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【速報】さゆと亀井が卒業
- 1 :名無し娘。:2007/01/02(火) 23:10
- ソースは新宿ラジオ
- 2 :名無し娘。:2007/01/02(火) 23:13
- (●^▽^)<うそだよーん
- 3 :名無し娘。:2007/01/02(火) 23:20
- (;゚Д゚)(゚Д゚;(゚Д゚;)ナ、ナンダッテー!!
- 4 :名無し娘。:2007/01/02(火) 23:45
- 幻のユニット、ムースポッキーの再来キタコレ
- 5 :名無し娘。:2007/01/02(火) 23:46
- この支配からの
卒業
- 6 :名無し娘。:2007/01/03(水) 00:00
- (●^▽^)<セックス!
- 7 :名無し娘。:2007/01/03(水) 00:02
- (●^▽^)<ももこりしゃこみやびが昇格するよ!
- 8 :新宿:2007/01/03(水) 00:06
- 記念パピコ
- 9 :名無し娘。:2007/01/03(水) 00:08
- 再利用期待age
- 10 :名無し娘。:2007/01/03(水) 00:13
- 高まる期待
- 11 :名無し娘。:2007/01/03(水) 00:16
- >>8
小説書け
- 12 :名無し娘。:2007/01/03(水) 01:26
- (●^▽^)<さしみ賞が開催されれば書きますよ!
- 13 :名無し娘。:2007/01/03(水) 01:46
- 右も向けるよ!>(^▽^●)
- 14 :名無し娘。:2007/01/03(水) 10:06
- うしろ!うしろ!
- 15 :名無し娘。:2007/01/03(水) 10:07
- ?>(^▽^●) ●〜*
- 16 :名無し娘。:2007/01/03(水) 10:20
- ワクワクテカテカ (^▽^●) ●*
- 17 :0^〜^)津軽産ノニジュース:2007/01/05(金) 09:32
- (♂⌒ v.⌒)<いない!?
傷つ
- 18 :名無し娘。:2007/01/05(金) 22:17
- ▽^) (♂⌒ v.⌒)
と 傷つ
- 19 :名無し娘。:2007/01/27(土) 13:05
- 再利用気体
- 20 :名無し娘。:2007/02/25(日) 12:23
- 再利用期待保全
- 21 :名無し娘。:2007/03/25(日) 01:54
- 再利用気体保全
- 22 :名無し娘。:2007/04/13(金) 18:40
- ここ予約します
- 23 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:45
-
『首っ玉(Kubittama)』
※以下の作品には残忍な描写や性的な描写などが含まれています。
※楽しいネタが見たいという方にはお薦めできません。
※なお、登場するメンバーは道重、亀井、田中の三人です。
- 24 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:45
-
「なんだろ、これ」ラジオの仕事をおえて帰宅したさゆみがドアの前の床を見てひとりつぶやきまし
た。「宅配便?」
さゆみの部屋の前、インターホンの真下に白い箱がおかれていました。大きさは三十センチ四
方、あるいは四十センチ四方はあるでしょうか。帯(おび)に短し襷(たすき)に長しということわざ
がありますが、メロンにしては大きく、スイカにしては小さいといったところで、それは縦と横と高さ
が均等な立方体をしていました。
さゆみはそれを見て、なんとなく数学の問題のような気がしました。まるで自分に対してその体
積やら面積やらを求めよといわれているように思えたのです。そしてさゆみは頭の中で、底辺か
ける高さ割る二、とつぶやきました。それは三角形の面積を求める公式で、立方体とはなんの関
係もないのですが、さゆみはそんなことは気にしません。それどころか自分のかしこさに満足した
かのように笑顔をうかべます。「うん、さえてる」
箱は白い包装紙につつまれていて赤いリボンが十字にむすばれていました。そのむすびめのと
ころには手紙がそえられていて、さゆみは鍵でドアをあけるより先にその手紙に手をのばしました。
「道重さゆみ様?」その手紙に書かれたあて名を読みます。「さゆに? なんだろ?」
- 25 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:45
-
さゆみは首を左にかたむけて五秒ほど考えましたが、誕生日でもなく、なにかの記念日でもなく、
自分あてにプレゼントがおくられてきた理由は思いつきませんでした。もしかしたらヲタクの人が
住所をつきとめて勝手にプレゼントをおいていったのかもしれないとも考え、そうだとしたらかなり
こわいな、とも思いましたが、そのときはそのときです。さゆみはまあいっか、とつぶやいて手紙
をもとにもどし、鍵でドアをあけてから、その箱を両手で持ちあげました。
「あ、重い……」
箱は予想していた以上にずっしりと重みがありました。さゆみはやはりメロンかスイカか、あるい
は電化製品のようなものかもしれないなと思いました。そしてまた、もしそれがストーカーからのプ
レゼントのようなものであったとしても、もらっておこうと思いました。
このようにプレゼントをもらった場合の反応は人それぞれ、そして地域によってもさまざまです。
たとえば大阪人の場合、その価値を値段によって判断します。名古屋人の場合は重さで判断しま
す。東京人の場合はどれだけ洗練されているかで判断します。洗剤やタオルなど、日常的なもの
であればあるほどよろこぶ人もいれば、逆にそれをプライバシーへの介入だとしていやがる人も
います。
さゆみの反応は名古屋人にちかいものでした。名古屋人は重ければ重いほど価値があると考
えていて、その代表が外郎(ういろう)ということになりますが、そういえば外郎はもともと山口県の
銘菓で、その技法が名古屋につたわったものですから、もしかすると外郎によって山口県にあっ
た重み信仰が名古屋につたわったのかもしれません。さゆみは山口県の出身でした。
- 26 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:45
-
「よっこいしょーいち……っと」いつのまにか身についてしまった父親がよくいっていた昭和のギャ
グをつぶやきながら、さゆみは箱を持って部屋にはいりました。
部屋の中はまっくらで、だれもいません。というのも、さゆみはこの春からひとり暮らしというもの
をはじめていたのです。特に自立したいというつよい意志があったのではなく、ただ単にだれにも
邪魔されずに好き勝手にすごしてみたいという幻想を抱いたためでしたが、さゆみはそれに満足
していました。
どうせ仕事場で弁当を食べたり外食に連れていってもらったりするのです。食材を買ったり料理
をつくったりする必要はありません。部屋には朝と晩くらいしかいないので、それほどよごれること
もなく掃除の必要もありません。それにすこし散らかったところでさゆみはそれを不快に思ったり
はしません。ただひとつ、お風呂を自分で準備しなくてはいけないというのがさゆみには厄介な問
題でしたが、湯船につからずにシャワーを浴びるだけという発想で、さゆみはその問題を解決して
いました。
さゆみは部屋のあかりをつけ、箱をテーブルの上におきました。そしてふたたび手紙を手にとり
ました。「だれからなんだろ」
手紙は結婚式の招待状のような、表面がざらざらした和紙のような質感の分厚い紙で、その一
枚の紙がふたつに折ってあり、クリップでとめてありました。表面には《道重さゆみ様》と、さきほど
読んだ字が赤いインクで書いてありました。
さゆみはその手紙をひらいてみました。中にはやはり赤いインクで文字が書かれていましたが、
さゆみにはその言葉の意味がまったくわかりませんでした。
手紙には《くびったま》と書いてありました。
- 27 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:46
-
「くびったま?」さゆみは声にだしてその謎の文字を読みました。「なんだろ。くびったけってことか
な?」
さゆみはなんだかこわくなりました。手紙ははがきよりやや小さめのサイズでしたが、中央に小
ぢんまりと文字だけがあって、その余白がなんだか自分を吸いこもうとしているかのように思えた
のです。それによく見てみると、手紙の右下のところにぽつんとインクが滴ったような跡がありまし
た。さゆみは直感しました。「これって、もしかして、血?」
言葉を声にだしたことで、その恐怖は倍増します。さゆみはからだをぶるっとふるわせました。
そのはずみで手紙は手から離れ、ひらっひらっと舞って、テーブルのうえに裏がえりました。でも、
その裏がえったことによって、さゆみはほっと安堵の息をはきました。手紙の裏にはちゃんと差出
人の名前がしるされていたのです。
「絵里からなんだ。なあんだ、じゃあ安心だ」と、アルファベットで《flom Eri》と書いてあるのを見た
さゆみがいいました。その文字もやはり赤いインクで書かれていましたが、絵里からなら血のはず
がないよね、とさゆみは思ったのです。ただし、《from》のつづりがちがっていることには気づきま
せんでした。むしろ英語とかすごいじゃん、と思ったくらいです。
「へえ。絵里がさゆになにくれたんだろ。結構重いけど、もしかして《Wii》だったりして」
さゆみはうきうきしながらリボンをはずし、包装紙を乱暴にやぶりました。包装紙の中から木の
箱があらわれました。箱の表面には桐のうっすらとした木目模様がありましたが、さゆみにはそ
れが本物の桐の箱なのか、それとも木目模様が印刷されているのかまではわかりません。それ
に桐の箱であっても、それが高価な材質だということをさゆみは知りませんでした。
- 28 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:46
-
「これ、どうやってあけるんだろ」と、その箱にふたがないことに気づいたさゆみがいいました。
正面を見て右を見て左を見て裏を見ても、どこにも手がかりがありません。絵里がただの箱、そ
れもあけることのできない箱をおくってくるなんて変だなと思いながら、さゆみはその箱を小突きま
した。コンッと木の音がして、箱の位置がずれました。そのずれたことによって、さゆみはその箱
の見えていた部分全体がふたになっていて、そのふたが底面の板にのっかっていたことに気づき
ました。「なあんだ。簡単じゃん」
さゆみはその中になにがはいっているのかワクワクしながら、両手を箱の左右の面にあてて、
ゆっくりとそのふたを持ちあげました。持ちあげるスピードとおなじスピードで、さゆみの目に中身
が映ります。五センチほどあげたところで、中になにかがはいっているのが見えました。でもどうや
ら《Wii》でも電化製品でもないようです。「なんだろ?」
さらに五センチ持ちあげ、十センチほどになっても、さゆみにはまだそれがなんなのかわかりま
せんでした。なにかの塊がはいっていて、それはどうも見慣れているけれども普通に売っているよ
うな商品ではないな、となんとなく思ったくらいです。それと同時に、なにやら匂いがすることにも気
がつきました。その匂いはなんというか、小学生のころに当番だった兔(うさぎ)小屋のような匂い
で、それに女性の化粧や汗やらがまじったような匂いだとさゆみは思いました。
「もしかして動物? それともメロンが腐ってたりするのかな?」
さゆみは期待より不安の方が大きくなっていくのを感じながら、一気にあけることにしました。
- 29 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:46
-
「あ……」思わずさゆみの口から声がもれました。あまりのことで、さゆみはおどろくことも戸惑う
ことも逃げることもできませんでした。さゆみは手にふたを持ったまま五秒ほどそれを見つめて、
ようやくそれがなんなのかを理解しました。「う、うそ……。え、絵里なの?」
それは亀井絵里でした。ただし、亀井絵里が箱の中にはいっていたのではなく、はいっていた
のは亀井絵里の頭部、つまり首だけでした。おくられてきたのはメロンでもスイカでもなく《生首》
だったのです。
さゆみはしばらくのあいだ、意味がわかりませんでした。それがなんなのかは理解しましたが、
それがなにを意味しているのかがわからなかったのです。
目の前には絵里の生首があり、その目は眠たそうに前を向いていました。頬の筋肉はおだや
かで、口もとの両端がややあがっていて頬笑(ほほえ)んだまま固まっているように見えました。
しかし、さゆみは恐怖を覚えるどころか。それとはまったく別の不思議な気分になっていました。
絵里の胴体と頭部とのあいだがスパッと切れて頭部だけがそこにあるということは理解したのに、
そこには絵里が死んだんだという理解が微塵もなかったのです。友人が死んだということへの驚
愕もなければ、その首が自分におくられてきたということへの恐怖もありません。もしそこがおば
け屋敷であったならば、さゆみはきっと生首に対して生理的な恐怖やら嫌悪やらを感じ、悲鳴を
あげていたことでしょう。でもさゆみにとって、目の前にある生首はそういうものとはちがっていま
した。そうしたもの以上に、それはリアルだったのです。
- 30 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:46
-
さゆみはなんとなく、絵里が自分に会いに来たのだと思いました。絵里がさゆみのひとり暮らし
をうらやましがっていたことを思いだしたのです。首だけになってやって来たというのがすこし変
でしたが、それでも実際に来た以上はそうなのだろうと、さゆみは理解しました。
そして理解した瞬間、さゆみはなんだかうれしくなりました。なぜなら、絵里はさゆみにとって加
入当時からの親友であるとともにライバルであり、さゆみはそんな絵里に勝ったのだと思ったの
です。そして絵里がさゆみに対して、自分自身の首をプレゼントしたのだと思いました。
さゆみはうれしさのあまり、しばらくぼんやりとその顔を眺めました。どこからどれだけ眺めても
それは本物の絵里の顔でした。血の気がなく青白い肌をしていることと、まばたきも呼吸もしてい
ないということとが、いつもの絵里とはちがっていましたが、でもそれが逆にさゆみにある種の感
慨をいだかせていました。
「奇麗……」と、さゆみが絵里にいいました。「とっても奇麗……絵里、お人形さんみたいだよ」
さゆみはなんだかドキドキしました。よくもわるくも口やかましく、すこしうざったいところのある絵
里が、うごくことなく、黙ったまま、しおらしくさゆみを見つめていました。
さゆみは絵里を手にいれたんだと思いました。絵里を自分のものにしたんだと思いました。そし
て絵里はもうさゆみのものなのだから、それはさゆみの好きにしていいのだと思いました。そのよ
うな思いがつぎからつぎへと沸いてきて、さゆみを興奮と緊張とでドキドキさせたのでした。
- 31 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:46
-
さゆみは箱のふたをおくと、手を絵里の頭頂部にのばし、その黒い髪をやさしく撫でました。「よ
