしては一刻も早く通り抜けてしまいたかった。

218 :名無し娘。:2004/01/29(木) 00:50
トラックが突然大きく揺れた。
あたしは、はじけ飛ばされそうになったけど、なんとか右手で窓枠を掴んだ。

「ちょっと〜圭織、気をつけて運転してよ。転んで頭でも打ったら死んじゃうかもしれないじゃない」
「そう…ごめんね」

圭織はすまなそうな顔をするでもなく、ミラー越しにあたしをチラッとみるとすぐ運転に戻ってしまった。

「ねえ、ちょっと〜聞いてんの?」
「紺野は大丈夫?」
「紺野じゃなくってさ!…大丈夫みたいだけど」

振り返ると、紺野が目を覚ましていた。
傍らに小川がいた。何を話してるんだろう、楽しそうに微笑みあっている。

「紺野起きたの?まだ先は長いから寝てなさい。ほら、小川も寝れるときに寝とかないと」
「ぷっ」
「なんですか?石黒さん。何がおかしいんですか?」
「いや別に」

そう言い終わって前を向いても石黒さんは笑っていた。
なによ!何が言いたいのさ。ちょっと年上だからって大人ぶっちゃってさ。

219 :名無し娘。:2004/01/29(木) 00:51
「あんたってさ、自分が中心にいないと気がすまない性質なんだね」
「そんなことないよ。ちゃんとさ、みんなのこと考えているし」
「まあ、あんたはそう思ってやってるのかもしれないけどね」
「どういう意味よ。もう、ひっどい、ホント失礼しちゃうんだから。あたしはねぇ、ホン〜トみんなのこと考えてるんだから」
「ふ〜ん、そうなんだ」
「なによ〜、なんか文句ある?」
「別に〜」

「あ、安倍さんは本当にやさしいんですよ。あたしに闇市でどういう風に売れば高く売れるか
教えてくれたし、どうやって安く買うかとか、ホントちゃんと教えてくれたし…
ま、マフラーだって買ってくれたし…」

小川がいつの間にか、あたしの横にいた。
いつもの大きな声をさらに大きくし、鼻の穴を大きくして、息を荒立てている。

220 :名無し娘。:2004/01/29(木) 00:53
「何興奮してるんだべさ、小川は」
「別に興奮なんかしてないっすよ。ただ石黒さんが安倍さんのこと悪く言うから、怒ってるだけっすよ」
「あ、ありがとう…」
「そんなお礼なんてとんでもない。石黒さんが悪いんですから」
「どうもすみませんね」

前を見たままだ。

ヘッドライトに照らされる道は、もうずいぶん前から畦道に変わっていた。
トラックが漸く通れるほどの細い道は、わだちが列車のレールみたいに続いていた。
森が道を覆っている。森のトンネルというよりは、魔物の口の中を走っているみたいだった。
圭織は、あたしたちをその奥へと連れて行こうとしている。行き着く先は魔物の胃袋なのかもしれない。
ここで飛び降りれば、まだ間に合うのかもしれない。
この先に待っているのは暗闇ばかりだ。絶対そうなんだ。
でも、あの角を廻れば、幸せが待っているかもしれない。
ここは地獄だ。どこに行こうと、ここにいるよりはマシ…なんだ。

たぶん…

「石黒さん、すんません、おしっこいきたいんすけど」
「え〜まこっちゃん我慢できないの?」
「ちょっと難しいです」
「ん〜どうする?圭織」
「後30分待てない?」
「ん〜待てないかも知れないっす」

金属音を響かせながら、トラックはゆっくりと止まった。

221 :名無し娘。:2004/01/29(木) 00:54
エンジンが止まっても、まだ体がトラックの揺れを持続させていた。
外に出ようと幌を開けようとしたら、りんねさんに止められた。
彼女はポケットから小さな懐中電灯を取り出すと、銃を肩に掛けなおした。
銃は軍人がよく持っているタイプのものだった。どこでそんな物騒なものを調達してきたのか、
このほかに3丁ほど銃があった。
手に持つ小さいのが2つに、りんねさんが持っているような長いものが2つ…
3つはわかるんだけど、あとひとつは誰が使うというんだろう?

