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魔法騎士れいにゃーすっ!
- 1 :名無し娘。:2005/04/30(土) 17:03
- 从 ´ ヮ`)<にゃ〜♪
- 195 :名無し娘。:2005/08/27(土) 23:58
- 次はエピソード7か
- 196 :名無し娘。:2005/08/28(日) 08:54
- ズガーン!! バイオレンスジャックの最終回以来の衝撃だ。
……ゴメン、ちょっと過言だった。でも同じ種類の衝撃が走ったのは事実。
- 197 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:30
- ごめん。再利用するね。
- 198 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:30
-
『ハローゲーム』
- 199 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:31
-
道はぬかるんでいた。小汚いビルの間の狭い路地。
地面はコンクリートであるはずなのに、雨のせいで泥が混じり、
その泥のだらっとした感触が、その焦りをより一層かきたてる。
遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。
雨が上がって空気が清んでいるせいか、そのファンファンという音がやけに耳に迫る。
心が寒くなり、手足が自然と震える。青ざめた顔で今にも泣き出しそうなのを我慢し、
だけどもう全てを終わりにさせてほしいとも思う。
そんな雨上がり、石川梨華は一人だった――。
- 200 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:31
-
狭い楽屋は好きじゃない。だけどこれはちょっと広すぎるよね、と石川は思った。
三人しかいないのに、ちょっとした集会所として使えそうなほどの十分の広さがある。
真ん中にはコの字型にセッテイングされた机があって、パイプ椅子が十二脚も並ぶ。
十二人いればそこは普通の広さなのかもしれない。でも、今は三人しかいない。
ガランとした空洞となにも書かれていないホワイトボードがやけに目に寂しい。
石川以外の二人は隣同士の椅子に座り、それぞれ器用に携帯をいじくっていた。
二人とも無言だった。石川もさっきまではそこにいたが、今は立ってうろうろしていた。
隅の方に鉄パイプ製のハンガーがあり、かけられている幾つかの衣装をただ眺める。
またこんな格好をするんだ、と思うとそれはそれで楽しいような気もするけど、
もう勘弁してほしいな、という気持ちもどこかにあって、それが肩を重くする。
別に仕事がうまくいってないわけじゃないし、三人の仲が悪いってわけでもないけど、
でもこんな毎日はそろそろ終わりにしたいな、なんて思いが自然と頭に浮かぶ。
そして頭を横に振る。だけどそんな動作は誰も見てくれてはいない。
手に持っていた携帯から交響曲『運命』の冒頭部分が流れ、
石川はビクッとして無意識に二人の方を見た。その音に二人も同時に石川の方を見る。
だけどすぐに自分の手元に視線を戻し、それが石川に言い様のない疎外感を与える。
メールが届いていた。差出人は石川の最も敬愛する保田圭だった。
だが、それが奇しくも石川の『運命』を左右することになるとは、石川はまだ知らない――。
- 201 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:31
-
最初の計画が実行されたのは、それから一ヶ月あまり後のことだった。
そのことを石川は今でもはっきりと覚えている。それはゲーム感覚だった。
それが犯罪であるとか、悪いことであるというような意識はほとんどなかった。
いや、実行に移す前は、それは石川に対してかなりの罪悪感と動揺と困惑とを与えていた。
失敗したときのことを考えて夜も眠れないというようなこともあった。
だが、いざ始まってしまうと、そんな気持ちはすっかりなくなってしまっていた。
石川の心をポジティブにしてくれたのは、いつもながら保田圭だった。
石川は保田と二人で並んで歩いていた。
保田は紺の地味なジャンパーを着て、サングラスにマスクをしていた。
一方の石川は黒の男物のジャンパーで、つばのある帽子を深くかぶり、
少し厚めのメガネをかけている。
こんな変装じゃすぐにばれるんじゃないかと最初は石川も不安だったが、
保田からその写真を見せられてからは、確かにそれもそうだと思い始めてもいた――。
- 202 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:31
-
「ほら、これを見てみなさいって」
「これ、圭ちゃんの写真じゃん。ハローで売ってるやつだよね?」
「それ見て、今のあたしの顔見てごらんなさい」
別人、というほどではないけど、それは別人と思えるくらいに違っていた。
顔の輪郭やパーツの位置は変えられないけど、印象は全然違う。
「それから、これがあんたの写真」
美勇伝の衣装を着た自分の写真を保田から見せられるというのも変な気分だったが、
そこに写っていたのはアイドルとしてのいつもの石川梨華だった。
「で、これこの前あんたがうちに来たときに撮った写真」
照明のせいか、それは全体的に薄暗い写真だった。そして、なんだかぼんやりとしていた。
「これ私だよ?」
「それはあんたがいつも見てる自分だからでしょ」
そう言われても石川にはなんのことだかまだわからない。そして同じ言葉を繰り返す。
「でもこれ私だよ?」
「あんたのファンがこれ見たら?」
「それは……どうだろ」
なんとなくわかってきたような気がして、でもやはり納得はいかない。
「こんな分厚いメガネしてるあんたの顔は誰も見たことないのよ」
「そうだけど、でも私だよ?」
「顔はどう?これは確かにあたしの知ってるあんただけど、でも今のあんたじゃないわ」
「でも、でも……」
言い返したかった。でも、言い返す必要はなかったのかもしれない。
化粧をせず、いつものメガネをかけている石川は、それだけでぼんやりとしていた。
元々肌が黒いということもあるが、それは外部向けの化粧のせいでもあって、
本来は黒いというより地味というのが正解だった。印象がとにかく地味なのだ。
「そういうこと。化粧は女の武器なの。そして、その武器で勝つのよ」
「でも、でもすっぴんだって……」
「だから他に変装するんでしょ。相手はあたしたちに関しては一応プロなんだから」
「プロかあ……」
そのプロという言葉が、石川からちょっとしたやる気を引き出していた。
プロの目を欺く、それほど楽しいことはないだろうな、と石川に思わせたのだ――。
- 203 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:31
-
最初の段階はうまくいった。それだけでも石川にとっては人生最大の冒険だったが、
そこで立ち止まるわけにはいかない。次のステージにはタイムリミットがあるのだから。
足がガクガクとはっきり震えるほどの不安と恐怖。だけどそこにはスリルがある。