しよし、よしよし」
ふと絵里が笑ったような気がして、さゆみは一瞬、それがうごくはずのないものであることを思い
だしてギクッとしましたが、その恐怖もドキドキには勝てませんでした。むしろそうしたなにが起きる
かわからないという未知数の不安要因が、さゆみのドキドキを増加させてもいました。
「絵里はもうさゆのものなんだね。絵里はもうさゆのものなんだね」さゆみが興奮した表情で二回く
りかえしました。そしてもう一度頭を撫でました。「すごい奇麗だよ……。いつもより全然奇麗……。
ヤバイよ、絵里すっごいヤバイよ……」
さゆみは頭を撫で、それから髪を梳(す)くようにして耳を髪からだし、それからその耳をつつみこ
むようにして撫で、それから頬を撫で、それから唇に人差し指を沿わせました。さゆみのドキドキは
高まる一方で、さゆみはもうそれをとめることができませんでした。さゆみはその生首に性的な興
奮を覚えていたのです。
「ああん、絵里……絵里……ねえ、さゆを見て、もっとさゆを見て……」
さゆみは自分でも自分が性的に興奮していることに気づきました。そして自分が絵里のことを好
きだったんだということにはじめて気づきました。友達として好き、仲間として好きということであれ
ば、それは友情というものになりますが、唇に触れたときのその高揚感は、はっきりとそれ以上の
ものでした。さゆみはずっと、遊びではなく本気で、絵里を抱きしめたい、絵里にキスしたい、そし
て絵里に愛してもらいたい、と、自分でも気づかないくらいひそかに願っていたのです。
- 32 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:46
-
さゆみは両手で絵里の頭を持ちあげました。切断面がどうなっているかという興味もありました
が、それよりも興奮が勝っていました。それに、切断面は透明なジェルのようなもので奇麗にコー
ティングされていたので、どのみちそこに恐怖を感じるようなことにはならなかったでしょう。
さゆみは意外に重いんだとつぶやき、絵里に笑いかけました。絵里は焦点の合わない両眼をさ
ゆみに向けていましたが、さゆみはそんな絵里をお馬鹿でかわいらしいと思いました。そしてもう
一度ニコッと笑いかけてから、その首を自分の顔に近づけました。
唇が目の前にせまり、さゆみはもう全身がかゆくてかゆくて仕方がないというくらいにもどかしく
なり、その行動を我慢できませんでした。だから自分の方から顔を突きだして、その唇に自分の
唇をあてました。
それは冷えた御飯のような味気ない感触でしたが、でもさゆみはそれが絵里の唇で、自分が絵
里の唇に自分の唇をあてていて、自分と絵里とがまさにキスをしているということに、とても興奮し
ていました。たとえようのないほどのよろこびがさゆみをつつみこみ、さゆみは何度も何度も唇を
あてたり沿わせたり舌で舐めたりしました。もう絵里はさゆみのものなのです。さゆみはひとり暮
らしを許してくれた両親にいまさらながら感謝しました。
- 33 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:47
-
翌日になり、さゆみは絵里の首を寝室のベッドに寝かせたまま、仕事にでかけました。
マネージャーや事務所の人たちがなにやらいそがしそうにしていましたが、さゆみにはそれが不
思議でなりません。みんな、亀井絵里がいなくなっただの、亀井絵里が昨日から家に帰っていない
だの、亀井絵里と連絡がとれないだのといっていました。でもさゆみは、絵里はさゆみの部屋にい
てさゆみのベッドで寝ているのだから、それはあたり前で、どうしてそんなあたり前のことで大騒ぎ
しているのだろうかと思いました。みんなおかしいのだと思いました。
事務所の人はさゆみにも絵里のことをたずねました。でもさゆみは、自分が知っている絵里はた
しかに亀井絵里だけど、家にいるのは首だけだから、みんなのたずねている亀井絵里ではないの
だと考え、知らないと答えました。その人たちは困った顔をうかべていました。それを見て、さゆみ
はその人たちもまた、絵里のことを好きで独占したかったのだろうと理解しました。そして優越感を
覚え、自分が凄い存在なのだと思いました。さゆみはみんなが求めている絵里を独占しているの
です。
- 34 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:47
-
「ねえ、絵里がどこにもおらんとって」と、楽屋にさゆみがはいってきたのを見たれいながいいまし
た。れいなは普段とはちがい、とても心配そうな表情をうかべていました。「なんか事故とか誘拐と
かそういうのかもしれんって、さっき聞いたっちゃ」
さゆみはれいなもまた、さきほどの人たちとおなじなのだと思いました。そしてまた優越感を覚え
ましたが、さゆみは普段かられいなよりはるか優位に立っていたので、なんだかれいながとても哀
れな存在に見えました。
「どうしたと?」と、さゆみの複雑な表情を見たれいながいいました。
さゆみはれいなが可哀相になりました。そして、れいなにちかづいて、その頭をよしよしと撫でま
した。れいなは目をパチクリさせていました。
それからふたつある楽屋にメンバーが続々とあつまってきて、仕事の時間になりました。絵里は
体調不良で休んだということになっている様子で、さゆみは、そっか、絵里は体調がわるいんだ、
だから青ざめた顔をしていたんだ、と思いました。そして帰ったら薬を飲ませてあげようと思いまし
た。
- 35 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:47
-
その日は午前中に新曲のダンスのフォーメーションの最終確認をし、午後になってからその新
曲の収録をしました。リハーサルと本番がおわると間近にせまったライブ用のダンスの振りつけを
覚え、帰宅したのは昨夜とおなじくらいの時間でした。送迎車でマンションの前まで着くと、さゆみ
はもう我慢できないとばかりに駆けだして一目散に部屋に向いました。
「絵里、いい子にしてた?」絵里はベッドの上にいて、やはり目をあけていました。「もう、ダメじゃ
ない。調子がわるいならちゃんと寝てなきゃ」
絵里は返事をしませんでしたが、さゆみはすでにそんなことは気にしません。絵里の髪を撫で、
耳を撫で、頬を撫で、唇を撫で、そして両手で持ちあげて自分の胸にあてて抱きしめました。
それから事務所の人に頼んで買ってもらった風邪薬とバファリンとをとりだしました。バファリン
は、もしかしたら絵里は生理なのかもしれないと思ったからでしたが、頭部だけの絵里を見て、そ
れはないか、と思いました。
さゆみは風邪薬の箱をあけて錠剤をとりだし、グラスに水を汲んできました。でも、絵里はうごか
ないから飲ませてあげないといけないのだと思い、さゆみは錠剤を絵里の両唇のあいだにはさみ
こむと、水を自分の口にふくんで、その口を絵里の口にあてました。でも、絵里の口はまったくそ
れをうけいれようとはしませんでした。「絵里? どうしたの? 飲まないの?」
- 36 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:47
-
さゆみは心配になりましたが、でも絵里がいやなら無理に飲ませることはないな、と思いました。
さゆみはなんだか自分が絵里のお姉さんになったみたいな気がしました。さゆみの方が歳下でし
たが、絵里はもうさゆみのものなのだし、絵里はまばたきも呼吸もしないくらいなのだから、自分
が世話をしてあげないといけないのだとさゆみは思ったのです。
そこでさゆみは、絵里の青白い顔をどうにかしてあげないといけないなと思い、その頬に化粧を
し、唇にも口紅を塗りました。絵里はそれまで以上に人形のようになり、さゆみはそれに満足しま
した。「絵里、奇麗だよ……とっても、奇麗だよ……」
その夜、さゆみはついに絵里と性的な行為をしました。もちろん、絵里は首だけで胴体はないの
で、からだを絡め合ったりはできません。さゆみは絵里の唇に何度もキスをしながら、自分の手を
つかってオナニーをしました。
「ああん、絵里……気持ちいいよ……。絵里……すっごい奇麗だよ……。ああん……」
ひとり暮らしの利点は、どれだけでも好きなだけ言葉をさけぶことができるというところにあるの
かもしれません。さゆみは声を押し殺すことなく、愛情を言葉にし、快感を声にだしました。自分の
胸を撫で、乳首をつまみ、その乳首に絵里の唇を押しあて、指でクリトリスを刺激し、ヴァギナに指
を挿入しました。指は一本から二本になり、ものすごい興奮からたちまち聖水があふれ、クチャク
チャと音をたてました。さゆみは男とのエッチなどくらべものにならないほどの絶大な快感に全身を
とろけさせ、何度も絵里の名前をさけびながら昇天しました。息はハアハアとかなり乱れていました。
- 37 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:47
-
翌日もまたおなじような一日でしたが、そのまた翌日になると、どうやら絵里のことが大問題に
なっている様子でした。マネージャーはあちこちを駆けずりまわっているらしくてさゆみが見かける
こともなく、現場に来ていた事務所の人たちもなにやら憔悴した表情をうかべていました。
それでも仕事は休みにはならず、その日は番組のロケで、現場は郊外の商店街でした。さゆみ
たちはいつものマイクロバスでそこに向かい、商店街をぶらぶらと歩きました。絵里がいないだけ
なのに、みんな表情はくもっていて、それは事務所の人たちやスタッフ以上かもしれないなとさゆ
みは思いました。
「絵里、ほんとにおらんくなったと」カメラに映っていない最後尾を歩いていたさゆみの横にれいな
がならび、話しかけました。「行方不明だって」
れいなは絶望の表情をうかべていました。そんなれいなを見て、さゆみはやはりとても可哀相だ
と思いました。そしてなんだかいたたまれない気持ちになり、さゆみは思わずれいなの手をにぎっ
ていました。「さゆ?」
さゆみはれいながそれほどまでに絵里のことを心配しているということを知って、自分が思って
いた以上にれいなはいい子で、自分はそんなれいなをいままでずっと誤解していたのだと思いま
した。そしてそう思うと、なんだかれいなのことが絵里とおなじくらいに好きで好きでたまらなくなり
ました。だからさゆみはれいなの手をにぎったのです。
- 38 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:47
-
ふたりは最後尾で手をつないで歩きました。れいなはなんだか戸惑った様子で、頬をすこし赤ら
めていました。メンバー同士であれば、手をつないだり抱き合ったり、場合によってはキスするとい
うこともたまにはあるのですが、それはそういう冗談半分のものとはちがっていました。さゆみは本
気でれいなと手をつないでいて、きっとそれがれいなにもつたわったのでしょう。
「れいな、さゆがずっと一緒にいてあげるよ」と、さゆみはいいました。「だかられいなはなにも心配
しなくていいんだよ。さゆのこと、好きでいてくれたらいいの」
れいなはさらに頬を赤らめました。そしてなにかをいおうとしていましたが、口がパクパクとうごく
だけで、言葉はでてきませんでした。さゆみはそんなれいなを見て、れいなもまだまだ子供だな、と
思いました。そして、なんだかれいなが可愛くて可愛くてたまらなくなり、その唇にキスしたり、その
からだを抱きしめたり、れいなに愛の言葉をささやいたりしたいという思いが沸いてきました。そし
てまた、絵里とおなじようにれいなを手にいれたいとも思いましたが、ふと、それとは逆に自分をれ
いなのものにしてあげたいな、とも思いました。
- 39 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:48
-
日が暮れて帰宅してすぐ、さゆみはれいなに《愛してる》とメールをおくりました。絵里が嫉妬する
かもしれないな、とも思いましたが、さゆみは絵里もれいなもおなじくらいに愛していました。だから
嘘はつきたくなかったのです。
さゆみはそのことを絵里にも話しました。絵里はやはり返事をしませんでしたが、それでも表情
はやはり頬笑(ほほえ)んだままで、さゆみは絵里も理解してくれたのだと思いました。
それからまた絵里との行為におよび、その唇にキスをしたり自分の乳首にその唇をあてたりしな
がら、指をつかってオナニーをしました。絵里の頭を持って自分の股間に顔を埋めさせたり、クリト
リスをその絵里の唇をつかって刺激したりもしました。さゆみは絵里のぎこちない技巧にすこしもの
たりない気分でしたが、それでも絵里がさゆみのためにクンニリングスをしてくれているのだと思う
と、たまらないほど全身がぞわぞわして、またもや昇天しました。
行為がおわってもさゆみはまだまだ興奮していました。そしてれいなからメールの返事が来ない
ことが気になり、もう一度《愛してる》とメールしました。五分ほどして、ようやくれいなから《どげんし
たと?》と方言まるだしの返事がとどきました。さゆみはれいなが照れているのだと思い、押して押
して押しすすむべきだと思い、自分の思いをいっぱいいっぱいつたえました。さゆみは素早い手つ
きで《れいなをいっぱいいっぱい抱きしめたい》とか《れいなといっぱいいっぱいキスしたい》とか、
いっぱいいっぱいメールを打って送りました。そしてメールだけでは我慢できなくなり、れいなに電
話をかけました。れいなの携帯はソフトバンクではないし、それに夜間の時間帯なのでどのみち通
話は無料ではありませんでしたが、そんなことはさゆみには関係ありませんでした。
- 40 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:48
-
「れいな、愛してるよ。さゆはね、れいなのこと、愛してるの」と、さゆみはいいました。れいなはか
なり戸惑っている様子で、ほとんど会話は成立していませんでしたが、それでもさゆみはれいなへ
の思いをとめられませんでした。「れいな、エッチしよ? いい? いまからエッチするよ? さゆは
もう、我慢できないの。いい? エッチはじめるよ?」
さゆみは左手に携帯を持ちかえ、その携帯を耳にあてたまま、右手をまたもや下半身にのばし
ました。「ハアハア……ああ、気持ちいいよ……れいな、愛してる……愛してるよ……ああん、そ
こ、そこ、ああ、気持ちいい、れいな、れいなも、れいなも気持ちよくなって……ああん、れいな、愛
してる! 愛してる! 愛してる!」
携帯の向こうからは言葉は聞こえてきませんでした。それがさゆみにはすこし寂しく思えましたが、
そのうちに向こうからも興奮した息の音が聞こえてくるようになりました。さゆみはれいながひとり
暮らしではなかったことを思いだし、きっと声を押し殺しているのだと思いました。自分の声を抑え
て耳をすませると、さゆみの思ったとおり、れいなの《くっ……むっ……》というよがり声が漏れてき
ました。さゆみは大いに満足しました。そして、また愛をささやきました。
- 41 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:48
-
翌日はライブの日でした。さゆが会場の楽屋に着くと、もう数人のメンバーが来ていましたが、も
ちろんそこには絵里はいません。事務所の人たちやスタッフの人たちは、もうあきらめたのか、あ