あたしはいやだ。
あんなものがあるから、世の中がおかしくなるんだ。
小川の時だって、小川が銃を持っていなければ、あんな危険な目に会うこともなかったんだ。
そっか、小川がまた銃を持つんだ。

222 :名無し娘。:2004/01/29(木) 00:56
りんねさんが幌をめくり周りの安全を確認すると、トラックから降りていった。

「いいよ、降りても」

その言葉を待っていたかのように小川がトラックを飛び降りていった。

「遠くに行かないでね」

りんねさんが小川に声を掛けるが、小川の返事は既に森の奥から聞こえてきた。
あたしはトラックを降りると、紺野の手を取って降ろしてあげた。

真っ暗で何も見えない。
漆黒の闇はそんなに珍しいことじゃないけど、ここは少しおっかない気がした。

「まこっちゃん、ひとりで森の中に行っちゃたんですか?」
「そうみたいね。紺野一緒に行く?」
「ん…あたしは別に…」
「何言ってるのよ。一緒に行くの。ほら、懐中電灯借りて来て」
「あっはい」

紺野がりんねさんから懐中電灯を借りると、紺野を先に森の中に入っていった。

223 :名無し娘。:2004/01/29(木) 00:57

「足元気をつけてください」

道を外れると地面は一段低くなっていた。
思ったより落ち葉が少なかった。足の裏は直接湿った地面を踏みしめた。

「紺野、その辺でちょっと待ってて」

こんな真っ暗なんだから、そんなに奥に行く必要はなかった。
あたしは紺野から少し離れたところにしゃがむと用を足した。
しゃがんでいる間、紺野が持つ明かりばかりを見ていた。

銃じゃなくって、懐中電灯ぐらいもっと用意しなさいよ。
でも、自分がしているところを明かりで照らすのもかっこ悪いか…

224 :名無し娘。:2004/01/29(木) 00:59

「安倍さ〜ん」

立ち上がって身を整えていると不意に声を掛けられた。

「ひゃぁあ〜!…もう〜小川びっくりするべさ。なっち心臓が止まったかと思ったよ」

危うくあたしは自分がぬらした地面に腰を下ろすところだった。
小川は何をやってもタイミングの悪い子だ。彼女が悪いのかそれともそういう運命の元に生まれてきたのか、
兎に角いやなタイミングであたしの嫌がることを次から次へとやってのけてくれる。
本当はわざとやっているんじゃないかと疑いたくなるけど、小川にそんな器用なことができわけがなく、
嫌な思いばかり募っていく気がした。

「安倍さ〜ん」
「なによ、もう!なんだべさ」


「うぅ〜安倍さ〜ん…ごめんなさい」
泣いている?

「何言って…あっ!」

225 :名無し娘。:2004/01/29(木) 01:01
気づくのが遅かった。小川の声の所為で油断したのがいけなかった。
小川は羽交い絞めにされていた。暗闇でよく見えないけど、180cmを超える男のようだ。
その両脇から二つの影が飛び出した時、あたしはもう一度しゃがみこむぐらいしかできなかった。
二人の男があたしの体を持ち上げようとしていた。

叫ばなきゃ!

声を出そうとするんだけど、喉がうまく開かない。ヒューヒューという音だけが出てくる。
一人があたしの口を押さえようとした。
あたしは首を振りながら、紺野の明かりを探した。

「こ、紺野!助けて!」

なんとか声を絞り出すと、紺野が明かりをこちらに向けてあたしの姿を探しているのが見えた。

「圭織!」

口はふさがれてしまったが、それでも叫ぶのを止めなかった。
すぐ横で、小川も同じように叫んでいる。
助けて!助けて圭織!助けて石黒さん!
あたしの足を抱えていた男が紺野の方に走っていくと、紺野はあたしたちを置いて逃げ出す姿が見えた。

「紺野〜!」

紺野の明かりが見えなくなった。
あたしたちが森の奥へと連れて行かれたからだ。

「なっち!小川!」

圭織の叫び声と銃声が聞こえる。
それも徐々に遠くなっていく。

226 :名無し娘。:2004/01/29(木) 20:57
更新Z

うぁっ!こんなとこで終わるなんて…
どうなるんだろう…ワクワク

227 :名無し娘。:2004/02/01(日) 17:18
質問です。3つに分かれているんですか?