そした新たな自分が誕生しちゃいそうで、それがどことなく嬉しくもあった。
そんな複雑な心境を落ち着ける暇もなく、石川はそこへと向かった。
帽子を深くかぶりなおして顔をなるべく露出しないようにし、
着ている男物の服装を下から上まで念入りにチェックする。
さっきの冒険とは違い、今度はビデオカメラという難敵がいる。
それは録画され解析されることになるかもしれないと、そこまでは保田から教えられていた。
以前の石川であれば、それだけですっかり及び腰になっていたことだろう。
だが、今の石川は違う。むしろ自分だからこそそれに勝つことができるのだと、
そう考えるようになっていた。カメラには元々慣れているのだから。
そして、カメラの前では誰にも負けないというプロ意識が潜在的に石川にはあった。
自動ドアだと思っていたのが手動だとわかって少し焦ったものの、
石川はそのガラスで仕切られたATMの中へと恐る恐る入った。
保田から言われていた通り、赤いランプが自分を狙っているのだと言い聞かせる。
顔のアップを撮られているわけではないが、ワイプとして画面の隅に映るくらいの、
そんなイメージで気を引き締め、そしてその機械の前へと進む。いよいよだ。
保田の考えが正しいのか間違っているのか、そしてその計画が成功するか失敗するか、
それは全て、その石川の指先が向かう先にあった――。
- 204 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:32
-
「あれにするわ」
と保田が言い、石川はその保田の視線の先を目で追った。
梨華LOVEと書かれたうちわが目に止まる。真面目に見るとかなり恥ずかしいが、
そのうちわを持っている男性が最初のターゲットに決まったわけだ。
「大丈夫?」
石川はぼそっとした口調で尋ね、そしてやっぱりやめようよ、という思いを表情で伝える。
「大丈夫よ。心配しないで。あれなら間違いなく、例の数字でうまくいくはずよ」
例の数字、というのがこの保田の計画の最もな骨子であり、
そして石川が乗り気ではないもののこの計画に楽しさを感じた部分でもあった。
だが、石川がここで伝えたかったことはそれではない。
「そうじゃなくて。本当にやるの?だって……これって……犯罪、だよね?」
石川の足が鈍くなり、保田が立ち止まって後ろを振り向く。
「今頃そんなこと言ってどうすんのよ。それはあんただって承知してたじゃない」
「でも……」
「あんた、このままつまらない人生送りたいわけ?そうなら帰ってもいいわよ」
「そ、そうじゃないけど……」
「退屈に負けるくらいならスリルとショックとサスペンスを求めるべきなのよ」
「……」
同じ議論を何度したことだろう、と石川は思った。
最初に計画の話を聞いたときから、保田は色んな形で石川を説得してきた。
最終的な目標は日本銀行の地下倉庫であり、それに立ち向かうために、
まず今回の計画で度胸をつけるのだと、そんな冗談めいた話をされたこともあった。
そして確かに例の数字にも興味を持った。それを確かめてみたいのだと。
だけど、やっぱり一番効いたのはそれだった。石川は毎日が退屈だったのだ――。
- 205 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:32
-
不思議なことに指先が震えるようなことはなかった。
道路の向かい側からこのATMを確認したときはあんなにも足が震えたのに、
いざ中に入り、そこにカメラがあるんだと意識しただけで、石川はプロの顔になった。
ただし、その顔はアイドル石川梨華ではありえない。
ポケットから用意していたキャッシュカードを取り出し、それを機械に挿入する。
案内音声が流れ、石川はタッチパネルの目的の場所を慎重に押した。
普通の犯罪であれば、それは現金の引き落としこそが目的ということになる。
だが、この場合はそうではない。
そして、そうではないからこそ、石川の罪悪感はやや和らいでいたのだ。
石川が押した場所は残高確認だった。だが、それも本当の目的ではない。
次にその機械の女性の声が告げたことこそが、計画の真の目的だったのだから。
場違いなドラマに出演したときのような緊張感と、そして喜びを感じる。
石川は意を決してそのタッチパネルの数字の部分を押した。
最初が4。次が7。そして1。最後に4。
画面に並んだ四つの米印。その後ろには“4714”という謎の数字が隠されていた――。
- 206 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:32
-
「つまり、そういうことよ」
保田がそう言って、でも石川にはすぐに話が呑み込めなかった。
「どういうこと?」
「だからー、あんたのファンは絶対に“4714”にしてるんだって」
「なんで?」
「あんたがうんこしないからに決まってるじゃない。さっき言ったでしょ?」
「うんこするよ?」
「するかもしれないけど、ファンはしないって信じてるのよ」
「どうして?」
「だーかーらー、あんたがブリブリのアイドルだからじゃない!」
「ブリブリするんだけどなあ」
「そういうブリブリじゃないの。いい?あんたはうんこしないの。絶対にしないの!」
「でもするもん。今日だって二回もしたもん」
「実際はどうでもいいんだってば。例えあんたが便秘でも下痢でも関係ないの」
「下痢はしないよ。便秘にはなるけど」
「いや、だからそれはどうでもいいの。問題はファンがどう思ってるかなの!」
「しないって思ってるんだ」
「そうよ。それでファンはインターネットで“4714”という数字を崇めてるのよ」
「しないよ、かあ。なんか変なのー」
「だからね、あんたのファンは絶対にそれを暗証番号にしてるはずなの」
インターネットでそんな話題があることはなんとなく聞いてはいた。
でも、それがまるで宗教のような信仰を持ってるだなんて、石川には信じられなかった。
そして、それを銀行の暗証番号にしているような熱烈な信者がいる、なんてことも。
だけど、それがもし本当なら、その信仰を確かめてみたいとも思った。
そして、自分にはそれを確かめる権利があるのだとも――。
- 207 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:32
-
ATMを小走りで後にしながら、石川はそのドキドキ感を止められずにいた。
スリルとショックとサスペンス、そんなものは日常では感じることはできない。
でも、そこには確かにそれがあった。そして、それは石川にとって快感に変わっていた。
信号を渡り、幾つかのビルを通り過ぎて路地へ入ると、そこに保田が待っていた。
「どうだった?」
「うん。予想通り」
「うまくいったのね」
「うん。それで残高だけど……」
「それは別にいいわ。今は早くここから立ち去らなきゃ」
「う、うん」
誰にも見られることのない路地の奥へと進み、そこで簡単に着替えを済ませる。
男物のジャンパーを脱ぎ、バッグの中から取り出した自分の私服を羽織る。
「これでいい?」
「いいわ。それじゃタクシー拾うけど、その前に最後の仕上げをしないとね」
そう言って保田は石川から受け取ったカードをハンカチで念入りに拭き、