まりいそがしくはしていませんでした。なんでも、マスコミには病気で入院したのだと発表したとかで、
あとは警察に捜索願をだしてさがしてもらっているということでした。
さゆみは変な話だなと思いましたが、きっと絵里の頭はさゆみの部屋に入院していて、警察がさ
がしているのは胴体の方なのだろうと思いました。そして、胴体の方も自分のものにしたいなと思
いましたが、それは贅沢かもしれないなとも思いました。さゆみは絵里のお人形みたいな顔だけで
十分満足していたのです。それにさゆみはすでに絵里とおなじくらいれいなのことを愛していて、絵
里の胴体がそこに加わったらバランスが崩れてしまうようにさゆみには思えたのです。だからもし
自分とれいなとで全身をつかってエッチをするようなことになれば、そのときは絵里の胴体も手に
いれてあげなければ釣り合いがとれないなとさゆみは思いました。さゆみは絵里もれいなもおなじ
くらいに愛していて、おなじくらいに愛したいなと思っていたのです。
- 42 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:48
-
楽屋にれいながはいってきて、さゆみはにっこりと笑いかけました。れいなはどことなくおどおど
していて、さゆみにぎこちなく挨拶しました。さゆみはそんなれいなが可愛くて仕方がありませんで
した。ほかのメンバーがいなければキスしたり抱きしめたりできるのにな、と思い、ほかのメンバー
を憎らしく思いましたが、でも別に邪魔しているわけではないからいいか、とも思いました。
さゆみは楽屋の隅にれいなを呼んで、ふたりで椅子にすわりました。ほかのメンバーは絵里のこ
とを心配しつつも普段どおりにペチャクチャとおしゃべりをしたり、机の上においてあるお菓子やサ
ンドイッチを食べたりジュースを飲んだりしていて、さゆみとれいなという組み合わせにちょっとだけ
好奇の目を向けていましたが、それも最初だけでした。
さゆみはれいなを見つめて、昨夜の愛の言葉を小声でささやきました。「れいな、愛してるよ」
れいなは頬を赤らめて視線をすこしさげました。でもさゆがもう一度おなじ言葉をいうと、今度は
ちゃんとさゆみの目を見つめました。「う、うん……」
さゆみはれいなと見つめ合いながら何度も何度も愛をささやきました。それかられいなの後ろに
まわりこんで、両肩に手をおくようにして、耳もとに昨夜のメールとおなじ文言をささやきました。「れ
いなをいっぱいいっぱい抱きしめたいの。れいなといっぱいいっぱいキスしたいの」
まるで呪文のようにそれをとなえると、れいなは洗脳されたかのようにうっとりとした目をさゆみに
向けました。さゆみは自分自身をれいなにプレゼントしてあげたいなと、つよくつよく思いました。
- 43 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:48
-
夕方の公演が無事におわり、さゆみたちは楽屋にもどりました。廊下はコンサートのスタッフや事
務所の人やスポンサーの人や、とにかくたくさんの人たちでごったがえしていました。それからマネ
ージャーが来て、さゆみたちを別の会議室のようなところに連れていき、真剣な表情で、絵里が行
方不明になっていて警察にさがしてもらっているというような話をしました。そして最悪の場合も覚
悟しないといけないかもしれないといいました。みんな顔を硬くこわばらせていました。でもさゆみは
なにが最悪なのだろうかと不思議でなりませんでした。絵里は胴体こそないけれど、いまもさゆみ
の部屋にいて、さゆみとエッチをしたりしているのです。さゆみはきっと胴体の方が大変なのだろう
と思いました。
ふたたび楽屋にもどり、それからみんな衣装をぬいだり化粧をおとしたりして帰る準備をしました。
れいなはそのあいだもチラチラとさゆみの方に視線を送ってきて、さゆみも視線をかえしました。そ
して明日もここでコンサートがあるけれど、その翌日はオフだから、明日仕事がおわったられいな
を誘って部屋に泊まらせて、それでキスをしたり抱きしめたりエッチをしたりしようと思いました。絵
里が部屋にいることにおどろくだろうな、とも思い、そしてどんなことになるのかと想像してワクワク
しました。そしてワクワクしているうちに興奮してきて、我慢できなくなりました。
- 44 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:48
-
さゆみは廊下の人だかりをとおってトイレに行きました。本当はれいなを誘ってれいなと愛し合い
たいと思っていたのですが、どうせ明日の夜にはひとり暮らしの自分の部屋でゆっくりとだれにも
邪魔されずに愛し合えるのだから、あせることはないのだと思いました。さゆみは一番ちかくのトイ
レではなく、奥の階段からふたつ上のフロアに行き、そこのトイレにはいりました。その会場には何
度も来ていて、そのトイレが一番しずかでだれもいないということを知っていたのです。
さゆみはトイレの個室にはいってオナニーをしました。絵里やれいなのことを思いうかべると、手
の指はものすごく速くうごきました。そして昇天こそしなかったものの、さゆみは満足してトイレをで
ました。
そのとき、さゆみは男に声をかけられました。男は三十歳くらいのイケメンで、コンサートスタッフ
のジャンパーを着ていました。さゆみはもしかしたらトイレでオナニーをしていたことを気づかれた
のかもしれないとも思いましたが、イケメンが女子トイレにはいったりすることはないな、と思いなお
しました。
「なんですか?」さゆみはオナニーのあとだということをさとられないように普通に答えました。
男はそんなさゆみを獲物を見るような目つきで見て、真顔のままの表情で笑いかけました。「サユ
ミちゃん、よろこんでくれた?」
- 45 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:48
-
さゆみはなんのことだかわからず、首をかしげました。「なんですか?」
男はふふふっと息で笑って、それからその名前をいいました。「キャメイさん。キミにキャメイさん
をおくったの、ボクなんだ。きっとよろこんでくれるだろうと思ってね」
さゆみはなんだかこわくなりました。絵里をおくってくれたのがその人だとしたら、それは感謝す
べきことであって、こわがる必要はなかったのですが、その男の表情がさゆみにはとってもこわい
ものに映っていたのです。さゆみは表情を硬化させました。
「あなたが? さゆに?」
「そうだよ。ボクがおくったんだ。キミへのプレゼントだよ。だってキミはキャメイさんのことが好きな
んだろ? ボクはそれを知ってるんだよ。だってボクはキミのことをずっとずっと見てきたからね。
キミが自分でもわからないくらいにひそかにキャメイさんのことを好きでいたってことも、ボクだけは
知ってるんだ。だからプレゼントしたんだ。キミがクビッタケなキャメイさんのクビッタマをね」
さゆみは足がガクガクとふるえていることに気づきました。男のその特異な話しかたが、はっきり
とした恐怖に感じられたのです。でも、さゆみはそこに恐怖とともに別種の感情があることにも気づ
きました。その男なら、きっとさゆみの願いをさらにかなえてくれるかもしれないと思えたのです。そ
してそのとおりになりました。
- 46 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:49
-
さゆみは男に連れ去られ、首をしめられて殺されました――。でも、さゆみはそれを悲惨なこと
だとは思いませんでした。さゆみは絵里とおなじように首だけになり、そして絵里とおなじように今
度は別のところにおくられるのです。さゆみはそのことをわかっていました。そして首だけになりな
がら、そのときが来るのをいまかいまかと待っていました。
男はさゆみの首の切断面を特殊なジェルのようなものでコーティングし、顔の皮膚という皮膚に
防腐剤のようなものを吹きつけ、桐の箱と白い包装紙と赤いリボンとを用意しました。そして手紙
にさゆみの血をつかって文字を書きました。さゆみはドキドキしながらそれを見ていました。まばた
きもできず呼吸もできず表情もかえられませんでしたが、それでもさゆみはそれが楽しみで楽しみ
で仕方がありませんでした。
男がなにやら話しかけ、そしてさゆみの顔の上に桐の箱をかぶせました。さゆみは目の前がまっ
くらになりました。そしてまっくらなまま、その箱がゆれるのに身(くび)をまかせ、ゆれながら自分が
目的地におくられるのを待ちました。
時間の感覚がなく、どれだけの時間が経ったのかわかりませんでしたが、さゆみはようやくそれ
がちかづいていることを知りました。どこかに箱がおかれ、それから震動がおさまったのです。さゆ
みはそこがれいなの部屋の前だということを確信していました。あの男はさゆみのことをだれより
も知っているのです。そうであればそこはれいなの部屋の前以外には考えられません。それにさゆ
みは首だけになってから不思議な感覚につつまれていて、生きているあいだの五感とはまったく別
種の感覚の中に存在していました。だからわかったのです。
- 47 :電源ぼっき:2007/04/13(金) 18:49
-
「なんだろ、これ」れいなの声がして、さゆみはもうよろこびでいっぱいでした。
早くその箱の体積やら面積やらを求めて、それから箱をあけてさゆをとりだして、そしてさゆの髪
を撫でたりさゆの耳を撫でたりさゆの頬を撫でたりさゆの唇に指を沿わしたりさゆの唇にキスをし
てほしいと思いました。そしてまた、さゆを抱きしめたりさゆとエッチなことをしたりしてほしいと思い
ました。さゆの名前をさけびながらオナニーしたりさゆに愛の言葉をささやきながらオナニーしたり
してほしいと思いました。さゆにれいなの大事な部分をクンニリングスさせてほしいとも思いました。
さゆみはれいなとのそんなそんな行為を想像して、もう爆発しそうなほどに高揚していました。そ
してそのときは来ました。
目の前の壁が突然に消え、さゆみはまぶしさを感じました。そしてそのまぶしさの中にれいなの
おどろいた顔を見つけました。
さゆみは声にださずにいいました。「れいな、これでずっとずっと一緒だよ」
完
- 48 :名無し娘。:2007/04/13(金) 20:32
- 魍魎の匣みたい
- 49 :電源ぼっき:2007/05/08(火) 01:06
- さしみ賞の優秀作品賞をいただきました。
人により好き嫌いが激しい内容かと思いますが、
読まれた方で感想のある方はお気軽にどうぞ。
- 50 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:17
- レスありがとうございました。
続いて、普通の小説です。
- 51 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:17
-
『きらりん☆星めぐり』
小春は走り出した。目の前には星があった。その星に恋人の顔が浮かんだ。病床の痩せ衰えた
顔が浮かび、それからまだ元気な頃の、優しい目がきらりんと輝いていた頃の顔が浮かんだ。
彼は言った。「もし僕が死んでも、それを悲しまないでくれ。僕は星になって、いつまでも君のこと
を見守り続けるから」
「やだ、いやだよっ……」小春が泣くのを我慢しながら言った。
「人間にはそういう定めみたいなものがあるんだ。君はまだ若い。これからいくらだって幸せになれ
る。たとえ僕とじゃなくても、僕はそれでいいんだ。君が幸せになってくれれば、僕はたとえ星になっ
ても、輝くことを絶対に忘れないよ」
彼は東に向いた病室の窓から外を見つめた。日はすっかり暮れて、その先には一つの星があっ
た。
「あの星がいいな。うん、僕は死んだら、あの星になるよ。だから君も、心の片隅でいいから、あの
星のことを忘れないでいてほしい。あの星が輝いている限り、僕は君を見ているから」
彼の笑顔に小春もその星を見た。そこにはきらりんと輝いている星があった。
それから一週間、彼の容態は急変し、一ヵ月後には別人のように痩せ衰え、そして静かに息を引
き取った。小春は仕事があって彼の臨終に立ち会うことができず、通夜や葬式にも顔を出すことが
できなかった。
- 52 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:17
-
小春はいてもたってもいられなかった。彼の言葉を思い出し、星を見つめた。その星は彼の瞳
のように輝いていた。小春は彼にもう一度会いたくなった。まだ若く、恋人の死を素直に受け入れ
られるだけの余裕が心になかった。だから走り出したのだ。その星に向って。
小春は着の身着のまま、月島にあるマンションの自室を出て、東へと走った。道路標識などは
関係なく、ただ深夜の街を東へと走った。一キロも走ったところですでに息は荒くなり、横っ腹に
奇妙な感覚がこみあげてきた。普段使っていない筋肉が悲鳴をあげ、足も痛かった。しかしそれ
でも小春は走るのをやめなかった。
深川不動尊から江東区を横断し、荒川の橋を渡った。よれよれになりながら江戸川区を走り、
江戸川を渡った頃にはすでに夜も明けかかっていた。星はすでに消えていた。それでも小春はそ
の方角に星があることを忘れず、走り続けた。
千葉県に入った途端、ポケットに入れていた携帯の電波のアンテナ表示が一気に消えた。道路
の舗装もなくなり、周りの景色も田畑や荒地やジャングルに変わった。小春は不安になったが、そ
れでも走るのだけはやめなかった。
太陽が南天を通過し、汗がふき出した。井戸を見つけては定期的に水分を補給し、落花生畑で
はおじさんから落花生を貰い、空腹を満たした。
日が暮れて、再び星が輝き始めた。小春は星を目指し、彼に向ってやみくもに走った。とうに体
力の限界を超え、気力だけが足を動かしていた。目がくらみ、視界はぼやけていた。ジャングルの
中とはいえ、どこを走っているのかさえよくわからなかった。そして小春は力尽きた。
- 53 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:17
-
小春は神社の境内で倒れていた。肉体的にも精神的にも極度に衰弱しており、とても歩けるよ
うな状態ではなかった。神社の禰宜(ねぎ)が小春を介抱し、体力が快復するまでしばらく滞在す
るようにと言った。小春は今すぐにでも走り出したかったが、その好意を受け入れることにした。
境内の常緑樹が目に優しく、小春の心を癒した。小春は神社の人々に優しくされ、尋ねられるま
まに事情を話した。皆、小春の話に目をうるませていた。誰も小春が星に向って走るのをやめさせ
ようとはしなかった。それどころか、小春の熱意にうたれて、神宝の剣を小春に貸し与えたほどだっ
た。
「これから先、幾つもの苦難にぶつかるでしょう。そんな時にきっと役に立つはずです。この剣をお
持ちなさい。香取の神が守ってくれることでしょう」
「ありがとうございます。この恩は決して忘れません」
小春は礼を言って、再び走り出した。しかし体力が完全に快復していなかったため、利根川を渡
ってしばらく進んだところで再び力尽きた。
今度もまた、倒れていたのは神社の境内で、小春は同様に介抱され、同様に神宝の剣を貸し与
えられた。
「鹿島の神が守ってくれることでしょう」
小春は礼を言って、再び走り出した。しかし、もうそれ以上、東に進む道はなかった。目の前には