228 :名無し娘。:2004/02/03(火) 23:56
いつも読んでいただいてありがとうございます。

質問の件ですが >>163 で3分割と書かれている点のことでしょうか?
答えはYesです。東と西と+αです。書き間違えではないです。
もっとも、もうひとつの国については、当分出てくる予定はありません。
たぶん西での話で少しだけ出てくる予定ですが、あまり本編とは係わりないかもしれません。
ばいぽーら(二極性)だから当然東西じゃねーのかと思われるかもしれませんが、
安倍の中ではもうひとつの国はあまり関係なく、今が地獄で西が天国ということで・・・。

日本列島の光と影、安倍の中の陰と陽、登場人物それぞれのばいぽーらが書ければと思っております。

229 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:13

古いこのぼろ屋には不釣合いなほど重厚な扉が押し開けられた。
部屋の中は真っ暗だった。窓ひとつないのだろうか。
それより何?この臭いは。
酷いというのをとっくに通り過ぎて吐きそうになる。ごみ山ですらこんな臭いはしなかった。
汚物に頭ごと突っ込んだ方がマシだと思う。
背中を押されて一歩部屋に踏み込むと、その臭いの酷さが増した気がした。
それにすごく蒸し暑い。蒸した毛布でも体に掛けられたのかと勘違いするほど濃厚だ。
空気と言うより、腐ったスープの中にでも迷い込んだようだ。

230 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:14


そして…

人だ

231 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:15

そんなに大きくない部屋に数え切れない人が犇めき合っていた。
扉から差し込む光に目だけが無数に浮かび上がった。
それを見たんだろう、後ろで小川が悲鳴を上げた。
どの瞳も焦点が合っていない。あたしたちを見ているようで、どこも見ていなかった。
ただこちらを向いているだけの目玉が、こんなにも不気味なものなんだと初めて知った。

「突っ立ってないで、さっさと入らんか」

また小川が短い悲鳴を上げると、あたしは小川に押されて部屋の中に転がりこんだ。
床に倒れこんだんじゃない。人の上に圧し掛かってしまった。

「ごめんなさい」

誤って立ち上がろうとするが、足を置く場所すらない状態だった。
みんな小さく丸まっているのに、背中と背中はくっつき合い。腕と腕は密着していた。
何とか片足を床につけると、座っている誰かに押し上げられて何と片足立ちすることができた。
もう一方の足を下ろす場所を探していると、後ろで無常にも扉が閉じられてしまった。

232 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:15

真っ暗

何も見えない。
あたしは片足立ちしたまま、どうすることもなく立っていると足を押された。
「あっち」「あっち行くんだよ」
誰かの足を踏み、誰かのひざの上に乗り上げ、よつんばになりながら、押されるがままに部屋の隅へと辿り着いた。
あたしのすぐ後を同じように押された小川がやってきた。
小川の腕を引っ張っり引き寄せた。

「すんません、 あっ」

あたしの目の前に立ったはずの小川が突然消えた。
腕を持ったままだったんで、あたしは腕を床まで引っ張られ片足を突いた。

233 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:16

「どうしたの?」
「いった〜」
「大丈夫?どうしたのよ」
「いや〜、なんか穴ぼこに片足おっこちちゃったんすよ」
「穴?」
「はい」

部屋の片隅に穴が開いていた。足でその穴を確認すると幅30センチぐらいのちょっとだ円形の形をしていた。
穴の周りは濡れていた。何かヌルっとした物を踏んだ。
兎に角此処しか場所がないようだった。二人でここに立っているしかないようだ。
小川があたしの腕にしがみつく。乳房が直接あたしの腕に押し付けられていた。
あたしたちは裸だった。あたしたちだけじゃない。ここにいる人たち全員が多分何も身に着けていないと思う。
万が一ここを脱走しても、裸のままじゃどこにもいけない。
恥ずかしいのを我慢したって、外はまだ裸でいるには寒すぎる。