そして財布に戻し、さらにその財布を同じようにハンカチで拭いた。
「これで指紋は消したわ。後は……ポストね」
二人は大通りから一本内側を走っているその道を進んだ。
だがそこには目的のものはなく、ATMからかなり離れた場所まで進んでから、
二人は大通りへと戻った。そこにはちょうど目の前に赤い郵便ポストがあった。
「これで財布は持ち主に戻るはずよ。中身も減ってないし、問題はないわ」
そう言って保田はハンカチ越しにその財布を定形外という受口に突っ込んだ。
「これで、いいんだよね?」
「そうよ。現金が盗られてるわけじゃないし、カードで引き落とされたわけでもない」
保田が淡々と口にする。確かにそう言われれば悪いことはしていないように思えてくる。
「一応銀行に連絡したりはするはずよ。でも、残高は全く減ってないわ」
やっぱり銀行に連絡がいくんだと思うと、それはそれでやはり不安だったが、
でもそれなら安心かもしれないと、石川はそうも思った。
だが、そう思った瞬間、石川はなんだか物足りないような、そんな気にもなって、
そのスリルとショックとサスペンスをもっと味わいたいなと思うようにすらなっていた――。
- 208 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:32
-
コンサートが終わり、派手な衣装を脱いだメンバーたちが一同に会する。
だが、そこに保田圭と石川梨華の二人の姿はなかった。
保田は体調不良とかでそそくさと楽屋を後にしていたが、誰も気に止めることなく、
またそこには関係者が送迎するというような普通の配慮すらなかった。
「あ、いえ、ちょっと調子悪いんで、知り合いが迎えに来てくれるらしくて……」
一応そんな言い訳はしたが、スタッフの誰一人としてそんな話は聞いてはいなかった。
事務所にとって、保田はそんなどうでもいい存在だった。
隔週で大阪の仕事が決まるまでは、マネージャーすらいなかったほどだ。
専属というわけではなく複数人を兼任しているマネージャーではあったが、
それがなければ保田は一人で新幹線の切符を買い、一人でグリーン車に乗り、
そして一人で新大阪駅でタクシーに乗り込んで「MBS」と告げていたことだろう。
「ご苦労様でーす」
裏口の通用門の守衛さんにそう挨拶し、保田は駐車スペースへと向かった。
そして車の陰で立ち止まって、携帯を取り出す。
「梨華、早くしなさい。お客さんみんな帰ってるわよ」
そこからコンサートの客が帰る風景は見えないが、終演からは確実に時間が過ぎていく。
保田の場合はそそくさと着替えて出てきたので、まだ時間的に余裕はあったが、
石川の場合、一人で抜け出すことが最大の難関なのかもしれない。
「あんた、前もって言ってあるでしょうね?」
時計を見つつ、自然と口調が厳しくなる。
だが、石川には逆効果かもしれないと思いなおし、保田は優しく言葉を続けた――。
- 209 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:32
-
「いい?決行は次のハロコンよ。夜の部が終わった後にするわ」
「本当にやるの?」
「やるわよ。あたりまえじゃない」
「でも……」
石川は相変わらずためらっていたが、保田にとってそれは想定の範囲内だった。
一度決めたことでも、時間が経てばまた決意が揺らいでいく。それが石川だ。
そしてそんな石川を知っているからこそ、保田は再び石川を説得したりはしなかった。
「あたしは終わったらすぐに会場を出るから。それは絶対に大丈夫よ」
大丈夫じゃないのに、と言いたげに石川が保田を見る。
「それであんただけど、あんたは家庭の事情とかで事前にマネージャーに伝えとくわけ」
「事情って?」
「それはあんたに任せるわ。だけど法事なんかじゃだめよ」
「ほーじって?」
その問いかけは保田にとって想定の範囲外だったらしく、
保田はマンガのようにズッコケかけたが、なんとか踏ん張り留まる。
「とにかく、親戚のおじさんがやばいとか、ペットが死にそうだとか、そういうのよ」
「おじさんやばくないよ?いい人だよ?」
「だーかーらー、嘘よ。あんたは嘘をつくの。そして演技するのよ」
「嘘?演技?」
「両親が離婚しそうで家族会議があるとか、そういうのでもいいわ」
「離婚なんてしないよ?仲いいよ?」
さすがの保田もそれには疲れを隠せない。だが、それならそうで方法は幾つもある。
- 210 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:33
-
「全部台本だと思って。それであんたは演技すればいいのよ」
「ドラマみたいなもん?それともハロモニ。のコントみたいな?」
「かなーり真剣なドラマよ。NHKの『ラストプレゼント』のとき以上の演技しないとだめよ」
「もしかしてチョー難しい?」
「じゃあこう考えて。あんた、本当はヲタクが嫌いなのに営業スマイルしてるでしょ?」
「嫌いってわけじゃないよ。ただ気持ち悪い人が多いなって」
「それはどうでもいいの。あのスマイルはあんたの本心じゃなくて、演技でしょ?でしょ?」
「そっか。そういうのも演技になるんだ」
「そうよ。あんたはそういう演技をすでに身につけてるの。それもかなりのスキルよ」
そう言われて石川はかなり嬉しくなった。ドラマの演技を貶されたことは何度もあったが、
誉められたことは一度もなかったのだ。そしてまた、それはコロンブスの卵のように、
演技というものに対する捉え方を全く変えてしまうような話でもあった。
「いい?あんたは両親が離婚の危機だって話をマネージャーにボソッとこぼしとくの」
「うん。演技ね?」
「そう。それでその日もコンサの前にマネージャーにその話をしとくの」
「うん」
「両親が離婚しそうで家族会議があるって。だから終わったらすぐに帰らないといけないって」
「うん」
「でも、あんたは事務所にとって大切な財布だから、一人で帰らせたりはしないわ」
「あたしの財布?」
「あんたが売れっ子だって意味よ。実際は小銭入れ程度だけど」
「小銭入れ?」
「今のは無視して。とにかく、そういう話をしておくわけね。家族会議があるって」
「うん」
「それで、そうね、タクシーで帰るから大丈夫ですって言って送迎を断るの」
「タクシーで帰るの?」
「帰らないわよ。だけど帰るって演技するの。保田さんに送ってもらう、でもいいけど」
「じゃあそっちがいい。圭ちゃんに送ってもらう」
「まあそれでいいわ。とにかく、あんたはそうやってあらかじめ抜け道を作っておくのね」
そう長々と説明して、保田は肩に鉛の骨が入っているかのような疲労を感じた。
だが、その計画がもう始まっているんだということを石川に思い知らせるという点で、
その疲労は必須の道であり、また最善の道でもあった――。
- 211 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:33
-
コンサートが終わり、ステージ裏はハローのメンバーたちでごった返していた。
保田の姿を見つけようともしたが、すでにそこに保田の姿はなく、
石川は私も早く逃げ出さなきゃ、という思いでいっぱいだった。