だだっ広い太平洋が広がっていた。
小春はさきほどの神社に戻った。ちょうど祭礼の期間で、境内には様々な露店が並んでいた。小
春はひらめいて大量の風船を購入し、それを木の箱に結びつけた。それからもしもの時のために、
神社の人に頼んで落下傘を用意してもらった。周りの人たちはそれを興味深そうに眺めていた。
- 54 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:18
-
小春は木の箱の中に入ると、サイドに取りつけていた重石を取り除いた。風船の浮力で箱はふっ
と宙に浮かび、じわじわと高度を上げた。周りの人たちが一斉に声をかけた。
「どこ行くんや!」
「アメリカ!」
小春は叫んだ。目指す星は東にあり、東にはアメリカがあった。そしてアメリカに渡るには太平洋
を越えなければならなかった。風船は風に吹かれ、海の上を飛んだ。
すでに陸地は見えなくなっていた。眼下にはただ海だけが広がり、すでに海鳥がいる高度よりも
高いところにいた。爽快だったのは最初の一日だけで、それからは予想していなかった寒さとの戦
いだった。風船は気球と同じで風の内部にいるから、全くの無風状態だったが、それでも高度が高
くなればなるだけ、気温は下がっていった。神社で借りた毛布にくるまりながら、小春はただ星だけ
を見つめていた。
翌日になると、日本で話題にでもなったのか、風船に接近するように自衛隊機が姿を見せた。距
離感が掴みにくかったが、一キロくらいの距離か、あるいは二キロくらいか、それは風船と並行して
飛んでは追い抜かし、また旋回してきては並んで飛んだ。
小春は自分のことを心配して来たのだろうと思った。救助を必要としているのかどうか、こちらに
尋ねているのかもしれないとも思った。そして実際、小春は助けを求めていた。寒さは限界に達し
ていたし、それに二日もあればハワイくらいには着くと思っていたのに、眼下には一つの島すら見
えてこなかった。
- 55 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:18
-
小春は大きく両手を振った。助けてと叫んだりもした。星を目指すのをやめたわけではなかった
が、風船ではなくボートで太平洋を渡ることだってできたのだと、そういう結論に達していた。小春
は必死に手を振った。しかし自衛隊機はそれを見て、私は元気ですとアピールしているのだと思
い、あっさりと引き返して行った。
小春は絶望した。だが、希望を捨てたりはしなかった。それならそうで、そのまま風船でアメリカ
にたどり着けばいいのだと、そう考えていた。毛布を頭からすっぽりとかぶりながら、小春は星を
見つめ続けた。
一週間ほどして、風船はすでに半分ほどに減り、高度もかなり下がってきていた。落下傘は装着
しているものの、海に落ちれば死ぬかもしれないと恐怖を感じていた。しかし、それならそうで泳げ
ばいいのだと、前向きに考えるようにもなっていた。そして前向きに考えたせいか、小春の視界に
陸地の影が見え始めた。
「やった……アメリカだ! アメリカに着いたんだ!」
小春は喜び、箱の中で飛び跳ねた。風船は高度をかなり下げ、あと半日もすれば一気に墜落す
るかもしれないと、それくらい危険な状態だった。
小春を乗せた風船は陸地の上を通過し、針葉樹だらけの山中に不時着した。しかし、そこはたし
かにアメリカではあったが、小春が知っているアメリカではなかった。周りは一面の雪景色だった。
風船は小春をアラスカに運んでいた。
- 56 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:18
-
風船の箱を降り、小春は雪の中を歩いた。寒かったが毛布は残し、二つの剣だけを持って出た。
本当は今すぐにでも星に向って走り出したかったが、雪が深くて走ることはできなかった。
小春はとにかく民家を探そうと、東に向って山中を歩いた。するといきなり熊に出くわした。雪が
融ける前に冬眠から目覚めたらしく、空腹のためかなり気が荒ぶっていた。小春は剣を取り出し、
熊と格闘した。巨体に圧し掛かられ、そのまま圧死するかと思った。しかし、小春に覆いかぶさった
熊はそのままの状態で動かなくなった。偶然、熊の腹部に小春の剣が突き刺さっていた。
小春はなんとか巨体の下からはいずり出たものの、恐くなって突き刺した剣をそのままにすぐに
走り出した。雪の上ではあったが、慣れれば走ることもできるのだとわかった。小春はロッキーの
ように走った。そして日が沈もうとする頃、また熊と遭遇した。しかし一度倒したことで自信がつい
ていた。小春はもう一つの剣で熊を倒した。そして熊の毛皮を切り取り、肉を切り抜いてそれを食
べた。久しぶりの肉食に小春は生きていることを実感した。そしてなにがあっても星に向って走り
抜くのだと改めて決意した。
小春は熊の毛皮をすっぽりと身にまとい、また雪の上を走り出した。小さな村が見え、村人が小
春を見つけて驚いた表情を浮かべた。言葉は全くわからなかったが、熊の毛皮を指差し、それか
ら何度も何度も握手を求めた。その熊はその村の付近で暴れていた凶悪な熊だった。村人総出
の歓迎を受け、久しぶりに温かいスープを飲んだ小春は、しかし休むことなく、引き止める村人た
ちを日本語で説得して、すぐに村を出てまたもや走り出した。
そして一日が経ち二日が経ち三日が経ち、一週間が経っても走り続けた。熊の肉は自然に冷凍
状態となり、融けたり固まったりを繰り返しているうちに自然の保存食のようなものとなり、小春の
空腹を満たした。その保存食がなくなっても、もはや小春に食料の心配はいらなかった。巨大な熊
を倒したことで、小春は狩猟というものを覚えていた。食料はどこでも手に入った。
- 57 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:18
-
小春は山中を走り続けた。星に向ってアラスカ山脈を進み、星に近づこうとマッキンリーの単独
登頂に成功した。しかし星はまだまだ遠くにあって、その距離は全く縮まっていなかった。小春は
山を降り、カナダに入り、そしてロッキー山脈には向わずに海岸山地を南下した。そのまま東に
進んでもよかったのだが、寒さが走る速度を低下させており、小春は温かい土地まで南下した後、
東に向った方が効率がいいと考えていた。
熊の毛皮を頭からすっぽりとかぶっていたため、途中、熊と間違われて猟銃で撃たれたりもした
が、小春はヒューマンヒューマンと叫びながらその銃弾の雨をかいくぐって走り続けた。カナダの
テレビ局がホワイトホース付近で熊のような毛皮をした謎の雪男が目撃されたというニュースを流
していたが、人家のない山中を走っている小春には全く関係のないことだった。ニュースでは目撃
者が雪男は少女のような高い声でヒューマヒューマと鳴いていたと話していた。
海岸山地を南下して再びアメリカ国内に入り、小春は熊の毛皮を脱ぎ捨てて市街地へと降りた。
走り始めてどれくらいの月日が経ったのかはもうわからなくなっていたが、小春にはそんなことは
どうでもよく、それよりも小春は味噌汁が飲みたかった。
運がいいことにその街には日系企業が多く進出しており、NINTENDOなどと書かれた看板が目
についたりした。小春は走りながら日本食レストランを探した。その時、小春は日本語を聞いた。
見ると日本人の男性二人組がいた。小春は猛スピードでその二人に近づき、日本食レストランの
場所を尋ねた。二人は雪焼けした小春の顔を見て驚いた。
「君は、観光客?」
- 58 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:18
-
小春は観光客ではなく、星に向って走り続けているのだと答えた。そして首を傾げる二人に最
初からもう一度事情を説明した。二人は驚愕し、小春を日本食レストランへと案内した。
そこはアメリカにある日本食レストランであるから、メニューは日本の家庭料理とはやや違って
いた。スシやテンプラやシャブシャブといったお決まりのメニューが多かった。しかし、ちゃんとニ
クジャガもあり、トンカツもあった。小春はゴハンとミソシルとニクジャガとトンカツを食べた。代金
を払おうとしたが、あいにくドルは持っておらず、二人はいいよいいよと言って小春の分を払って
くれた。そればかりか、小春の話に胸を打たれたと言い、仕事場に招待したいとまで言った。
彼らに連れられて、小春はその街にあるスタジアムに行った。
「君が星にたどり着けるように、僕はその星に向ってホームランを打ってみせるよ」
「ホームラン?」
「僕は野球選手なんだ。シアトルマリナーズで一番を打ってる」
小春はなんとなくその人を見たことがあるような気がしていた理由を理解した。そして夕方にな
り、小春は彼から貰ったチケットでスタジアムに入った。試合が始まり、一回の裏になり、彼の打
順になった。彼はその初球をフルスイングした。ボールは真一文字に東へと飛び、それはスタン
ドを軽く越えた。それでもまだ打球の勢いは衰えず、ボールは薄暮れの空を飛び続けた。
「小春ちゃん! あのボールに向って走るんだ! その先に星がある!」
バッターボックスから一塁に向いながら、彼はスタンドにいる小春に声をかけた。小春はうなづ
き、席を立って再び走り始めた。スタジアムを出て、市街地を走った。ボールはまだ飛んでいた。
- 59 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:18
-
シアトルからカスケード山脈を越え、小春はコロンビア盆地を進んだ。更にロッキー山脈の峠を
抜け、だだっ広い砂の平地を走り続けた。ミズーリ川を越え、アイオワ州を通ってシカゴに入り、そ
こで偶然殺人の現場を目撃してマフィアから追われたり、エリー湖の北岸からオンタリオ湖の南岸
を通り抜けようとして川を泳ぎ、水量に負けてナイアガラの滝に落下したりしながらも、小春は東を
目指し続け、そしてとうとう大西洋に出た。
風船での太平洋越えの失敗から、小春はボートで大西洋を渡ることにした。大量の食料と水とを
準備し、小春はボートに乗り込んだ。しかし、すぐにハリケーンの嵐に巻き込まれ、小春のボートは
ボロボロになって海中を漂流した。オールを一本失い、それでも小春は片側のオールでボートを漕
ぎ続け、星を目指した。しかし海流の関係もあり、星との距離は全く縮まらなかった。それどころか、
ボートは流されて南に進んでいた。
一週間が過ぎ、十日が過ぎた頃、ボートに積んでいた水が底をついた。小春は絶望した。しかし、
やはり最後まで希望を捨ててはいなかった。小春は一生懸命にオールを漕いだ。周りをいつのま
にか薄い霧が包んでいたが、小春は漕ぎ続けた。そして霧が晴れた時、目の前には島があった。
「わたし、助かったんだ……」
小春は島に上陸した。しかし、その島は不思議な島だった。海岸にはタンカーやら漁船やら豪華
客船やら古い軍船やら大航海時代のサンタ・マリア号のような船やらが座礁したように放置され、
陸の上には同じように様々なタイプの飛行機が見えた。小春はそんな光景を眺めながら島の中央
部を目指した。そこには黒いピラミッドがあり、人々が平和に暮らしていた。
- 60 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:18
-
「ここは……?」
近くにいた人に小春が尋ねた。言葉が通じなかったが、しばらくするとそこに日本語が通じる人
が姿を見せた。
「どうやら新しい人が来たみたいだね」
「あなたは?」
「僕は日本人だよ。タンカーの乗組員をしていたんだが、突然の嵐でね、このバミューダ海域で消
息を絶ったってわけだ」
「バミューダ?」
「そう。ここはバミューダ。ただし、地図には載っていないよ。ここは異次元の空間なんだ。次元の
裂け目みたいなものがあって、それがたまに顔を出してバミューダ海域の船や飛行機をこっちの
次元に転移させるんだ。でも心配することはないよ。ここは楽園だから」
小春はまだ状況を理解できなかったが、彼に従って集落に向った。そこには様々な人種の様々
な人たちがいた。彼が小春を紹介し、皆が拍手で小春を迎えた。中には日本人も数人いた。
小春は歓迎を受けた。しかし、小春は焦っていた。そこの人たちはまるで時間を忘れたかのよう
にのんびりとしていて、それが小春には耐えられなかった。
小春は歓迎の席で自分の事情を話した。それを聞き、彼がそれを英語に翻訳した。そして更に
男がそれをフランス語に訳し、あるいはポルトガル語に訳し、スペイン語に訳し、とにかくそうやっ
てそこにいる全ての人たちに小春の事情が伝わった。皆、涙を流していた。
集落の代表のような格好をした女性が立ち上がり、なにやら言った。
「あの、なんて?」
「うん、君のためにも、ここで平和に暮らし続けるのがいいって言ってる。ただ、それでは君の悲し
みが永遠に消えることがないから、君が星を目指し続けるのならば、ここから出る手段を教えて
もいいって」
- 61 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:19
-
「ここから出られるんですか?」
「うん。運がいいことに少し前に最新式のクルーザーがここに来たんだ。そのクルーザーならここ
を出て大西洋を渡ることもできるかもしれない」
「私、星を目指したいんです。どうしても走り続けたいんです!」
彼が小春の言葉を翻訳し、また伝言ゲームによって全員に伝わった。男が立ち上がってなにや
ら叫び、女が叫び、そして全員が立ち上がって叫んだ。皆、小春を応援していた。
「次の満月の夜に裂け目が現れる。その時に君はクルーザーで世界に戻るんだ。クルーザーは
オートマチックだから、目的地を設定すれば多分その通りには進むはずだ。僕たちはここに残る
けど、君は星を目指し続けてほしい。ここにいる人たちは皆、それを願っている」
「ありがとうございます。この恩は一生忘れません」
小春は礼を言い、それから久しぶりに走らずにゆっくりと過ごした。そして満月の夜になり、小春
はクルーザーに乗り込んだ。海岸には人々が総出で見送りに来ていた。
クルーザーが動き出し、島影が消えるより早く、周りを薄い霧が包み始めた。そして小春を乗せ
たクルーザーは世界に戻った。小春は再び星に向って進み出した。
- 62 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:19
-
二週間後、小春はリスボンの港に着き、そこでクルーザーを降りてポルトガルに上陸した。それ
からの小春は水を得た魚だった。星に向って走り出し、ポルトガルからスペイン、フランスを通って
イタリアを南下した。それから泳いでギリシアに渡ろうとしたが、さすがにそれは無理だった。太平
洋や大西洋に比べれば小さな海だと思ったのが間違いだったが、気づいた時には小春は海の中
で力尽きようとしていた。しかし、小春は希望を捨てたりはしなかった。そしてそんな前向きな思考
が伝わったのか、小春の前に一隻の大型クルーザーが現れ、小春は救助された。
「あなたは?」
「オオ、アナタ、ニホンジンデスカ。ワタシ、ニホンゴ、スコシワカリマス」
小春を助けたのはギリシアの大富豪の御曹子だった。小春が事情を話すと、彼は涙と鼻水とを
豪快に流し、エーゲ海からトルコまで送ってあげると告げた。
「助かりました。ありがとうごさいます」