234 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:16

あたしたちは此処に来るなり衣類を剥ぎ取られた。
犯される!と思ったが銃をつきつけられたままじゃ、抵抗することもできなかった。
でも、幸いと言うか犯されることはなかった。
その代わり血を採られ、いろんな検査を受けた。健康かどうかを確認するためらしい。
小川がそう教えてくれた。

健康であれば飼い主の予備の臓器として、健康でなければ玩具として
あたしたちは売られていくんだそうだ。

「父がそういったことに…ちょっと関わっていたから…」

小川の生い立ちはともかく、その知識が犯されるとか、殺されるとかという最悪の状態だけは回避することができた。
でも、それも時間を遅らせただけに過ぎない。
「チャンスを待ちましょう」という小川の言葉を信じたわけじゃないけど、その方が少しはマシだと思った。

235 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:17

何がマシなんだよ。最悪だよ。
何でいつもあたしはこんなに不幸なことに巻き込まれてしまうんだろう。
今回だって、小川が勝手に森の奥に行かなければこんな目に会うことはなかったんだよ。
大体なんであんなところで止まろうとしたのよ。まったく!
それに紺野なんかあたしを助けもせず、とっとと逃げちゃっているし…

…どうしよう。圭織助けに来てくれないかも。
捕まった中に紺野がいたなら、圭織も石黒さんも助けに来るんだろうけどさ…
なんたって、紺野のバックには大金が詰まってるんだし…そうよ、大体なんで紺野はお金出さないのよ。
紺野がバックの中のお金を出してくれれば、電車でも乗って今頃は成田についていたのに!
そうしてれば、捕まるなんてことなかったべさ。
ホントにホントにホントにいったい何なのよ!あたしが何したって言うのよ!

236 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:18

「安倍さん、此処座れますよ」

小川が例の穴をまたいで、濡れた床の上に座っていた。
でも、小川が座ってしまうとあたしが座る場所は無かった。

「あのさ〜小川が…」あの濡れた上に座るのはいやだ。
「座ってていいよ」「あっ、でも詰めますから」
「いいよ。疲れたら代わってもらうから」

壁にもたれたまま、部屋の中を見渡してみる。見渡してみるといっても、真っ暗でほとんど見えないんだけど。
それでも、入り口から漏れる明かりと慣れてきた目を凝らすと、なんとなく様子が分かってきた。
部屋の大きさは8畳ぐらいかな?そこに少なくとも40人ぐらいが膝を抱えて座っている。
というか蹲っている。

237 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:19

あたし達はこの部屋に入る前に番号を言い渡されていた。あたしが93番で小川が328番だった。
あたし達は此処でその番号を呼ばれるのをひたすら待つしかないらしい。
番号の若いあたしの方が、小川より先に呼ばれると言うことなんだろうか?
この建物を出たときが唯一のチャンスだ。あたし一人でも、逃げ出さなくっちゃいけない。
裸でも形振りかまっていられない。でも、たぶん外に連れ出されるときは服ぐらい着さしてくれるよ。服を着てから逃げ出せばいいんだ。そのぐらいの時間はあるよ…きっと。

部屋に入ってからどのぐらい経ったんだろう。何度も吐きそうになるぐらいくさい臭いにも随分なれた。
汗が目に入った。手のひらで何度か目をこするっても、しばらくするとまた汗が目に入ってくる。
この部屋は暑い。これだけ人がいれば当たり前かな。背中の壁の冷たさが心地よいぐらいだ。
こんな状態でいつまでここにいなきゃいけないんだろう?
早く出してくれなきゃ、気が狂っちゃいそうだ。

238 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:19

「ちょっと、そこ」

誰かが小川を押しのけた。小川はあたしにしがみつくように立ちあがった。
小川が立ち上がると、その人はそこにしゃがみこんだ。
あの穴はトイレだった。その人は用を足すと、また人を掻き分けて闇の中に消えていった。
それから、何度も此処に人がやってきては戻っていった。時々あたしの足に生暖かいものが掛かる。
足の裏で踏んだぬるっとしたものは…考えたくない。
此処が新入りの場所らしい。誰かが入ってくるまで、あたし達は此処から移動できないんだ。
誰か…

「小川交代して」

もう、立っていられなかった。
どのくらいの時間がたったのか、わからなくなってしまった。
あたしがこの部屋に入ってから、1時間が過ぎたのか3時間なのか、それとももう1日以上経っているのか、わからない。
でも、もう限界だった。
片足で立ったり、壁にもたれかかったりしていたけど、もう限界だ。
床が汚れていることなんかもう気にしちゃいられない。
あたしは小川の腕を掴んで引き上げると、穴をまたぐような格好で床に座り込んだ。
お腹もすいてきた。食事はどうなっているんだろうか?ずっと何も貰えないのだろうか?