ただ、そんなときに限って、新垣里沙がカメラを手に近寄ってきたりする。
「石川先輩!一緒に写真撮りましょう!ほら、あさ美ちゃんも一緒に!」
「あ、あ、ごめん。あたし今日は急いで帰らないといけないから」
「なにか用事ですか?」
そう言ったのは紺野あさ美。何気ない言葉だが、そんなことが石川を不安にさせる。
もしかしたら計画に気づいてるんじゃないかと、ついつい余計なことを考えてしまうのだ。
「う、うん、ちょっとね。圭ちゃんと……」
「へえ、なんか羨ましいなあ」
そう紺野が言って、ようやく石川はいつもの紺野を思い出して疑念を払拭した。
紺野はいつもなぜか、保田と石川の関係を羨ましがっていたのだ。
そのくせ保田が誘っても全然乗ってこないのだが、
とにかく、紺野にとってそれはいつも通りの言葉であり態度だった。
一枚だけ写真を撮り、石川はそそくさと廊下を進んで楽屋へと戻る。
美勇伝の楽屋はカントリー娘。やメロン記念日と同じだったが、
そこにはまだメンバーの姿はなく、女性のスタッフが数人いるくらいだった。
「お疲れさまでーす」
「あ、お疲れさまです。あの、私、今日は早く帰らないといけなくて……」
訊かれてもいないのになぜかそんな言い訳をして、そして失敗したかな、と思う。
それは保田と全く同じだったが、二人に違うところがあるとすれば、その先だった。
誰も気にしていないのに石川はそれを失敗したと考え、そして失敗が頭から離れない。
- 212 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:33
-
石川は急いで着替え、そしていつもはしないものの、化粧を全てすっかりこそぎ落とした。
が、そんなときに限ってメロン記念日の柴田あゆみが楽屋に入ってきた。
「あれ、梨華ちゃんどうした?」
「あ、柴ちゃん」
「早いね。なんかあんの?」
「あ、うん。ちょっと用事があって」
「デート?」
と、柴田が女性スタッフに聞かれないようにと、そばへ近寄って耳元で囁いた。
「そういうんじゃなくて。ちょっと家庭の事情みたいな?」
「あ、そうなんだ。なんか大変だね」
「うん」
「化粧落としちゃったんだ」
「あ、うん。ちょっと家庭の事情で」
「あははは。それおもしろいかも」
柴田がそう言って笑う。だが急いでいる石川にはその笑いの理由がわからない。
「ねえ、来週の日曜日だけどさ、梨華ちゃん暇?」
「うーんどうだろ。なんかずっと仕事入ってたと思う。レコはまだ先みたいだけど」
「あ、そうなんだ。たまには遊ぼうかなって思ったんだけど」
「ごめんね。今日は家庭の事情があるから、また今度連絡するね」
そう言って石川は話半分で席を立ち上がると、バッグを持ってその場を立ち去った。
そしていつもの優柔不断な自分とは違う自分を、なんとなく誇らしく思う。
- 213 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:33
-
廊下に出る。ステージ裏から楽屋への通路は今もごちゃごちゃしていて、
机の上に並べられたお菓子やから揚げなんかをつまむ小川麻琴の姿が見えたりする。
「あれ?石川さーん、どうしたんですかー?」
「あ、麻琴。あんた、あんまり食べ過ぎると取り返しがつかないわよ」
「いや、もう取り返しつかないんで、別にいいんすよ」
「そう。あ、あたし今日用事があって、家庭の事情で、だからもう帰らないといけなくて」
またしても言い訳だったが、すでに小川はサンドイッチの方へと向かっており、
そんな話は小川の耳には届いていなかった。
「あんた、ほんとやばいよ……」
通路の逆側には派手な衣装を着たメンバーたちの姿は見えなかった。
ただ、スーツを着た男の人たちなんかがいて、そこは挨拶通りとも呼ばれていた。
「おつかれさまです」
「おつかれさまでーす」
「石川さん、おつかれさまでした」
「おつかれさまでーす」
なんでこんなにも人がいるんだろうと、いつになっても思う。
そんな余分なことを考えながら通路を進み、エレベーターの前で石川は腕を掴まれていた。
心臓がドキッとする。全てうまくいっていたのにまた失敗したのだろうかと思う。
「ご、ごめんなさい」
なぜか石川はそう謝っていた。謝ることをしたわけではないのに、そう謝っていた。
それはきっと、それから謝らなきゃいけないことをやろうとしていたからなのだろう――。
- 214 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:33
-
ターゲットはコンサートでよく見かける人種だった。
体型はかなり太っていて、これなら追いかけられても十分に逃げられる感じだ。
石川のよりさらに分厚いメガネをしていて、これなら顔を見られても大丈夫かもしれない。
服装はおしゃれの“お”の字もなく、しかも定番のリュック姿。
そして手に持った梨華LOVEと書かれたうちわ。裏側は石川の顔写真が印刷されている。
さらに会場で買ったグッズが詰め込まれていると思しき手提げの紙袋を持っている。
会場の周辺ではまだ何人ものファンがコンサートの余韻に浸っていた。
数人で談笑しているグループもあり、中にはなぜか名刺交換している人間さえいる。
だが、時間がかなり経ったせいか、それはもうかなりの少数派になっていた。
駅へ向かう道も人の姿はまばらで、一歩路地に入ればそこはほとんど無人だった。
そんな中、保田と石川はそのターゲットの後ろをゆっくりと尾けていた。
ぼやけたズボンからは長い財布が半分以上顔を出していて、
なんだかそのまま盗ってもうまくいくようにさえ思うほどの無防備さだ。
何度も計画を練って色んなシチュエーションやQ&Aを想定していたのに、
これではむしろ財布を盗ってくださいと懇願されているようだとすら石川には思えた。
保田が後ろを振り向き、そして周りを見渡してから口を開いた。
「いい?あの角を過ぎたらそのまま盗るわよ。そして左の路地に逃げるの。いい?」
「う、うん」
決行が迫り、石川にはもう戻ることはできなかった。
無事に家に帰り着く唯一の方法は、この計画を成功させること、ただそれだけだった――。
- 215 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:34
-
「おーここにいたか、探したんだよなあ」
その声に、石川はそれがマネージャーだったことにようやく気づいた。
そして謝ってしまったことをまた失敗だと思った。
「あ、あの、私……」
「えーと、なんか用事があるって言ってたっけ?」
「あ、あの、はい。家庭の事情で、両親が家族会議で、だから私、小銭入れで……」
「うーん、まあいいんだけど、えっと、車が一台空いてるらしくて」
「あ、でもあの、私、あの、タクシーで……」
「ああ、それならこっちで手配するし、それにできれば車使ってくれた方が……」
事務所としてはいくらコンサートが終わったとはいえ、仕事が終わったわけではなかった。
これからミーティングなどもあり、そしてメンバーの送迎というのも大きな仕事だった。
特にコンサート後はファンによる出待ち、なんてものもあって、
事務所の車が尾行される、なんてこともよくある光景だった。
「あ、あの、私、あの……」
と、動転していた石川の耳に、聴き慣れた交響曲が飛び込んできた。