「ドウイタバシク。アナタノヨウナ、カワイイコヲ、タスケラレテ、ワタシモ、シアワセデス。ホントウハ、
アナタヲ、ワタシノワイフニ、シタイクライ、デス。デモ、アナタニハ、タイセツナヒトガ、イヤ、タイセツ
ナホシガ、イマス。ダカラ、ワタシハ、アキラメマス。デモ、アナタガヒツヨウナラ、ワタシ、ドンナキョ
ウリョクモ、スルデショウ。ナニカ、シテホシイコトハ、アリマスカ?」
「ありがとう。でも、助けてくれただけで私は満足しています。とても感謝しています」
「オウ、ソウデスカ。デモ、ナニカアッタラ、イツデモイッテクダサイ」
- 63 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:19
-
エーゲ海を通ってトルコに着き、小春は彼に礼を言って再び走り出した。砂の山だらけのトルコ
を横断し、チグリス川に沿って南下してイラクに入った。イラク国内は米軍との紛争やシーア派と
スンニー派の対立などで内戦状態にあったが、それでも小春はかまわずに走り続けた。銃弾の
中を走ったり、誘拐されかけて走って逃げたりしたが、世界の半分を走って来た小春にとっては
それくらいのことは大したことではなかった。
小春は砂漠を走り、街を走った。そしていつしか、小春の後ろを同じように走ってついて来る人
たちが出始めた。銃弾の中を走っている少女がいるという話が広まり、それが希望の象徴のよう
に噂されるようになっていた。最初は二、三人だった。それが五人になり十人になり、ついには百
人を超えた。それでも人々は増え続けた。イラク全土から宗派の違いを超えて人々が集まり、そ
れはとうとう千人を超えた。小春はなぜ自分についてくる人たちがいるのか、わからなかった。マ
ラソンブームかもしれないと思うくらいで、まさか自分が希望の象徴にされているとは全く考えつか
なかった。
小春はただ星を目指して走り続けた。途中、アルジャジーラが走っている小春にインタビューを
申し入れたこともあった。小春はただ星を目指して走り続けているのだと答えた。その話はイスラ
ム圏のあらゆる国々で放映された。人々はなぜ星を目指しているのだろうかと不思議に思ったが、
その答えは走った先にあるのだと思い、またもや走る人々が増えた。それはとうとう一万人を超え
た。しかし小春は走る以外のことはしなかった。ただ走り、民衆もただ走った。
小春が走った後ろで、民衆のエネルギーに後押しされる形で宗派の対立が解消され、内戦がつ
いに終結を迎えたものの、小春はただ星を目指して走り続けた。
- 64 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:19
-
イラクからイランに入り、小春はその山また山を走った。行く先々でアルジャジーラを見た人々が
小春に声援を送った。小春はなぜ自分が声援を受けているのかわからなかったが、それでも声援
に応えて走り続けた。イランの大統領がそんな小春の姿を見て、核開発を放棄することを決意した
が、やはり小春には関係ないことだった。
小春はイランからアフガニスタンに入った。同じような風景に道を間違え、小春は山中にぽっかり
と開いた洞窟の中に迷い込んでいた。洞窟の奥にはコンクリートの人工的な空間が広がっていて、
銃を持った男が小春を侵入者として捕まえた。小春は髭の男の前に連れて行かれた。男はベッド
の上に横になっており、死期が迫っている様子だった。
小春は彼のことを思い出した。そして、自分は走り続けなくてはならないのだと日本語で言った。
言葉はもちろん通じなかった。しかし熱意は通じていた。男は銃を持った男に命じ、小春を解放し
た。その一週間後、テレビではオサマ・ビン・ラディンが自殺したというニュースを流していたが、や
はりそれも小春の関知するところではなかった。
小春はパキスタンに入り、それからインドに入った。星を目指し、ネパールからヒマラヤ山脈を越
えようとしたが、マッキンリーのようにはいかずにそれは断念した。小春はインドからミャンマーに
抜け、そこをまた走った。イラクの時のようにまたも人々が小春の後ろをついて来ていた。しかし、
小春はまさか自分が民主化運動の象徴と思われているとは知らず、そのままミャンマーを通過し、
タイに入り、さらにカンボジアに入った。
- 65 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:19
-
ところが、カンボジアに入った途端、ジャングルを走っていたこともあって、小春は内戦時代の
地雷を踏んでしまった。地雷が爆発し、小春は二十メートルも吹き飛ばされた。しかし奇跡的に
小春は体の部位を失うことなく、軽い怪我だけで済んだ。小春はよれよれになりながら走った。し
かし、付近の村で片足の子供の姿を見た時、小春は思わず足を止めた。そして自分は星を目指
して走り続けなければならないが、そうしている間にも地雷によって被害を受ける子供たちがいる
という現実に気づいた。
小春は村人の話を聞き、地雷除去運動に協力することを申し出た。しかし小春には走ること以
外にできることはなかった。小春は自分の非力さに絶望した。その時、小春は以前のことを思い
出した。そして国際電話をかけた。電話の先はギリシアの大富豪の御曹司だった。
小春は彼に地雷を除去してほしいと頼み、彼はそれをオーケーして基金を設立することを約束
した。小春は村人に自分にはなにもできないと謝り、そのままその村を離れた。小春はまた星を
目指して走り出した。
ベトナムまで進んでまたもや海にぶつかり、小春は海を渡らずにベトナムを北上することにした。
水牛のいる水田の風景に心が癒された。そして中国に入り、海岸沿いを走り続けて北京にたどり
着いた。
北京ではちょうどオリンピックが開催されていたが、小春はそれがなんのお祭りなのかわからず、
そのお祭り騒ぎを横目に走り続けた。しかし、交通規制が敷かれていたせいで、小春はくねくねと
走っているうちにいつのまにか競技場の中に迷い込んでいた。ちょうど女子マラソンの号砲が鳴っ
たところで、選手たちがトラックを一周して競技場から出ていくところだった。
- 66 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:19
-
小春は彼女たちも星を目指して走っているのかもしれないと思い、彼女たちの後を追うことにし
た。トラックを一周してから競技場を出て、その集団の後を追いかけた。集団は東ではなく南や北
や西や、とにかく道に沿って色んな方向に走っていた。小春は疑問を持ちながらもその後を追い
かけた。折り返し点を過ぎ、先頭集団は人数がどんどん減っていた。しかし一年以上も世界中を
走り続けて来た小春にとって、四十キロほどの距離は月島を散歩で一周するくらいの感じでしか
なかった。小春は先頭集団を抜き、そのままトップで競技場に戻り、一時間五十九分五十九秒と
いう人類史上最速の驚異的な記録でゴールテープを切った。しかし小春は止まらず、再び競技場
の外に出てそのまま東に向って走り出した。
小春は万里の長城を越え、そのまま東に向かった。星は一向に大きくならず、小さいままその
距離は全く縮まらなかった。もしかすると一生たどり着けないかもしれないと、そんな不安が浮か
んできては振り払い、振り払っては浮かんできた。そしてふと、あのホームランボールは今も星に
向って飛び続けているのだろうかと考えた。それはわからなかったが、小春はどちらにしろ、星が
輝いている限り、何年かかってでも星を目指して走り続けようと思った。
- 67 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:20
-
小春は走り続け、そして小さな川を渡った。しかし川を渡った途端、銃を抱えた兵士たちに呼び
止められた。これまでにも何度か遭遇した光景で、小春はいつものように逃げ出した。小春の脚
力について来れる者は一人もおらず、銃弾をかわすのにも慣れていた。
小春は走った。しかし、応援を呼んだのか、兵士は次から次へと現れ、小春を捕えようと、ある
いは射殺しようとした。これまでにないくらいの銃弾の雨になった。しかし小春はずっと小さな星を
見続けて来ていたため、銃弾のような大きさの弾であればをスローモーションで察知することくら
いはできるようになっていた。追いかけても無駄だと思ったのか、兵士が小春に向って網を放った
りしたが、小春は神社の剣で網を破って難なく脱出した。
小春は走って走って走り抜いた。大量の兵士やジープが行く手をさえぎったが、そのたびに小春
は脚力によって難を逃れた。しかし、星に向って走り続けるのではなく、追いかけられ続けるという
のはいつもとは勝手が違っていた。疲労から走る速度も徐々に落ち、小春は追い詰められた。
小春は最後の力を振り絞って走った。そこが北朝鮮だろうと日本だろうと、捕まるわけにはいか
なかった。雲に隠れているとはいえ、その雲の向うには星があった。小春は星に向って走った。し
かし追手は増えに増え、もう前に進むことすらできないくらいになっていた。
- 68 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:20
-
小春は山中に入り、山を越え谷を越えた。しかしその先に僕らの町はなかった。あったのは有
刺鉄線のフェンスに囲まれたなにかの施設だった。小春はフェンスを乗り越えてその施設の中に
入った。そこにも兵士がいて、小春はまたも銃弾をかいくぐって逃げた。そして山中にぽっかりと
開いたトンネルのようなところへ入った。しかしそれはトンネルではなく、どこかに通じているとい
うようなことはなかった。小春は追い込まれた。そしてトンネルの中の機械室のようなところや研
究所のようなところなどを走りに走った。しかしもうそれ以上進むところはなかった。
追い詰められた小春は部屋の机の上やら椅子の上やら機械の上やら、とにかく逃げ回った。
ガラスケースを踏み割って中のボタンを踏んづけてしまったりもしたが、そんなことはかまわずに
とにかく逃げ回った。赤いランプが点滅し、非常警報が鳴り、ゴゴゴゴーと地鳴りのような音がし
たが、とにかくそこから脱出して星に向って走るために逃げ回った。
小春は部屋を出て、迷路のようにごちゃごちゃしたトンネルの内部を走った。なにやらロケット
のようなものが乗ったトラックが動いており、小春はそのトラックに駆け上った。そしてロケットの
先端についていた三角形のカプセルのふたを開けて、その中に逃げ込んだ。
移動式の発射台がトンネルの外に出て、トラックが荷台を傾けるようにロケットを斜め上に向け
た。そのロケットの先端には小春が乗り込んでいた。小春はノドンとともに打ち上げられた。
- 69 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:20
-
ものすごい衝撃に小春はなにが起きたのかわからなかった。ただ、感じとしてロケットが発射さ
れたのだと思った。しかし、小春は恐怖を覚えたりはしなかった。小春にとってロケットは宇宙に
向うものであり、それはもしかするとあの星を目指しているのかもしれなかった。
小春は轟音の中で日本海上空を飛んだ。しかしその数分の間に、どうもおかしいということに気
がついた。真っ直ぐ上を向いていたのが、いつのまにか機体が水平となり、さらに下に向おうとし
ていたのだ。
小春は墜落するのではないかと思い、少し不安になった。そして入る時に閉めたふたを開けよう
とした。一度閉めたら開かないようにできているのか、それとも気圧などの関係なのか、そのふた
は開かなかった。小春は焦った。しかし、小春は希望を捨ててはいなかった。小春は剣を取り出し、
そのふたをこじ開けた。ものすごい速さで飛んでいるのがわかった。ふたから頭を出そうとしたが、
風船の箱とは全く違い、風圧がもの凄かった。
それでも小春は諦めなかった。走ることで自然と鍛えられた肉体をフルに稼動し、ふたの外に頭
を出した。前は向けなかったが、後ろを向くと目を開けることもできた。眼下には日本海が広がり、
地図帳で見るような日本海側の海岸線が大きく見えた。しかし、そんなことに感心している余裕は
なかった。ロケットが斜め下に傾き、小春ははっきりと墜落を予感した。陸地が徐々に大きくなり、
関東が見え、それがすぐに東京になるだろうと思った。お笑い芸人が罰ゲームでスカイダイビング
をする時の映像くらいの高度にまでそれは下がってきていた。
- 70 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:20
-
小春はこのまま墜落するのだと思った。これまで何度も助けられてきた神社の剣を握ってみた
が、それが小春を助けてくれるということはなかった。小春にはもうなす術がなかった。そんな時、
小春の視界に星が映った。星は輝いていた。小春はマンションを出て走り始めてからのことを走
馬灯のように瞬時に思い起こし、そしてそこに希望を見つけていた。
ロケットは傾きを更に増してほとんど真下に向いた。そして小春は開いたふたから振り落とされ
た。千メートルほどの高さから落下し、小春は気絶しかかった。だが、希望を忘れてはいなかった。
小春は背中に背負った落下傘の紐を引いた。落下傘が開き、その次の瞬間、落下の速度が一
気に止まった。小春は風船で空を飛んでいた時のように風に吹かれながら、ゆっくりと高度を下げ
ていった。遠くの方、東京の都心部の方にミサイルが落ちていくのが見えたが、特に爆発が起こる
というようなことはなかった。小春が乗っていたカプセルの中身は空で、爆薬や核弾頭などは積み
込まれていなかった。ミサイルが飛んできたことに変わりはないが、それは大型トラックが民家に
激突するようなものに近かった。
- 71 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:20
-
落下傘に揺られながら、小春はミサイルに遅れること数分で東京に舞い降りた。何年ぶりの東
京なのか、小春にはわからなかったが、それでも懐かしかった。
小春は走るのをやめ、歩いて月島のマンションに戻った。そして窓から東の空を眺めた。星は
昔とかわらずに輝いていた。結局、星にはたどり着けなかった。でも、それでいいのだと小春は
思った。
「あの星は……きっと心の中にあるんだろな……」
小春は彼のきらりんとした瞳を懐かしく思い出しながら、笑顔を浮かべた。
翌日、小春は久しぶりに事務所に顔を出した。モーニング娘。はとっくに解散していた。
完
- 72 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:21
- 丸々五時間とタバコ一箱を費やして一気に書き上げました。
タバコを吸いすぎて気分は最悪です。
それはさておき、感想がある方はお気軽にどうぞ。
- 73 :名無し娘。:2007/05/19(土) 03:27
- ちなみに着想は『走れメロス』と『フォレスト・ガンプ』と「風船おじさん」と、
こないだ再放送してた『ロッキー』と『モンモンモン』の最後らへんです。
- 74 :名無し娘。:2007/05/19(土) 15:55
- 一気に読んだ
疾走感がいいね
- 75 :名無し娘。:2007/06/12(火) 21:49
- 自己保(←連立内閣っぽい)
- 76 :名無し娘。:2007/06/28(木) 21:18
- 読者の皆さんに質問ですが、需要はありますか?