239 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:20

「あ、あの〜」
思い切って、隣に座っている人に話しかけてみたけど、返事は無かった。
「あの〜食事ってどうなってるんですか?」
やはり返事は無かった。その人は膝の間に顔をうずめたままだった。
「あの〜」
「うるさいな」
「あの〜食事は」
「そのうち貰えるよ」
「そのうちって…一日一食ぐらい…」
「一日?一日ってなんだよ。こんな真っ暗の中でいつ日が暮れて、いつ日にちが替わったなんて
わかんねーだろうが。それにそんなものになんか意味あるのかよ」

「うるさい」「だまれ」

あたしの周りから呟くような小声がいくつも聞こえてきた。
なんなのよ、もう!こんなところにもう居たくない。

240 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:20

あたしは、大地も空気も凍らすほど寒い北国の短い夏に生まれた。
なつみという名前は、この寒い大地で人々の心を夏のように暖かく包み込み、
美しく輝かせる朗らかな子になるようにとつけられたんだ。
あたしの名前をつけたのはお母さんだった。

「本当にきれいになるということは、周りにいる人みんなを美しく輝かせないといけないんだよ」
お母さんは口癖のように、あたしにそう話していた。
「そんなことなっちには無理だよ」
「大丈夫、なつみならできるわ」

あたしにはできなかった。
自分すら輝いていないのに、他人を輝かせることなんかできない。
それに、他人よりまず自分の幸せがほしかった
…だけなのに

241 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:21

お母さん
お母さんが生きていれば…

…お母さんが生きていれば、あたしはまだお母さんと室蘭に暮らしていたんだ。

なんで死んじゃったの?
なつみはこんな暗いところで、泣いているんだよ。
太陽は自分が熱く燃えているから人を暖かく包むことができるのに、
あたしの中の炎はここで消えようとしているんだよ。

助けてよ
なんで、助けてくれないの?

助けて

「安倍さん、少しだけ替わってもらえませんか?」

助けて

「ちょっとまってよ」
「もう、倒れそうなんですよ、ちょっとだけでいいですから」
「うっさいわね。あと5分待ちなさいよ」

「安倍さん…」

242 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:22

もう…もういや!
あたしは立ち上がり、扉に向かって走り出した。
人の上に乗り上げ、よつんばになりながらも必死に出口に向かった。
罵声が飛び交うけど、そんなことかまっていられない。
話せばわかってくれるはず。
あたしがこんなところにいるのは、名認可の間違いだっていうことを。

「ちょっと!ちょっと開けてよ。ねえ、開けてよ」

激しく扉をたたいた。
扉は硬くて、あたしの拳はどんどん痛みを増していた。
でも、誰も来てくれなかった。扉は開こうとしなかった。

「お願いだから、お願いだから話だけでも…」

聞いてください。
そう言おうとしたんだけど、途中であたしは誰かに思いっきり引っ張られて床に転んだ。

「いった〜何」

その瞬間わき腹を思いっきり蹴られた。その後はもうなすがままだった。
あたしはお腹を蹴られないように必死で丸まった。

243 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:24

途中からは覚えていない。気づいたときには、さっきいたトイレの場所に横になっていた。
体中が痛い。腕を動かすことすら大変だった。向きを変えようと体をねじったら、わき腹に激痛が走った。
あばらが折れているかもしれない。そっと痛むところを手でなぞってみる。
折れてはいないけど、ひびが入っているかもしれない。左目も腫れてしまって目が開かなかった。