バッグの中から携帯を取り出し、マネージャーに少し頭を下げてから場を離れる。
「圭ちゃん?」
それは保田からの電話だった。どうやらすでに裏口を出て待っているらしい。
「あ、うん。前もって言ってたんだけど、なんか捕まっちゃって」
石川は怒られるのだと思った。それくらい保田の口調は厳しかった。
だが、保田は怒ったりはしなかった。そして、話すうちに逆に口調が優しくなった。
「あ、うん。マネージャーさんに。そこにいるんだけど、なんか車で送るとかなんとか」
石川がそう説明し、保田は瞬時に的確なアドバイスを送る。それは想定の範囲内だった。
「あ、うん。わかった。そう言ってみる。うん」
- 216 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:34
-
電話を切り、石川はマネージャーのそばへと戻った。そして教えられた通りのことを告げる。
「あの、保田さんが外で待っててくれて。心配して送ってくれるらしくて」
「ああ、保田さん。そっか。ああそれじゃ心配しなくてもいいか」
「はい。あの、今日はお疲れ様でした。すいません。お先に失礼します」
「ああ、気をつけてね。それから、なにか困ったことあったらいつでも……」
その先を聞くことなく、石川は駆け足でその場を後にした。
そして裏口の通用門を通って、待っていた保田と落ち合った。
「よく出てきたわね。よくやったわ」
保田は時間のことを言ったりはしなかった。石川はほっと息を吐いた。
「化粧も落としたのね。それじゃ、後は変装するわよ」
それから二人はその狭く陰になった部分で簡単に着替えをした。
石川はコンタクトを外し、用意していたメガネをかける。そして男物のジャンパー。
一方の保田は全て終わっていて、サングラスとマスクを装着して完成だった。
「さーて、じゃあターゲットを探すわよ」
「う、うん」
悪いことをするんだ、と思うとそれだけで胸が苦しくなる。
だけど、その苦しさの奥にあるウキウキするような感覚を石川は否定できなかった――。
- 217 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:34
-
ファーストステージの敵は拍子抜けするほどに弱かった。
男の二メートルほど後ろを歩きながら、まず保田が十円玉を前へと転がし投げた。
男はちらっと後ろを向く。その瞬間が石川にとっては最初の冒険だったが、
予想通りというかその場所が暗かったこともあり、男は二人の顔に気づかなかった。
そして十円玉を拾おうと前かがみになる。その瞬間、保田が男を後ろから両手で突き飛ばす。
男はそのまま前に突っ伏し、いてっという声が漏れたが、
そのときにはすでに保田は男のズボンから財布を抜き取っていた。
男はなにが起きたのかわからないというような感じで、
その場で立ち上がると、とりあえずパンパンとズボンについた砂を払う。
そして後ろを見るも、そこには誰の姿もなかった。
石川と保田は全速で路地を走っていた。そのスリルに石川の顔になぜか笑顔が浮かぶ。
そしてすごいことをしたと思う。これまでの人生で一度もなかったようなことをしたのだ。
ただ、それとともに、実際は自分がなにもしていないということにも気づいていた。
やったのは全て保田だった。石川はただそれを見て、そして走っただけだった――。
- 218 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:34
-
鍵を開けて中に入り、明かりをつける。その明るさが石川には安心の光に思えた。
保田がドアを閉めて鍵をかけ、さらに念を入れて内側のストッパーをはめる。
「これで、まずは終わりね」
「うん」
「疲れたわね。梨華はソファで休んでて。コーヒーでも入れるから」
「あ、うん」
保田の部屋はかなり広かった。一人暮らしなのに部屋がリビングの他に三つもある。
本棚にはマンガ本が雑に並び、床や机の上にもそれが散らばっている。
テレビの横にはコルクボードがあって、そこにたくさんの写真が飾られていたりする。
中には石川の写真もあったが、保田が親友のビビアンとキスしてる写真なんかもあり、
それがちょっと恥ずかしかったりもする。冴えない男とのツーショットの写真もあった。
「テレビ見てていいわよ」
キッチンから保田がそう言ったが、石川はそれだけはやめておきたかった。
ニュースでこのことが流れていたらどうしようと、自分が映っていたらどうしようと、
もしかすると今まさに警察がここへ来るんじゃないかと、そんな不安があったのだ。
「う、うん。でもいい」
石川はそう言って、再びコルクボードの写真へと目をやる。
この部屋には何度も来ている。週に三回来たことだってある。
だけど、そのたびにその写真は変わっていた。そして、そこには色んな有名人がいた。
「圭ちゃんってさ、友達多いよね」
なんとなくそう言って、でも石川はそう口にした理由には気づいていなかった。
と言っても、それは石川が友達が少ない、というような類の話ではない。
石川は無意識のうちに早く日常の生活に戻りたいと思っていたのだ――。
- 219 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:34
-
その計画はそれから四度実行に移された。
二度目は予想に反して例の数字が通用しなかった。
三度目は未遂に終わり、無事に逃げ失せはしたが、保田が追いかけられたりもした。
四度目は成功し、そしてやはり例の数字のおかげで残高を確認することができた。
そしてその四度とも、犯行で相手に危害を加えるようなことはなかった。
どこからか入手していたクロロホルムもスタンガンも、どれも使わずに済んでいた。
「ふーん、ということは二分の一っちゅうか、三分の二っちゅうことやな?」
中澤がそう言って、でも石川にはなぜ中澤がそこにいるのかがわからなかった。
そして、なぜ中澤がその計画の話を知っているのかも。
「それにしてもあれやなあ。石川がよう参加したもんやで」
「あたしが無理やり巻き込んだのよ。ちょっと悪いことしちゃったわね」
「ううん、それは別にいいけど、ねえ、なんで裕ちゃんが知ってるの?」
それは石川にとっては当然の言葉だった。呼ばれて保田の部屋に来てみれば、
そこには中澤裕子がいて、そしてなぜか計画の話を知っていたのだから。
だが、中澤がそこにいるというのも、中澤と保田にとってみれば当然の話だった。
「この計画ね、実は裕ちゃんが考えたのよ」
「うそっ?」
「まあうちは冗談半分で言うただけやで?実際にやってもたんはそっちやろ」
「郵便ポストに入れるなんてのも裕ちゃんのアイデアだったりするし」
「捨てたりしたらあかんやろ。拾う人おっても中身盗られたらこっちが疑われるんやし」
財布を盗った時点で同じなのだが、罪の意識は今の三人にはほとんどなかった。
「それならすぐ本人に届けるべきやけど、交番に届けるわけにもいかへんさかいな」
「それで郵便ポストだったんだ」
「それなら無傷のまま財布は本人に届くやろ。免許証とか入ってるやろうし」
「今のところニュースにもなってないし、被害届も出てないんじゃないかな」
「じゃあもう捕まったりしない?」