他所での連載に専心してて新作の予定はないけど、
ここまでレスがないと気になります。
- 77 :名無し娘。:2007/06/28(木) 21:27
- レスならついてるじゃん
- 78 :名無し娘。:2007/06/28(木) 22:19
- 少ないという意味です。それで需要がないのかと思った次第。
狩狩では受け入れられない作風ではないだろうかと。
- 79 :名無し娘。:2007/06/28(木) 22:30
- 狩狩って元々レス少ないよ
- 80 :名無し娘。:2007/06/28(木) 22:35
- それは知ってます。色々連載してますから。
でも、おめレスが一件もないというのは、どうなのかなあと。
電源ぼっきという名前がまずかったのかなあと。
- 81 :名無し娘。:2007/06/28(木) 22:37
- 電源ぼっきという名前がまずかったんだと思います
- 82 :電源ぼっき5:2007/06/28(木) 22:43
- 語感でわかってくれると思ったんだけどね。
- 83 :名無し娘。:2007/06/28(木) 22:59
- つづけ
- 84 :名無し娘。:2007/06/28(木) 23:05
- >>82
何か深い意味があったの?
- 85 :電源ぼっき5:2007/06/28(木) 23:08
- まさかと思うけど、誰一人として気づいてないとか?
作者名と作風でわかると思ってたんだが・・・
- 86 :名無し娘。:2007/06/28(木) 23:13
- 何が?
- 87 :電源ぼっき5:2007/06/28(木) 23:18
- ネタ感想スレで今その話題になってます。そちらをどうぞ。
- 88 :名無し娘。:2007/06/28(木) 23:18
- なるほどそういうことか
- 89 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:00
-
『天狗』
東の山に天狗がいるそうな。天狗は岩だらけの険しい山谷の、一番奥まったところにある薄暗
い洞穴(ほらあな)に住み、里にはちっとも降りて来ん。どうやって暮らしとるのか、何を食べて生
きとるのか、気になるという話を、今もしとったところだわ。
その話を聞いて、サヤカはその天狗こそが自分が求めている人物に違いないという確信を持っ
た。
「ありがとう。気をつけます」
サヤカは大昔の営業用スマイルから比較して七割程度のほどよい笑顔を浮かべ、頭をゆっくり
と下げた。
村人も、いやいや、なになに、などと返事をしながら、人のよさそうな顔で頭を下げ返した。
これまでのサヤカは、余所者(よそもの)に対して並並ならぬ興味と警戒心を併せ持つという田
舎独特の慣習に、ほとほと困り果てていた。いくら笑顔で話しかけても敵を見るような目で冷たく
あしらわれ、否定の答えを聞き出すのにさえ労力を要する。特に山間部の離村ではその傾向が
強く、サヤカはそれが過疎化の原因だろうと思ったほどだ。
それが、その村では違った。仏師の話は聞けなかったが、天狗の話は聞けた。
サヤカは、その天狗こそが伝説の仏師に違いないと、話を聞いてすぐにピンときた。
そしてまた、村人がそのことを話してくれたのは、村人にとって、サヤカ以上に警戒すべき存在
がいたからなのだろうとも思った。考えるまでもなく、その存在とは天狗だった。
- 90 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:00
-
○
サヤカは山に登った。リュックサックの中には、たいがいの物が揃っている。専門的な登山用具
とまではいかないが、ロープもあれば詳細な地図もコンパスもあり、食糧や水は二日分を用意して
いた。リュックサックの上には、汗の染み込んだ寝袋と保温シートも載せてあった。
仏師を探すために方方を渡り歩き始めてから、早三ヶ月が過ぎていた。
最初の頃は何の情報もなく、諦めようと思ったこともあった。母親に預けてきた子供のことが心配
になったりもした。
しかし、サヤカは自分の受けた天啓を信じた。
自分を救ってくれるのは、自分を成長させてくれるのは、伝説の仏師しかいない。
その思いは、どんなに絶望しても、最後まで決して消えることがなかった。
サヤカは気を引き締め直し、山に登った。
○
天狗はあっけないほど簡単に見つかった。
沢伝いの道を、小さな滝がある場所まで進んだところ、その爽やかな川原に、隠れることもなく、
静かに座っていたのだ。天狗は座りながら、ノミを使って仏像を彫っていた。
サヤカはその近くまで行くと、声はかけず、ただ黙ってその様子を見つめた。
シュッシュッシュッと木屑のめくれる音がし、そのたびに木塊に魂が込められていく。
見事だと思った。技術もだが、その静かなる様子に、サヤカは大いに感心した。
見た目は六十歳を少し越えたくらいだったが、サヤカは、もしかしたら七十歳や八十歳を越えて
いるかもしれないとも思った。天狗には凛とした風格が備わっていた上、まるで悟りを開いた仙人
のように、不思議な靄のようなものが体全体から発散されていた。
- 91 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:00
-
○
日が傾き出した頃、天狗はようやく顔を上げてサヤカのほうを見た。
まるで、それまではまったくサヤカに気づいていなかったというような様子で、しかしそのどこにも
演技のようなものは見えなかった。
「お嬢さん、どうかなさったかね」
「あ、はい。あなたを探してました。かれこれ三ヶ月も」
「ほほお。天狗を探すとは、お嬢さんにしては奇怪な趣味をお持ちのようで」
サヤカは次に何と言っていいかわからなくなった。
彼を探していたのは、彼の彫った仏像に魅せられたからだった。そして、その仏像を手元に置い
ておきたいと願ったからだった。それも、その仏師がサヤカのためにだけ彫った仏像だ。そのプラ
スアルファの要素があることによって、サヤカはこれから先の人生を、自分という存在を無視する
ことなく、強く正しく生きていけるような気がしていた。
しかし、彼の仏像を彫る姿を見ているうちに、その先に新たな願いが生まれてもいた。
「お嬢さん、わしの弟子になりたいと、そう思っているようだね」
「えっ?」と、サヤカは驚きを口にした。今まさに、サヤカはそのことを考えていたのだった。
彼は日に焼けた赤黒い顔に笑みを浮かべて言った。
「何も心配することはない。弟子になりたいなら、なればいい。心がありさえすれば、誰にでも仏は
彫れる。もっとも、わしは自分が彫っているものを仏だとは思っておらんがね」
「それなら、それはいったい、何なのですか。私には立派な仏様に見えます」
「木じゃよ。わたしはただ、木を彫っておる。そこに顔のようなものがあるのは、木がそういう表情
を浮かべたいとわしに訴えかけ、わしもその声に耳を傾け、そうしているうちに自然にそうなってし
まうだけなのじゃ」
その日、サヤカは天狗に弟子入りした。そして日が山陰に隠れた頃になってようやく、サヤカは
彼が山伏だか修験者だかの格好をしていたことに気づいた。
サヤカはそれを、これまで見たどんなファッションよりも、おしゃれで自然だと思った。
- 92 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:00
-
○
一年はあっという間だった。
サヤカも今ではすっかり自然の中で暮らす天狗生活に馴染んでいた。自分が尼天狗と呼ばれ出
したことも知っているし、山道などで村人と遭遇した時、驚愕の表情を浮かべながら逃げ出される
ことにも慣れた。
しかし、一番の目的である仏像を彫るということに関してだけは、サヤカはほとんど上達をしてい
なかった。
師匠は自分が思うままに心で彫ればいい、それが木の顔なのだから、と言うだけで、技術的なこ
とを教えようとはしなかった。ただし、サヤカのほうも、木工技術を学ぶために弟子になったのでは
ないということを、ちゃんとわかっていた。うまく彫りたいだけなら、彫刻教室でも専門学校でも、道
は用意されているのだ。
とはいえ、自分にまったく進歩が見られないことに、サヤカは内心で大いに焦っていた。
どうすれば師匠のように、自然な、心のこもった像が彫れるのか、その最も大事なところがわか
らず、最後まで彫り通すことができなくなっていた。
最初の頃は、下手なりに最後まで彫り、出来上がった木の顔を、丸一日かけて、朝から晩まで、
眺めていたものだ。そうするうちに木の声が聞こえてきて、僕は笑顔なんだけどとか、私は本当は
悲しいのとか、本当のことを教えてくれるような気がしたのだ。
そして実際、そんな声が聞こえたような気がすることもあった。
しかし、そういった試行錯誤を続ければ続けるほど、サヤカは自分の彫った顔がどれも作り物の
ように思えてきて、ついには最後まで彫り通すことができなくなってしまったのだった。
- 93 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:00
-
○
「師匠、お願いがあります」
ある時、サヤカは思い切って師匠に頼み事をした。
それがどういう結果を招くのかはわからなかったが、それを形としてはっきりと表したいという思い
が強くあったのだ。
サヤカは言った。
「私のこの彫りかけの木の顔、ここまで彫って、もう続けることができなくなってしまいました。顔が、
声が、わからなくなってくるんです。でも、でも、師匠なら、この顔が本当はどんな顔なのか、どんな
顔になりたがっているのか、わかると思うんです。この顔がどんな顔なのか、私に見せていただけ
ませんでしょうか」
つまり、サヤカは自分の彫りかけの木の顔を、師匠に完成させてほしいと頼んだのだ。
師匠は、ほっほっほっと笑い、サヤカが手渡すまでもなく、その木片をひょいと手に取った。
「惜しいところまではいっておるんじゃがの。技術的には、たしかに下手じゃ。しかし、木の顔という
ものはのお、技術とは関係ないんじゃよ。心じゃ。心があれば、どんな顔も浮かび上がらせることが
できるというものじゃ」
それから、師匠はその木片を手に持ったまま、じっと見つめ続けた。
それが五時間にも六時間にもなった。
サヤカはかがり火を焚き、まだ暗い早朝に山寺から貰ってきていた野菜を刻み、米とともに鍋で
煮て、それを晩飯として食べた。
師匠はまだ動かなかった。
- 94 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:01
-
○
山寺はその場所から三十分ほど、岩肌の露出した小さな山を越えたところにあり、米や野菜を分
け与えてくれていた。里の村人は二人のことを天狗と恐れていたが、その山寺の和尚は仏師の彫
る仏像をはじめて見て以来、よき理解者となっていて、たまに様子を見にくるほか、訪れれば野菜
や米などの食糧を惜しむことなく分け与えてくれていた。
師匠はサヤカに、定期的に、和尚に渡すお布施を持たせていた。お布施は現金で、サヤカは最
初、師匠が大金を溜め込んでいることに驚き、呆れもしたが、お金に対する価値観がまったく違う
ことを知ってからは、逆に自分を恥じた。
師匠はお金にこだわりを持っていなかった。物品交換券くらいにしか見ておらず、それを溜め込
んでいたのも、もしもの時のためだとか、老いさらばえた後のためだとか、そういう俗物的、庶民的
な目的では決してなかった。大昔に、ある金持ちが仏像をどうしても売って欲しいと懇願し、その対
価として置いていったというだけのもので、それが今もなお手元にあるのは、ただ使い道というもの
がなかっただけなのだった。
だからこそ、師匠は米や野菜を提供してくれる和尚に、多額のお布施を、まったく気にすることな
く渡していた。
そんな師匠を見て、サヤカは生まれてはじめて、お金の使い道というものを知ったのだった。
○
日は完全に沈み、辺りは真っ暗になっていた。チロチロと耀(かがよ)う火も、すでに木の枝の大
半が燃えかすとなり、消えかけようとしていた。
師匠はまだ動かなかった。
サヤカはそんな師匠の様子をじっと見ていたが、日の出とともに起き、山を越えた疲れもあって、
すぐに眠気が全身を包み込みはじめた。サヤカはシートの上に横になった。
- 95 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:01
-
○
翌朝、山鳥の鳴き声で目を覚ましたサヤカは、師匠が前夜とまったく変わらない場所に、まった
く変わらない格好で座っていたことに、大いに驚いた。そしてそれから、自分がいつの間にか眠っ
てしまっていたことに気づいた。
「おはようございます」と、サヤカは声をかけた。
その声に、師匠はふとどこか遠くを眺めるような目を浮かべた。そして言った。
「うむ。ようやく、聞こえたわい。この木の顔は、サヤカ、おまえさんじゃよ」
「私?」
「おまえさんがここまで彫ったのは、木の声を聞いたからじゃが、それとともに、もう一つの声も聞
こえていたじゃろう。それがおまえさんの、自分自身の声じゃよ。この木はおまえさんに、おまえさ
ん自身の顔を彫ってもらいたがっていたんじゃ」
サヤカは驚いた。自分が彫っていたのは木の顔だとばかり思っていたのに、それが自分の顔で
もあると聞かされたのだ。しかし、驚きの次にはまた別の感慨が湧いてきてもいた。不思議なこと
に、ずっと以前から、そのことを知っていたような気がしたのだった。
師匠はふーっと大きく息を吐くと、置いてあったノミを手に取った。
そして、その不恰好な彫りかけの木に、ちょんと、力強く、たった一つだけ、線を入れた。
「できたわい。これが、この木の顔、そしておまえさんの顔じゃ」
サヤカは像を受け取った。そして見た。
頭の中に同時に様様なことが浮かび、そして静かに消えて、一つだけが残った。
サヤカが二週間もかけて彫り、最後まで彫り終えることなく諦めてしまったその像が、たった一
本の線を入れたことにより、見事に完成していた。
サヤカはその木に刻まれた自分の顔を見て、知らず知らず笑顔を浮かべていた。
- 96 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:01
-
○
さらに一年が経った。
最後まで彫り通すことができるようになったとはいえ、サヤカの技術はまだまだ未熟だった。
師匠のように、最も重要な一点、一線を見究めたいと、何百という像を彫ったが、なかなかうまく
はいかなかった。
サヤカは修行が足りないと思った。そして、もっと師匠に学ばなければと思った。
ところが、奇しくも、そう決意を固めた日が、師匠との別れの日となってしまったのだった。
- 97 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:01
-
○
その日、師匠は岩肌を見てくるといって、朝早くから出かけて行った。木の顔と同じように、岩に
も岩の顔があるのだという。
サヤカは岩にも顔があるということを聞き、なるほどそれもそうだと思うとともに、なぜ自分は今
までそのことに気づかなかったのだろうとも思った。
師匠が言わなかったとしても、サヤカは山寺への行き帰り、岩肌の露出した箇所を通り、凄い大
岩だなあとか、面白い形の岩だなあとか、そういうことには気づいていたのだ。だから、そこにも顔
があるということに気づかなかったことを、自分の怠慢だと思い、その日は木を彫らずに、岩にど
んな顔があるのだろうかと、そのことを空想して過ごした。
師匠は昼になっても、夕方になっても、夜になっても帰ってこなかった。