「安倍さん」

小川が耳元であたしを呼んだ。

「う・・・・」

声を出そうとしたけど、うめき声しか出なかった。

「ごめんなさい、助けられなくって」

小川の声もどこかおかしかった。顔を上げて、目の前の小川の顔を見た。
ああ、なんてことなの。小川の顔もこんな暗闇でも分かるぐらい腫れあがっていた。

244 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:25

「安倍さん穴に落とされそうになったんです。なんとかそれだけは止めたんですけど
…すみません」

泣かないと決めていたのに…

「ごめん…」

声にはならなかった。
手を伸ばして小川の顔をなぞると、あたしに負けないぐらいあちこちが腫れていた。
指にまで熱が伝わる。

「なんで…」

なんであたしなんか助けようとしたんだろう。
もし逆の立場だったら、あたしは小川をかばったんだろうか…

「ありがとう」

小川の手を捜してあたしの手が暗闇を彷徨った。
小川があたしの手をしっかりと掴んだ。

「いんですよ〜、そんなこと」

相変わらず間の抜けた小川の声に、涙がまたあふれ出てきた。

245 :名無し娘。:2004/02/14(土) 21:48
>>223
あ〜「足もと、気をつけてください」ですね。「足、元気をつけて」と自分で読んでしまった

246 :名無し娘。:2004/02/15(日) 02:53
更新Zです。
す、すっげえリアルですね…
じわじわと迫ってくる描写に圧倒されますた。

247 :名無し娘。:2004/02/15(日) 21:28
大量更新乙です。
うーん、臨場感ありますね。これからも楽しみにしてます。

248 :名無し娘。:2004/03/02(火) 22:56
それから幾つ夢を見たんだろう。
現実から逃れるには、夢の中の住人になるしかなかった。
目を開けていても、現実は何も変わらなかった。
小川があたしに凭れ掛かっている。小川もまたほとんどの時間を夢の中で過ごしていた。

249 :名無し娘。:2004/03/02(火) 22:56

あたしたちは少しずつ場所を移動して、今は、最初に居たトイレとは反対の壁際に移ることができた。
場所が変わったものの、相変わらず床はぬれたままだった。
どういったタイミングで行われるのか分からないんだけど、時々扉が開いて、部屋に向けて放水が行われているためだった。
初めは部屋を掃除するため?と思ったんだけど、これが唯一の水分補給だった。
放水される水に弾き飛ばされながらも、水に向かって裸の女性たちが群がっていく姿は、
恐ろしいというより滑稽だった。現に放水をしている男は、どいつも馬鹿みたいに大笑いをしていた。いつホースを投げ出して、腹を抱えて笑い出してもおかしくないぐらい大きな口をあけて笑っていた。
でも、あたしたちは必死だった。滑稽だろうと馬鹿にされようと、貴重な水を少しでもたくさん飲むために、
他人を押しのけて水に向かっていった。

250 :名無し娘。:2004/03/02(火) 22:59

醜い水の奪い合いの後は、必ず場所の奪い合いが始まる。
それは時には大きな乱闘騒ぎになる。しかもこの乱闘はほとんど無言で行われるんだ。
大声を出して騒ぎを起こしていると、再び扉が開き放水が始まった。
この放水の意味することを、あたしは1度だけ経験させられた。
なんてことはない、単に食事を抜かれるだけだ。餓死しそうなぐらい食事を抜かれるだけだった。
だから、やる側もやられる側も決して声を出さない。暗闇の中でただひたすら殴り合っていた。

251 :名無し娘。:2004/03/02(火) 23:01

あたしは乱闘には参加しなかった。
カッコつけているわけじゃなくって、そんなことに体力を消耗させることが馬鹿馬鹿しいと思うから、
乱闘が始まると小川と一緒に壁際へと移動していた。
でも、なんといってもこの狭い部屋の中では、ときには乱闘に巻き込まれることもあるけど、
そんな時でも、とにかく壁伝いに逃げ回っていた。
そうやって、少しずつ良い場所へと移動していた。

252 :名無し娘。:2004/03/02(火) 23:01

あたしが此処に来てから12人が部屋から出て行き、5人が死んで、8人が入ってきた。
病気で2人死に、2人がリンチで殺され、1人がトイレの穴に身を投げて死んでしまった。
この時は最悪だった。あの穴は結構深く、多分10メートル以上あると思うんだけど、
そこに身を投げても、下に溜まっているものがクッションになっていて、即死するわけじゃない。
死ぬつもりで飛び込んだくせに、体が沈みきるまでの間、大声で助けを求めていた。
「呪ってやる」それが最後の言葉だった。
その言葉の矛先は、彼女を捕まえた連中にではなく、こんなことが許されるこの国にでもなく。
彼女を助けなかったあたしたちに向けられていた。
「呪ってやる」
できるものなら、やってみなさいよ。逆にあたしたちがここで地獄を味合わせてあげるんだから。