「まあ完全犯罪いうわけやないけど、今さらばれる可能性は少ないやろな」
- 220 :名無し娘。:2005/11/14(月) 19:34
-
その言葉は石川にとっての長かった逃亡生活の終わりを表してた。
それに安堵するとともに、やはりどこか退屈な気持ちが浮かんだりもする。
が、それはまだほんの序の口、全ての序章に過ぎなかった。
「さてと、ほなそろそろ本番やな」
ソファに座りなおして中澤がそう口を開いた。
「とうとうやるのね」
保田も同じように座りなおし、不気味な笑みを浮かべる。
「本番って?」
石川がそう尋ねて、でも、そう尋ねたことを石川は後悔せざるをえなかった。
例えそこに再びスリルとショックとサスペンスが待っていたとしても。
「銀行強盗よ!」
二人がそう言って笑い、石川は横隔膜が痙攣するのをただただ感じていた――。
┌――┐
││2 │
│└→│
└――┘
- 221 :名無し娘。:2005/11/15(火) 21:32
- イイヨー超期待。
- 222 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:26
-
「人質となったのは、そのとき自動車の教習を受けていた、歌手の、飯田圭織さんでした」
アナウンサーが口にしたその言葉は、世間に多大な衝撃と関心を与えていた。
計画が実行された日の、そんな夜のニュース――。
- 223 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:26
-
「ぎ、銀行強盗???」
石川はその言葉に目をお月様のように丸くし、薄れそうな声でそう訊き返した。
全身の血がジェット気流に巻き込まれたかのような、そんな倒れそうなほどの興奮と、
全身の神経が一瞬で凍りついてしまったかのような、そんな緊張とを覚える。
それは石川が求めるスリルとショックとサスペンスの域を遥かに超えていた。
が、その答えを石川が教えられる前に、部屋にインターホンの音が鳴り響いた。
「来たみたいね」
そう言って保田はソファから立ち上がると、壁際の受像器へと向かう。
警察ではないだろうが、石川にはなんだか悪い予感がしていた。
中澤と保田と、たった二人で銀行強盗なんて大それたことを考えつくわけがないのだから。
そこにはきっと、それ以外に悪(あく)の首領がいる。それもかなりの悪(わる)が。
いや、そうであってくれなければ、石川にはその二人を擁護することはできない。
保田がなにやら言葉を発し、そして再びソファへと戻ってきた。
その間、中澤は左肩に右手を置き、首を左や右に丹念に回していた。
「ちぃと遅かったんちゃうか?時間はきっちり守る癖つけへんとな」
そう言って今度は左肩をぐるりと回す。年のせいなのか、それともなにかの準備なのか。
中澤の発した“時間”という言葉がすでに計画の準備の一環である、ということには、
石川はまだ気づいていなかったが、なにかが始まろうとしているのだけははっきりと感じていた。
そして、やはり二人の裏には悪の首領がいるらしいということも。
それも時間を守らないくらいだからかなりの悪かもしれない、と。
- 224 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:26
-
石川はそんなことを考え、今すぐにでもその部屋から逃げ出したい気分になった。
今ならまだその計画の内容を聞いてはいない。だから抜けるとしたら今しかないのだと。
「あ、ねえ、あの、私……」
思い切って口を開いた割りに、その次の言葉が出てこない。
(銀行強盗はちょっと、私には、無理、かな?かな?かな?)
そう言いたいのにそれが出てこず、ただ最後の「かな」の部分だけが頭に何度も響き渡る。
そしてさらに、今まさにこちらへ近づいて来ている悪の首領の姿。
頭からすっぽりと黒い三角形のマントを羽織っていて、目の部分に二つの穴が開いている。
そしてキョキョキョキョキョキョと奇妙な笑い声。
仮にそれがパペットマペットでなければ、きっと蛇のように舌が割れている。
石川はその自分で勝手に想像した姿に思わずゾッとし、無重力なめまいを感じた。
が、次に目の前に現れた人物を見て、さらなるめまいを感じずにはいられなかった。
その悪の首領が全く意外な人物であったというのが理由の一つ。
そしてもう一つは、そんな悪の首領で大丈夫なのだろうかという前向きな不安だった。
恐怖の大王は飯田圭織だった。悪の首領のくせに、すっきりとした大人のオーラが漂う。
「ごめんねえ。なんかわざと渋滞のとこばっか通るんだよね。ほんっとむかついた」
飯田はそう言いながら三人を見て、そしてすぐ石川に気づいて声をかけた。
「へえ。石川もかあ。ふーん、なるほどねえ」
なにがなるほどなのかは石川にはわからない。
だが、飯田の考えることがわからないというのは、石川にとってよくある光景に過ぎない。
「とりあえず、今日はこの四人ってことになるわね」
保田のその言葉に、石川はさらに頭が破裂しそうになる。
これ以上さらにメンバーが増えるなんて、それは石川にとって悪夢でしかなかった。
そしてまた、そんな陳腐(ちんぷ)なメンバーで大丈夫なのかという、これまた前向きな不安。
せめてルパンのようなプロの泥棒でもいてくれたら、と石川は本気で思うしかなかった――。
- 225 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:26
-
二車線の小さな道路を自動車学校の教習車が走っていた。車の行き来はそんなに多くない。
地形的な条件もあって、都内としてはそこそこのどかな地域だ。
道路の両側には結構な幅の歩道があり、植え込みとともに等間隔で立ち木が並ぶ。
そんな道路を、その16号車と書かれた車がゆっくりと安全運転で進んでいく。
それは誰が見ても日常の光景であり、そこにはなんの異常もないように見えた。
だが、それはすでに始まっていた。
左のウインカーがカチカチと点滅し、植え込みの切れ目の奥で教習車が止まった。
歩道を挟んで暗く小さな雑居ビルがあり、その手前には同じく武州信用金庫の建物。
人通りは多くない。自転車が二台、その教習車の横を別々に通り過ぎたものの、
あとは止まった教習車を三台の車が追い抜いていったくらいだった。
そんな中、右側の運転席のドアが開き、一人の女性が道路へと下りた。
すらっとした美人だったが、とげとげしくはなく、ちょっとした可愛らしさがないこともない。
だが、その顔に笑顔はなかった。表情は固まり、まるで死ぬ直前のようにも見える。
そしてそんな表情のまま、彼女は武州信用金庫の建物の中へと入っていった――。
- 226 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:26
-
入ってすぐ、飯田はドキッとした。わかっていたこととはいえ、そこには警備員がいた。
だが事前の調査通り、その警備員はいかにも定年後の再就職といった感じで、
一応置いているというだけで全く頼りになりそうにはなかった。
飯田はそんな警備員に対し、いかにも困ったような素振りを見せた。
私、困ってるんです。私、助けてほしいんです。私、まだ死にたくないんです。