サヤカは、師匠はきっと、大岩を前に座り込み、声を聞くためにじっと見つめているのだろうと思
い、様子を見に行くこともなく、先に横になることにした。
サヤカが師匠が倒れているのを発見したのは、その翌朝、山寺へ向かう途中のことだった。
師匠は大岩の前で、座禅を組んだまま前に崩れ落ちたかのような体勢で倒れていた。
しかし、サヤカは狼狽しなかった。自分でも驚くほどに落ち着いていた。
それは、サヤカにとって、師匠は生きながら自然と同化した存在で、最初から最後まで、生死を
超越した仙人のような人物だったからだった。
悲しみや寂しさ、偉大な師匠を失った無念さや空虚さはあるにはあったが、サヤカには、師匠は
きっと幸せだったに違いないという確信があった。
涙はしばらく止まらなかったが、サヤカは笑みを崩さなかった。
師匠の彫った幾千の木の顔は、どれも師匠の顔でもあり、いつでもそばにいてくれるのだ。
- 98 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:01
-
○
その日、サヤカは崖に張りついていた。
大岩の頂上を越えた向こう側の大木二本には命綱のロープが結んであり、すぐ横には縄梯子も
垂らしてあるし、下には万が一の時のためにクッションとなる毛布も積んである。
サヤカがその大岩に挑戦しようとしたのは、師匠が死んで一週間後のことだ。
山寺の和尚とも今後のことを話し合い、よければ寺で暮らしなさい、という話も出たが、サヤカは
これまで通り天狗として暮らすことを望み、そしてまた、師匠のやろうとしていた岩の顔を彫るとい
う偉業を受け継ぐ決意を固めてもいたのだった。
「それは、磨崖仏(まがいぶつ)ということかね」と、和尚は尋ねた。
「まがいぶつ?」
「石仏なんかではなく、浮き彫りの、岩に刻む仏像のことだよ。レリーフ状の浅いものもあれば、岩
を半分以上くり抜いたような立体的なものもある。以前に九州に修行に行った時に、国宝の磨崖
仏というのを見たことがあってな、いやいや、なかなか立派なものだったよ」
サヤカはその話を聞き、ますます挑戦する決意を固めた。
特に磨崖仏という言葉が気に入っていた。まがい者の自分にはうってつけだと思ったのだ。
「やります。私が、師匠の跡を継ぎ、あの大岩の顔を、浮かび上がらせてみせます」
「だが、大変な作業になる。道具も、これまでのような木工のものでは通用せんだろう。まあ、そな
たがやろうというのであれば、私も協力は惜しまんが」
その翌日から早速準備を始めた。対象を一番大きな岩肌と決め、その前に腰を下ろし、その声
に耳を傾けた。その間、和尚は里に降り、さらに都市に出て、必要な道具を揃えた。
そして一通りの道具が揃い、サヤカはついに大岩に挑みはじめたのだった。
- 99 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:01
-
○
丸一年が過ぎた。夏になって岩肌が高温と化しても、冬になって岩に霜が降りても、サヤカは大
岩から離れなかった。天狗を恐れていた里の人たちも、今ではその岩場を訪れ、サヤカの彫刻の
様子を見守り、協力を申し出るようにまでなっていた。それには和尚の地味な説得もあったに違い
ない。
村人たちにより木製の足場が組まれていた。
サヤカはその上に立ち、目の前の岩にノミをふるった。
カン、カン、カン、と小気味いい音が響く。その音にうっとりしている村人もいる。
すでに大岩には顔や体らしきものが浮かび上がっていた。ある者はそれを見て不動明王だと言
い、ある者は大日如来だと言った。和尚は、さてさて、なんだろうか、と言った。
日が暮れて、サヤカは足場から下りた。
村の女たちが晩御飯を用意してくれていて、サヤカはそれをありがたく頂戴した。そのかわり、
サヤカは自分の彫った木の顔、仏像を村人たちに提供した。岩を彫る合間にも、これまで通り、
サヤカは木の顔も彫っていた。それは村人たちにとても評判がよかった。遠くのほうから、評判
を聞きつけて、わざわざ買いに訪れる者がいたほどだった。
サヤカは予期せぬうちに、すっかり有名人に、そして聖者となっていた。尼天狗という呼称はそ
のままだったが、それも畏怖や侮蔑によるものではなく、尊敬のこもったものとなっていた。
サヤカはそんな状況の変化に恐縮しつつ、しかし浮かれることなく岩に向かい続けた。
- 100 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:02
-
○
岩を彫りはじめて一年半。岩には奇怪な人物の姿が、半分立体的に、浮かび上がっていた。
迫力のある大きな像が一つと、こじんまりとした人物大の小さな像が一つ。
しかし、それが完成することはなかった。
最後の最後にきて、サヤカはノミをふるうことができなくなっていた。
それは、その岩に刻まれた姿が天狗の格好をしていたからだった。
サヤカはその時にはじめて、自分が何を彫っていたのかを知った。それまでは無我夢中で、自
分が何を彫っているのか、まったく頭になかったのだ。
それは天狗であり、そして師匠だった。
サヤカは師匠の姿を、その岩の中に追い求めていたのだ。
そしてまた、小さなほうの像は、サヤカ自身のものだった。手にはキノコのようなマイクを握って
いる。それはサヤカの青春時代の姿だった。
それに気づいた時から、サヤカは自分が間違ったことをしていたのではないかという恐れに苛
まれるようになった。その思いは打ち消しても打ち消しても浮かんできて、サヤカを極度に衰弱さ
せた。
和尚や村人の協力を得てそこまでこぎつけたのに、出来上がったのは、いや、実際はまだ出来
上がってはいないのだが、どちらにせよ、それが単なる自分の中の思い出だったというのでは、皆
に何と言っていいのか、すまないような気がしたのだ。
そしてまた、サヤカは師匠の姿を彫ってしまったということに、大いに緊張してもいたのだった。
数日間、サヤカは岩を刻めなかった。
和尚も村人たちも心配しはじめた。しかし、サヤカは手を動かすことができなかった。同時に、木
像を彫ることもできなくなった。サヤカは何の声も聞こえなくなっていた。いや、ありとあらゆる声が
聞こえてきて、どれが自分への声なのか、どれが対象物の声なのか、その判別ができなくなってし
まったのかもしれなかった。
目の前に立ちはだかった師匠の姿に、サヤカは静かに圧倒されていた。
- 101 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:02
-
○
サヤカの苦悩は一ヶ月も続いた。
動きのなくなった作業を見て、村人たちもあまり寄ってこなくなった。
村人たちの中には、すでに完成したと思い込んでいる者もいて、完成の宴をしたいという申し出
などもあったが、サヤカは無言で、じっと岩を見つめているだけだった。
皆が皆、何か深い悩みがあるに違いないと気づいたが、それを尋ねかけられる者はいなかった。
邪魔をしてはならない。静かに見守ってあげよう。そんな声が村人の間で上がっては消えていっ
た。
- 102 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:02
-
○
作業場から尼天狗が消えたという話が村中で話題になったのは、それから一ヵ月後のことだっ
た。
その話は村人同士が会えば必ずといっていいほど繰り返されたが、それもいつしか消え、村人
たちは、尼天狗はすでに目的を達したのだろうということで、話を決着させた。それ以外になす術
がないというのも、その理由の一つだった。
すでに足場は取り外され、岩の像の前には小さな祠のようなものまで用意されていた。
村人たちはそれを親子天狗岩と名づけ、近くを通るたびにお供えをしたり、手を併せたりした。
和尚もサヤカの消息を心配しつつ、村人と同じように定期的に天狗岩を訪れた。
「和尚さん、この天狗岩の見事さといったら、言葉になりませんなあ」と、ある村人が言った。
しかし和尚の表情は冴えなかった。和尚は言った。
「たしかに、見事といえば見事だが、しかし、何か一つ足りないような気がして、それがどうも気に
かかるのだ。果してこれが完成なのか、それとも違うのか。今となっては、答えてくれる者もいない
のだが」
村人はふむふむと頸突いたものの、祠の前で手を併せ、いやいや見事な岩だ、と言いながら、
その場を去って行った。
和尚はその日、夕暮れまでその場にたたずんでいた。
しかし、天狗の声が和尚の耳に聞こえることはなかった。
サヤカの消息は、その素性とともに、わからないままだった。
(おわり)
- 103 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:02
-
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- 104 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:02
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『嵐』
風がゴーゴーと騒がしい音を立て、海は大きくうねり狂っていた。
雨は上からではなく、横から機関銃のように降りかかり、時には地面を跳ねて下からも飛びか
かってくる。
ケイは必死に傘を握っていた。傘はすでに裏返しになり、本来の役目を果していなかったが、
暴風雨であることを効果的に見せるために、あえて持つようにと命じられていたのだった。
そのせいで全身はとうにびしょ濡れで、突風が吹きつけるたびに、吹き飛ばされて海に投げ
出されるんじゃないかと、ケイは気が気でならなかった。
カメラマンの後ろにいる雨合羽を着た男が、時計を睨みながら、大きく叫んだ。
「よーし、中継一分前。ミスがないように。いや、ミスはしてもいい。とにかく、この嵐をお茶の間
に見せつけることだけを考えろ。ケイ、わかってるだろうな。派手にやれ、派手に」
いつも通りの命令口調にむっとしたが、ケイは反論せずに頸突くだけだった。
- 105 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:02
-
○
男は番組のディレクターの一人だった。以前はスタジオにいることが多かったが、ケイの出張
レポート企画が地味に人気が出てきたのをきっかけに、現場ロケに同行することが多くなってい
た。
年齢は四十二歳。既婚者で子供が二人いる。顔の彫りが深く、ゴルフが趣味なこともあって肌
は日に焼けて黒く光っている。
春はいつもカーディガンを肩にかけ、夏はきまってポロシャツ姿。二昔前のテレビマンの格好を
踏襲しているが、千葉のローカル局ではまだまだ通用するらしい。
はじめてその格好を見た時、ケイはかなりのショックを受けた。男のダサさにではなく、千葉の
ダサさにでもなく、自分の都落ちをはっきりと実感させられたというショックだった。ケイは以前の
自分に惜別の念に近いものを覚えた。
ただ、そんな境遇にもすぐに慣れた。
今も年に一度は東京で舞台の仕事が入ることがある。全国区の番組に出れば、まだまだ知名
度はあるし、中堅の芸人はケイを格好の材料としていじってくれる。一度築いたブランドはそう簡
単には消え去らない。
そうした要素がケイの自信に繋がっていた。落ちぶれても仕事があるだけましだった。自分より
歳下で奇麗なアイドルやタレントが消えていくのを、ケイも数多く見てきている。必要とされている
のなら、それに応えればいい。そしてそれを続ければいい。
ケイは手を抜くことなく、地元千葉のローカル番組に全力を注いだ。
- 106 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:03
-
○
中継がはじまった。ケイは片手に傘を、片手にマイクを持ち、風雨で化粧を崩れ落ちさせなが
らもレポートをこなした。
自分でも完璧だとケイは思った。ディレクターがジェスチャーで傘を手放すように指示した時も、
ケイは誰の目にも演技だとはわからないほどの完璧な演技でそれをこなした。傘はあっという間
に風に飛ばされ、高く遠く舞い上がった後、カメラの枠から消えた。
ヘクトパスカルという言葉を噛んだのもよかった。危険手当は出るんですか、というアドリブのセ
リフもよかった。
イヤホンの状態がよくなく、スタジオの反応がわからなかったのが唯一気になったが、ディレク
ターの表情や反応を見れば、求められているミッションをクリアしたのだということは、訊くまでも
なかった。オールクリアーだった。
海岸を見下ろす展望台からの中継が終わり、クルーは中継車に戻った。全員がびしょ濡れに
なっていた。いつもの少人数の陣営とは違い、その日は房総半島直撃の台風中継ということで、
機材係やアシスタントを増員して臨んでいた。中継に出されたことを呪っている者もいれば、自
然のエナジーの凄さにはしゃいでいる者もいた。ディレクターは考えるまでもなく後者だった。
中継車の横に停めてあるマイクロバスに乗り込もうとしたケイに、ディレクターが声をかけた。
「なあ、今夜、いいだろ? どうせびしょ濡れなんだし」
ケイは口を開かずに、こくりと頸突くことで返事を示した。
- 107 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:03
-
○
テレビ局に戻る途中、ケイはケータイに着信が入っていたことに気づいた。
画面に表示された名前を見て、ケイは思わず左右を見回した。
周りには知られたくなかった。いや、知られたところで変に思われることはなく、むしろ正当な興
味を持たれるくらいだということはわかっている。しかし、ケイにはそれが恥ずかしかった。ケイが
昔モーニング娘。だったことは誰もが知っているのに、今もその繋がりの中にいるということが、
過去の栄光にすがっているように見えるのではないかと思えてならなかったのだ。
ケイはマイクロバスの一番後ろに移動し、ケータイの通話ボタンを押した。
相手はユウコだった。そしてユウコの話は、サヤカのことについてだった。
サヤカが失踪したらしいという話をはじめて聞いてから、すでに二年以上が過ぎていた。
サヤカとはもう何年も会っていない。だからケイにとってその二年は、感覚として、昨日と同じ程
度のものでしかなかった。
ケイはサヤカの顔を思い浮かべた。そこにはいつまでも若いままのサヤカがいた。
- 108 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:03
-
○
県道沿いのモーテルの中で、ケイは後悔していた。
高級ホテルとまではいわないものの、雰囲気のあるシティホテルくらい連れて行けばいいのに、
といつものように思うのだ。
以前にはそういうこともあった。ホテルのバーでカクテルを飲み、その後は部屋でワインかシャン
パンをあけ、大人同士の恋を演じる。彼は零時前に部屋を出て、ケイは朝まで泊まっていく。
それが最近はモーテルばかりだった。それは彼の趣味がゴルフということとも無関係ではなかっ
た。彼はゴルフの帰り、必ずケイを近くの駅や街まで呼び寄せていた。合流してモーテルになだれ
込むというのが、二人の逢引きの方法だったのだ。
しかし、いつもいつもモーテルでは、女性として物足りないのも当然だった。彼は単にゴルフの延
長試合をしたいだけで、自分はホールとして呼ばれているだけなんじゃないかと、そんな気がしてく
るのだった。
「ねえ、たまにはあたしも、ゴルフに誘ってよね。いっつもアフターゴルフばっかり」