「あたしが呪ってやる」

でも、誰を?
誰を呪えばいいんだろう…

253 :名無し娘。:2004/03/02(火) 23:02

寒い

どこからか、隙間風が通り抜けた。
人が減ったことで、部屋に少しはゆとりが出来たのは嬉しいんだけど、その分部屋の温度は下がってしまった。
放水されても、ぬれた髪を拭くタオルもなかったし、冷えた体を温めるストーブもなかった。
ぬれた体を手で拭い、寒さに震えているしかないんだ。
そんな状態だから、いつも部屋のどこかで咳き込む声が聞こえていた。
体が壊れるのが先か、精神が壊れるのが先か、それともここから抜け出すのが先か分からないけど、
もう、段々何もわからなくなっている。
なにも考えないことだけが、自分を正常に保っていられる気がしていた。
でも、そのうちきっと自分が誰なのかどころか、今本当に生きているのかさえわからなくなってしまうんだろう。
そんな状態になってからじゃ、助かったって意味がない

254 :名無し娘。:2004/03/02(火) 23:04

早く、早く助けに来てほしい。
圭織は一体何をやってるんだろう?
もうこんなにも時間が経っているのに、何で助けに来てくれないんだろう?
石黒さん…
石黒さんが助けに行かないように言ってるんじゃないのだろうか。
石黒さん、あたしのこと嫌っていたもんね。
紺野やりんねさんじゃあ、石黒さんに逆らうことできなさそうだし、圭織だって結局石黒さんの仲間だし…

あ〜もう誰でもいいから、助けに来て!
あたしをここから連れ出して!

255 :名無し娘。:2004/03/02(火) 23:04
突然扉が開いた。
思わず身を縮めてしまった。

此処では、誰もしゃべらない。しゃべる気力もないし、此処でしゃべることなんかなんにもなかった。
でも、自分でも気づかないうちに、大声で独り言を言っていたかもしれない。
あたしだけじゃない。時々訳もわからず叫んでいる人や大声で独り言を言っている人がいた。
特に、こんなに鬱状態のときは、あたし自身がそうなっていてもおかしくはなかった。

周りを確認したけど、誰もあたしに注目をしていなかった。
みんな扉の方をじっと見つめていた。

256 :名無し娘。:2004/03/02(火) 23:05

「3番、68番、129番出ろ」

あたしの番号はなかった。

呼ばれた人は喜ぶ訳でもなく、ゆっくりと立ち上がるとのろのろと扉に向かっていく。

「68番、いないのか?」

返事はなかった。
自殺した人か殺された人か、いずれにしても生きてこの部屋を出ることができなかった人の番号なんだろう。
2人が連れ出されると、扉はまた硬く閉まった。

257 :名無し娘。:2004/03/02(火) 23:05

"ああ〜"

声にはなっていないけど、ここにいる全員が深いため息をついていた。
空気が一気に重くなっていく。
そして、全員が息を止めているじゃないかと思うぐらい静かな静寂。

今度扉が開くのは、いつのことなんだろう?
それまで、またここで待っているしかないんだ。
あの扉が閉じた瞬間、死にたくなるほどの絶望感にさいなまれる。
それは、なにもあたしだけのことじゃなかった。
無情にもこの部屋にまた取り残されたことを知ると、誰もが気が変になってしまう。
自殺した娘も、この瞬間だった。
狂ったように叫びながら、頭をなんどもなんども壁にぶつけ、部屋中を転げ周り、
みんなに殴られ、蹴られ、踏みつけられた挙句、自らトイレに身を投げたのだ。