だが、警備員は首をかしげるだけで、その飯田のSOSに気づくことはなかった。
震えそうな足でゆっくりと窓口へ向かう間、飯田は店内を小さく見回した。
小さな信用金庫であり、平日の午前十時半であるから、客は多くはない。
三つの窓口のうち埋まっているのは一つだけで、
三十過ぎのお局様的な女性店員が、作業服っぽい男性に対応しているくらいだった。
それ以外には順番待ちの椅子に二人の客が焦る様子もなく座っていたが、
それは二人とも高齢のおばあちゃんだった。
- 227 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:27
-
ある意味当然ではあるが、飯田は順番を待つことなく空いた窓口の前に立った。
そこには誰もいなかったが、すぐに四十過ぎの中堅らしき男性が駆け寄ってきた。
「あ、すいません。順番お待ちしてもらえますか?」
そう言われて、でも飯田は無言で首を左右に振った。それは微かな動きだった。
そして手に持っていた一枚の紙切れを差し出す。飯田の目は泣きそうだった。
飯田は人質となった哀れな美女をカメラと店員の前で見事に演じていた。
「はい?なんでしょうか?」
男性が意味がわからないという感じでそう言って、
しかしその紙を見て、さらに意味がわからないという表情を浮かべた。
何度も演習を繰り返したのを思い出してコクリと小さくうなづくと、
飯田は小さな声で助けを求めた。それは誰にも聞かれないくらいの小さな声だった。
「た、たすけて、ください……わたし……爆弾が……」
その言葉で男性の動きが一瞬で硬直した。
その紙にはその言葉を裏付けるようなことが書かれてあった――。
- 228 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:27
-
午前十時過ぎ、石川梨華はなにも考えず、ただぼんやりと道を歩いていた。
本当なら色んなことを考えてしまって、またもや手足が震えていたことだろう。
だが、あんたはただお茶飲んでればいいんだから、という保田の言葉が、
石川の気持ちをかなり軽くさせていた。あんたはぼんやり歩いとけばいいの、とも。
ただ、そうは言っても石川も銀行強盗の仲間の一人なのは確かだ。
もし失敗したら自分にも捜査が及ぶ、という不安がないわけではない。
「あーあ、みんな勝手だよね……」
無意識にそう呟いて、石川はなんだかそれが自分の言葉ではないような気がした。
あれほど嫌がっていたのに、いつのまにか石川はそれに乗り気になっていた。
そして、そうだからこそ、自分が実行部隊ではないということが退屈だったのかもしれない。
気楽ではあるが、なんだか以前のスリルに比べるとそれは物足りなく感じられた。
二車線の道路の右側の歩道を石川は歩いていた。そして美味しそうな匂いに立ち止まる。
そこには一軒のケーキ屋があった。そして運のいいことに、その店は販売だけではなく、
店内に幾つかの席が用意されてあって、ちょっとしたカフェのような雰囲気でもあった。
ドアを開けるとガランガランという鈴の音がして、すぐに女性店員の声が石川を出迎えた。
開店は十時であるから、石川がその日最初の客ということになる。あるいは二番目くらいか。
石川はガラスケースの中のケーキを物色し、ショコラ・フランボワーズというのを頼んだ。
「あの、これ、ここで食べれますか?」
「あ、はい、どうぞ。お席にお持ちします。お飲み物は?」
「あの、コーヒーください。ブレンド?」
「あ、はい。わかりました。ごゆっくりどうぞ」
二人席が四つ並び、石川はその一番奥の手前側に座った。
そこからはガラス窓越しに道路がよく見渡せた。
そして道路の奥の建物、さらにその中の様子まで――。
- 229 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:27
-
稲葉貴子から飯田の携帯に電話がかかってきたのは、
予定通り教習が始まるほんの十分ほど前だった。
飯田は教習所のロビーで電話を受け、そして予定が普段と変わりないことを告げた。
教官もいつもの教官で、そしてそうであれば飯田の苦手な駐停車の練習はまず外れない。
前回の教習ではわざと安全確認を怠ったりという下準備までしているのだ。
仕事があって毎日通うということができないから、飯田の教習生活はのんびりしていた。
週に二度くらい通い、ようやく仮免を取って路上に出たのが一ヶ月ほど前だった。
そして初めての駐停車の練習で教官から言われた言葉が、そのヒントとなっていた。
「これから毎回ここに停めるから。確認のやり方だね。それがまだ不十分だから」
それから毎回、どの道を通ったときも必ず16号車はそこに停車することになった。
いや、16号車だけではなく、半分近い教習車がそこに停車するのだが。
そして、そんな頃、飯田たちの銀行強盗計画が始まろうとしていた――。
- 230 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:27
-
部屋には五人が揃っていた。中澤裕子、稲葉貴子、保田圭、飯田圭織、そして石川梨華。
そこに当然のように自分がいるということを石川はまだ納得いかない様子だったが、
もう戻れないことを悟ったのか、今ではそれを捕まることのない完全犯罪にすべく、
悪い頭をフルに使って四人の話の穴を探すことが石川の唯一の仕事となっていた。
「じゃあ、目標はその裕ちゃんの元カレがいた銀行ってことでいいの?」
「銀行やないで。信用金庫や。それもほんま小さなとこやで。しゃれならんわ」
保田と中澤のそんな会話に稲葉が加わる。
「でもおもろいこと考えたもんやな。振った男に仕返しするんにしてはスケールでかいわ」
「あんなあ。さっきも言ったやろ?別に仕返しっちゅうわけやないねん」
「あたしはどっちでもいいわよ。なにか理由があった方がおもしろいし」
と保田。そこにそれまでずっと無言でいた飯田がなにかを思いついたように口を開いた。
「武州信用金庫だっけ?それ、いつも通るコースにあったかもしれない」
「おお、なんやカオリン、仮免受かったんかいな」
「うん。先月ね。それからまだ数回しか路上出てないけど」
その五人の中で免許を持っているのは三人。
石川以外は一応運転できるということになる。それがちょっと羨ましかったが、
そのせいでまさか偵察部隊に任命されることになるとは、石川は全く思いもよらずにいた――。
- 231 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:27
-
コーヒーを飲みながら、稲葉は携帯の時計を何度も確認していた。
意味もなくその辺りを車で何度も回って様子を窺ったり、車を停めて眺めたりはしたが、
当日はそんな怪しまれる行動はできない。そう思い、稲葉は偶然その店に入ったのだが、
そこは思っていた以上の立地だった。店内にいながらにして、しかもコーヒーを飲みつつ、
目標である武州信用金庫の店内を奥まで覗くことができたのだ。
時間帯と店内の人間の数、人通りなどを一通り確認して、稲葉は店を出た。
そして早速、その店の情報を伝える。これで偵察場所の確保はできたことになる。