甘えた口調でケイはそんなことを言ってみた。彼が不機嫌になるのは予想した通りだった。
「こっちは仕事なんだよ。そりゃ君は番組のレギュラーで看板みたいなもんだし、参加したって問
題はない。だけど、君が参加すると、こっちの仕事に支障が出るんだ。男には男の仕事ってもん
がある。わかるだろ」
そんな話を聞くたびに、ケイはなんでこんな男とこんな場所にいるんだろう、と思ってしまうのだっ
た。
彼に惹かれたのは、彼がテレビにすべての情熱を注ぎ込んでいたからだった。お茶の間にセン
セーションを巻き起こすためなら一切の妥協をしない。数字のためなら過剰な演出だろうが何だ
ってやってみせる。強い男だと思った。熱血漢だと思った。
なのに、最近のケイは、それが自分の勘違いであったことにはっきりと気づきはじめていた。彼
は単なる暴君だった。それも、狭い世界でしか威張れない、井の中の暴君だった。
- 109 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:03
-
○
その日、ケイは東京に出かけた。最近は地元の番組くらいしか仕事がなく、食事の心配がいら
ないという理由で富津の実家で過ごすことが多くなっていたが、東京にもちゃんと、自分の部屋と
いうものを持っているのだ。
高級マンションの十二階にケイの部屋はあった。4LDK。一人で住むには十分すぎるほどの広さ
があり、親友の女性タレントが居候して、まるで新婚のような生活を送っていた時期もあった。
そこに久しぶりにユウコが来ていた。本当は千葉で落ち合い、船橋のサヤカの実家に行くつも
りだったのだが、ケイもユウコも、内心ではその訪問を恐れていて、結局、ケイの部屋で会うこと
になったのだった。
「どや、仕事は順調か?」
「まあまあ。そっちは?」
「仕事があるだけ感謝ってなとこやろな」
二人は短すぎる近況報告を終え、また無言に戻った。
紅茶を飲み、クッキーをパクつき、窓の外の景色を眺め、そして溜め息を吐く。
二人とも三十歳を過ぎて独身だった。男に縁がないわけではなく、言い寄ってくる男は無数にい
たが、いざ結婚となると、その対象となるような男は周りのどこを探しても見当たらなかった。ケイ
が付き合っているのは妻子持ちの暴君で、ユウコの男関係も、似たようなものでしかなかった。
「矢口が週刊誌に出てたの、知ってるか?」と、ユウコが唐突に尋ねた。
「知ってる。うちの番組でも取り上げたから。相手は若い子でしょ。今売り出し中の」
「真里のほうもまだまだ売り出し中やろ。実際、うちなんかよりよっぽど売れてるし」
ユウコも数年前に東京での活動を諦め、都落ちしていた。今は関西の幾つかのテレビ番組に
準レギュラーとして出演しているくらいで、レギュラーは週一のラジオ一本だけだった。ドラマ出演
の依頼もなく、歌手としての活動もない。舞台の仕事のあるケイよりも、ユウコには焦る必要があ
った。
- 110 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:03
-
○
結局、サヤカの話はほとんどしないまま、ユウコは帰って行った。
昔の仲間とはいえ、サヤカと一緒に仕事をしていたのは、もう十年以上も前のことになる。二人
とも心配はしていたが、自分のこと以上に心配する必要も義理もなく、そこまでの友情もなかった。
ケイにとってもユウコにとっても、それは久しぶりの同窓会で、旧友が交通事故で死んでいたと
いうような話を後から聞かされるのと同じような感じだったのかもしれない。仮にサヤカがどこかで
死んでいたとしても、それは今の自分と繋がりを持つものではなかった。
「ごめんね、サヤカ。でも、どうすることもできないの」
ケイは一人でそんなことを言ってみた。
そして誰も他人を助けてはくれないのだと、口を閉じてから続けた。
ケイはベッドの上に横になった。仕事のことや男のことや過去のことや、色んなことを考えては頭
を空っぽにしようとし、それがうまくいかず、苛立ちだけが残った。
シャワーを浴びに立ち、戻ってくると、タンスの抽斗の奥からバイブを取り出した。快楽によってな
にもかもを忘れようとしたが、虚しさが増しただけだった。
ケイは一人、悶えながら絶叫した。
- 111 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:03
-
○
房総半島の南部、天津小湊から緩やかに続く山山をとことん分け入った先に、その村はあった。
際立って峻嶮な山は滅多にないが、そこはまさに山の中という言葉が似合うような場所で、岩肌
の露出した崖のような山山が奇妙な景観を生み出していた。
ケイは千葉県内にそんな辺鄙な場所があったことを知って驚いた。その周辺はまったく観光地化
されておらず、牧場もなければ店屋もなく、舗装された道路が一本通っているだけで、人の姿さえ
なかった。
ケイは灯台下暗しという言葉を思い浮かべた。その村はケイが生まれ育った富津とは半島の反
対側に位置していたが、地図上ではそう遠くない距離にあった。
ただし、所要時間を考えると、そこは東京よりも遠い地域だった。千葉県の中の最後の秘境と呼
んでもいいようなところだった。途中までは国道を通ったが、その先は県道となり、村に入ってから
は標識や街灯の一本すらないような道になった。
それだけでもうんざりしたのに、そこからは徒歩だった。車を降り、曲がりくねった山道を一時間
以上も進んだ。ディレクターが同行しなかった理由をケイは理解した。
しかし恨む必要はなかった。山道は険しかったが、久しぶりに自然百パーセントの中に分け入り、
ケイは清清しさを全身で感じていた。男なんて糞喰らえ、そんなことを言いたくなるような解放され
た気分だった。
- 112 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:04
-
○
天狗岩に着くまでの道中に、一行は何度も映像を撮った。
景色もそうだが、険しい山道を進むケイと中継クルーという絵は、探検隊さながら、お茶の間受
けすることは確実だった。ディレクターでなくとも、誰だってそれくらいのことは考えつく。
足を止めずに登っているところを撮影することもあれば、全員足を止めて、ケイのコメントを撮る
こともあった。
小さな滝のある沢に出た時には、ケイはカメラに向ってマイナスイオーン(笑)と叫び、クルーから
爆笑を得たし、誰かが蛇を見つけた時には、ケイはマジ泣きしそうな顔を浮かべ、腰を抜かしてみ
せた。どちらもケイなりのリアクションで、もちろん演技だった。
ちゃんとした人幅の道があるのに、わざと獣道を進んだり、急な斜面を登ったりしたのも、同様に
テレビの演出だった。
ただし、その天狗岩までの道程が、都会人にとってかなり苦しいものだったのは事実だった。
大岩の前まで来た時には、皆が皆、汗まみれで、ケイの化粧は中途半端に流れ落ちていた。
- 113 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:04
-
○
その日は生の中継ではなく収録だった。中継車が入れないような山奥だし、仮に携帯電話など
を使って中継したとしても、日が暮れてから山道を下りるのは危険だった。
ケイは天狗岩の前でカメラに向ってコメントし、それからさらに三十分ほど歩いて近くの山寺ま
で行き、そこで天狗の親子の話を聞き、さらに山道を下りる途中でも探検隊の一員をそつなくこ
なした。
ただ、帰りのケイの心中には様様なものが渦巻いていた。
それは直感だったが、女の勘というような曖昧なものではなく、証拠のある直感だった。
最初に天狗岩を見た時にはなにも思わなかった。ただ単に凄いなあと思ったくらいだ。
それが寺の和尚にサヤカという名前を聞いてから、一転した。
偶然の一致だったが、偶然にしては出来すぎていた。
尼天狗は数年前に突然現れたというが、それはサヤカの失踪と時期が一致していた。
サヤカの風貌も、村人の話と半ば一致していた。涼しげな目に、かわいげの残る顔立ち。
ケイの知っているサヤカは、仏像にも仏教にも信仰にも彫刻にも無縁だったが、そんなものは
時間がどうにでも変える。ケイの友人のタレントの中にも、いつの間にか如来苑やPA教団に入会
していた者もいるし、扶桑学会に入り、しつこく勧誘してくる者もいる。悩みにつけこむのが新興宗
教のやり方だし、サヤカに悩みがあったことは、失踪した時点ではっきりしている。
ただ、だからといって、ケイは尼天狗がサヤカと同一人物だと確信したわけではなかった。
ケイは知らず知らず、その事実を否定する材料を探し続けていた。
- 114 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:04
-
○
帰りの車中で、ケイは大岩に刻まれた天狗の姿を思い起こした。
力強い天狗の像。威厳があり、重く圧し掛かってくるような迫力があるのに、今にも岩から飛び
出してしまいそうな軽やかさもあった。
その脇には人物大の小さな女性の像。涼しげな目に、愁いのある顔。それはサヤカに似ていた
が、似ているとか似ていないとか、そんなことはケイにはどうでもよかった。
問題は、サヤカがそんな途方もない大事業を、一人で、誰にも知られずに成し遂げていたという
ことだった。
ケイはそれを認めたくなかった。
ケイにとって、男に走って仕事を早早に離脱したサヤカは、負け組でなくてはならなかった。
結婚や出産こそが本当の勝ち組だということを内心ではわかっていて、羨ましく思ってもいたが、
それでも最後まで芸能界で生き残っている者が勝ち組なのだと、そう言わずにはいられなかった。
自分が負け組なのだと内心では自覚していても、それを他人に対して認めることはできなかった。
そうでなければ、結婚も出産もせずにテレビの世界にしがみついている自分が哀れでならなくな
る。
それも、千葉のローカル番組の中継レポートの仕事なんかであれば、なおさらだ。
収入もあるし知名度もある。何度そうやって自分を慰めてきたか。そうするたびにケイはますま
す自分が厭になり、世界が厭になる。何が勝ちで何が負けで、自分は何を求めればいいのか、そ
れがわからなくなってくる。
頭の中に嵐が吹き荒れ、手に握った傘は突風にあおられて飛んでいく。
- 115 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:04
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○
天狗岩を彫ったのはサヤカではないのだと、ケイは何度も何度も言い聞かせた。
しかし安心感を得ることはできず、それとは逆にケイの中の嵐は激しさを増していく。
サヤカにはそんなことはできない。同じ名前の赤の他人。サヤカはリタイアしたのだ。サヤカは
不器用だった。サヤカは男に逃げた。サヤカは仏像なんて彫るガラじゃなかった。サヤカは諦め
が早かった。サヤカは都会に憧れ続けていた。サヤカはすぐに人のせいにする子だった。サヤ
カに田舎暮らしは無理。サヤカは虫が嫌いだった。サヤカは恐がりだった。サヤカは一人では何
もできない子だった。サヤカはいつも何かを勘違いしていた。サヤカはサヤカはサヤカは……。
サヤカは弱い子だった。
サヤカは優しい子だった。
サヤカは自分のことを慕ってくれていた。
サヤカはいつまでも友達でいようねと言ってくれた。
そして、サヤカはいつの間にかいなくなっていた。
嵐が収まった。ケイは顔を窓の外に向けて、ただ泣いていた。
- 116 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:04
-
○
「ケイ、昨日はどうして来なかったんだよ。ケータイも繋がらなかったし。あんなのナシだぜ」
似合わない紺色のポロシャツを着たディレクターが、スタジオに入ったケイに小声で話しかけた。
二人は前日、会う予定になっていた。いつも通りのアフターゴルフだったが、待ち合わせ場所に
ケイは行かなかった。
「おい、どうしたんだよ。そんなむくれた顔しちゃってさ。アレの日か? 違うだろ?」
そう言われた瞬間、ケイは覚悟を決めた。
ケイは右手を振り上げ、ディレクターを思いっきり引っ叩いた。
パシンと乾いた音がして、スタッフの数人が反射的に視線を向けた。
周りにばれたってかまわなかった。そんな男と今の今まで別れられなかった自分が悪いのだ。
別れるならド派手に別れてやればいい。その方がむしろ仕事に影響しなくて済む。こっそり別れ
て私怨で仕事をクビにされたんじゃたまらない。皆の目があれば、ディレクターだってケイをクビに
はできない。もしクビにしたら、その理由をあれこれ噂されることになる。妻子のいる身にそれはま
ずい。出世にも響く。
「別れましょう。あなたのおもちゃはもうまっぴら。アフターゴルフは奥さんでも誘ったら?」
ケイは演技ではなく、自然な笑顔でそういった。その笑顔は解放された喜びに溢れていた。
茫然と突っ立っているディレクターの横を、ケイは颯爽と通り過ぎた。
スタッフの一人が、どうしたんですか、と小声で尋ねた。
ケイは一言、セクハラよ、とだけ答えた。魔法の言葉だった。
- 117 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:04
-
○
一ヵ月後、ケイは番組をやめた。
それは自主的な降板で、ディレクターをビンタした一週間後に決めたことだった。制作サイドには
その時にすでに伝えてあり、了承を得ていた。
最後の出演日には、ケイの中継レポートの総集編が放送された。
しかし、ケイはスタジオにはいなかった。当初はスタジオで、他の出演者と一緒にその放送を見る
予定だったが、ケイはそれを断り、別のことを提案していた。
それは最後の中継レポートだった。それも、これまでで一番大変な中継になる予定だった。
ケイの提案は受け入れられ、中継クルーは午前中に現地入りした。中継車が入れないので、機
材を歩いて運ばなければならなかったのだ。
- 118 :◆Rich1NDNCw :2008/07/24(木) 23:05
-
○
ケイは天狗岩の前にいた。いつものような演出的なコメントはなく、ケイは真剣な表情でその大岩
を見上げていた。カメラはそのケイの横顔をずっと映し続けた。
その映像に涙が見えた。
涙はケイの目からすすすと流れ落ち、西日を浴びて一筋の輝きとなった。
スタジオでかすかに笑いが起きたが、それはすぐに消えた。皆が皆、そのケイの表情に言葉では
伝えきれないものを感じ取っていた。
ケイの涙は演技ではなかったが、どの演技よりも涙というものの素晴らしさを伝えていた。
ケイは大岩に近づき、まるで感情を読み取ろうとするかのように、その岩に右手を当てた。
ケイはしばらくそうしていた。放送事故に近い状態だったが、画面が切り替わることはなかった。
ケイの口が小さく動いた。ケイの服につけてあるマイクが、サヤカという名前をかすかに拾った。
説明はなかった。誰も尋ねず、誰もケイの邪魔をしようとはしなかった。
ケイの口がふたたび動いた。今度は歌だった。
この世界に生まれたことは きっと何かの運命
今出来ることをしてみよう だけどあせらないで
この世界に生まれたことは きっと何かの運命
今やりたいことあるのなら それは大事なこと
最後の中継が終わった。
ケイの最後の表情は、これまでで一番澄みきった、迷いのない笑顔だった。
(おわり)
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