258 :名無し娘。:2004/03/02(火) 23:06

「駄目だ。もう駄目だ」

始まった。
小声で囁くような独り言が聞こえてくる。

「助けて、もうイヤ」

それは一箇所からじゃない。部屋のあちこちで始まり、その声は徐々に大きくなっていく。
いつものことだけど、いつまで経ってもなれない。言葉にしたって、何も変わるわけじゃないのに、
それでも言葉にしてみないと、やってられないんだ。
何かのきっかけで誰かが大声をあげると、あの無言の乱闘が始まりを告げるんだ。

259 :名無し娘。:2004/03/02(火) 23:07

「小川、移動するよ」

小川は無言のままだった。

「小川…」

立ち上がって小川の腕を引っ張ったんだけど、腕に力が全然入ってなくって、大きなぬいぐるみの
腕でも引っ張っているような気がした。

「小川…いこっ」
「もうダメもうダメもうダメもうダメもうダメもうダメ…」

膝の間にうずめた頭から、小川の独り言が聞こえ始めた。
小川の独り言を聞くのは、これが初めてだった。

「ちょっと小川、しっかりしなさいってば」
「もうダメもうダメダメダメダメダメダメ  ダメ!!!!!!」


あたしの手を振り払うと、小川は出口に向かって突進していった。

260 :名無し娘。:2004/03/02(火) 23:07

「小川ダメだって」

小声で囁くような声は、無言の乱闘を超えて小川の元には届かなかった。
たとえ届いたからって、小川の暴走が止まったわけじゃないし。
そんなんで、大声を張り上げていたら、あの乱闘の格好の餌食になってしまう。
小川は扉を2〜3度叩いたところで、次の獲物となって乱闘へと引きずり込まれていった。

助けないと…いけない…?
小川がいないと、もし圭織に助けられた時に、そのまま置いていかれるかもしれない。
この部屋中の人を解放して、あたしだけここに閉じ込めたまま去ってしまう…気がする。

「小川…」

小川は乱闘の中心で、まだ、みんなにボコボコに蹴られているみたいだ。
このまま、まともに助けに行ったら、代わりにあたしがやられてしまいそうだし…

261 :名無し娘。:2004/03/02(火) 23:07

しょうがないか…
あたしは部屋の隅に座っている新入りのところまで壁伝いに移動すると、その子を無理やり立たせた。
この子が入ってきてから、何日か過ぎている。その間に2回ほど食事がばら撒かれたけど、
たぶんこの子は食べていないはずだ。新入りに食事をあげるほど、あたしたちは甘くなかった。
かなり弱っているはずだった。現にあたしが引っ張りあげると、抵抗することも無く、
簡単に立ち上がった。
この時期に1回目の酷い落ち込みを殆どの人が経験している。
現実を思い知り、ひたすら声を殺して泣いてすごしているこの時期は、抵抗する気力さえなく、
なすがままに、こうやって立ち上がってしまうんだ。
後は思いっきり乱闘に向かって、この子を突き出すだけだ。
右手で腕を掴んで、左手で思いっきり胸を押すと、面白いほど簡単にはじけ飛んでいった。

262 :名無し娘。:2004/03/02(火) 23:11

小川の足を引っ張って引きずり出した。

「あひがほうご'@($!J%)

歯が何本か折れているようだった。手のひらで顔を触るとあちこちが腫れていた。
血も出ているようだ。あたしの手のひらが汚れた。

「これで借り貸しなしだからね」

小川を引きずりながら、あたしは前から狙っていた出口側の角に移動した。
この場所は出口から死角になる場所だから、移動しなくても放水を直に浴びることは無かった。
水を飲むために体を濡らすのは、まだ体力があるうちだけで、そろそろ辛くなっていたし、
今の小川の状態を考えると、少しでも体力を温存するために、放水が直に当たらないように避けたかった。
濡れた床を舐めてれば、何とかしのぐことはできそうだ。放水は結構頻繁に行われるし、
のどが渇けば、乱闘を始めれば良いだけのことだ。
放水後にもぬれていないこの場所は特等席だ。

乱闘はまだ続いている。中心にいるのは、小川の代わりにあたしが放り込んだ子だ。

263 :名無し娘。:2004/03/02(火) 23:15
すみません、ちょっとこの後のところで、つじつまの合わないところが見つかったので
今日は此処までです。

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0ch BBS 2006-02-27