「じゃあ当日は梨華にその店に行ってもらえばいいわね」
「でも大丈夫なんか?石川やとちぃと頼りなないか?」
「それはあたしが保証するわ。あの子、この前だってちゃんと仕事したし。度胸あるわよ」
「しないよ、やったか。まあそれは意外やったけど、でも今度のはなあ……」
「大丈夫よ。だって、まさかあんな子が銀行強盗の仲間だなんて、誰も思わないだろうし」
「そういう利点はあるんやなあ。確かにあれじゃ誰も怪しまんわ」
そう言って保田と稲葉が笑う。
その頃、石川は美勇伝の仕事をこなしながら、一つ大きなくしゃみをしていた――。
- 232 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:27
-
コノ女ノ体ニ爆発物ガ仕掛ケテアル。
通報ボタンヲ押シタリ変ナ素振リヲ少シデモシタラ、躊躇ワズニ遠隔操作デ爆破サセル。
誰ニモ気付カレナイヨウニ現金ヲ用意シ、女ニ渡シテアル袋ニ詰メ込メ。
現金ハ番号不揃イ・使用済ミノ福澤諭吉デ参千萬円。
言ウマデモ無イガ、防犯用ノ番号チェック済ミ紙幣ヲ使ウヨウナ真似ハスルナ。
袋ニ詰メタラ女ヲソノママ返シテヤレ。
タダシ、モシソノ後デ警察ニ通報スルヨウナ真似ヲシタラ、女ハ殺ス。
オ前達ハ常ニ我々ニ監視サレテイル。内部ニモ仲間ガイル。
我々ハナルベク人ヲ殺シタクナイ。タダシ、オ前達ガ殺シタイナラ話ハ別ダ。
女ヲ解放シタラ、追ツテ連絡スル。以上ダ――。
- 233 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:28
-
「あ、これ美味しい」
と思わず言って、石川は他に客のいない店内を恥ずかしそうに確認した。
バイトと思しき女性店員がニコニコと笑っていて、石川もどうもという感じで微笑み返す。
(いけないいけない。大事な仕事をしてるんだった)
そう思い、石川はフォークを手に持ったまま再び窓の外へと目をやった。
特に異常は見られなかった。この店の中から監視するのは初めてだったが、
その目標を監視したのはこれが初めてではない。
一週間前の同じ曜日、同じ時間帯に、道路に停めた車内から石川はそれをしていた。
運転席には稲葉貴子。それまで何度も確認をしていたらしく、
普段がどんな様子で、客が何人くらいか、どのような客層か、という話を聞かされていた。
十時も十五分が過ぎ、連絡が来ないのが不安になってくる。
あまり長居すると怪しまれるということで、石川は定期的に携帯をいじくる真似をしていた。
電話をかける振りをして、少し大きな声で「今どこ?まだ?」なんて言ったりするのは、
もちろん全て教えられたことであり、事前に何度か練習したことでもあった。
ただ、やはり計画の実行日となると、ただそれだけで時間の流れが遅く感じる。
ケーキは全て食べ終わってしまい、コーヒーもすでに空になっていた。
石川は仕方なく、もう一度ガラスケースの前へ行き、追加を注文した。
ただ、店員がそんな石川を不審に思っているような素振りはなかった。
どうやらそれが石川梨華だ、ということには気づいているらしかったが――。
- 234 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:28
-
再び教習車に乗り込んだ飯田が、キーを回してエンジンをかける。
緊張のあまりクラッチが甘くなってエンストしかかったが、なんとか車は動き出し、
その武州信用金庫の前の道路はいつもと変わらぬ道路へと戻った。
「上手くいったのね」
後部座席に乗っていた保田がそう尋ねた。
いかにも強盗であるというような黒い目出し帽をかぶっていて、
それが周りに見られないように、身を低くしていた。
その隣には同じような格好の中澤。飯田が持ってきた袋の中を見て、コクリとうなづく。
車は普通に進んでいった。誰もその教習車が今まさに強盗をしたのだとは思いもよらない。
運転席には若い女性が乗っていて、そして助手席には教官の男性が乗っていた。
ただし、対向車から見れば、その男性は居眠りしているように見えたかもしれない。
教官はスタンガンによって気絶させられていたのだから――。
- 235 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:28
-
飯田はかなり焦っていた。てっきりいつものAコースだと思っていたのに、
その日進まされたのはBコースだったのだから。大事な計画を実行するというのに。
だが、三通りある定番コースのうち、別のコースになるという予想がなかったわけではない。
Cコースの場合は時間が違うだけで駐停車の場所自体はAコースと同じであり、問題はない。
だが、Bコースの場合はそもそも駐停車の場所が違う。
ただし、彼女たちもそこまで馬鹿ではなく、そのための計画もちゃんと練られていた。
「今日はBコース」
そう教官から言われた飯田は、焦りながらもすぐにそれを実行に移した。
途中で突然思い出したというようにあっと声を出し、教官に声をかけたのだ。
「あの、仕事で、大事な電話しなくちゃいけないの忘れてて……」
そんなやりとりをして、16号車は予定にはない場所でひとまず停車していた。
「こら、左の確認。どこで停まろうとそれは一緒」
「あ、すいません。よし、よし」
ハザードをつけて車は停車し、飯田は後部座席の小さなバッグから携帯を取り出した。
そして稲葉に電話をかける。
「あ、あの、すいません飯田です。あの、はい、そうです。今教習なんですけど……」
慌てた演技のつもりだったが、飯田は本気で焦ってもいた。
「あ、じゃあBスタジオですか?時間は同じで?あ、はい。わかりました、どうもすいません」
電話を切り、飯田は教官に頭を下げた。
「すいません。教習の前に確認しなきゃいけなかったのに忘れてて」
それはBコースに変更になった、ただし時間は同じくらいだという意味の伝言だった――。
- 236 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:28
-
石川の目の前を教習車が通り過ぎた。
横にはカラフルな模様と自動車学校の名前。そして16号車と書いてある。
その車は武州信用金庫の少し先で停車した。ご丁寧にハザードがチカチカと点滅している。
予定よりは少し遅かったが、車から飯田が降りてきたのを見て、石川はいよいよだと思った。
手に汗がにじみ、そして自分が今偵察部隊をしているということを誇らしく思う。
店員もさきほどまでいた客も通り過ぎる人たちも、そんな石川に気づいてはいない。
それがなんともいえない喜びであり、またスリルとショックとサスペンスでもあった。
四分ほどだろうか。実際は四分二十秒だったが、その間、石川の時間は止まっていた。
携帯に表示された時刻だけは一分おきに新しい数字を表示してはいたが、
石川にとっては生ぬるくまだるっこしいほどの時間であり、
そうかと思えばたった一瞬であったような、それはそんな奇妙な時間だった。
飯田が銀行から出てくるのを確認し、石川は再び携帯を手に取った。
教習車が発進して視界から消え、それと同時に電話が通じた。
「あ、あの、今出ました。あ、じゃなくて、もう出ました?」
ちょうど女性店員が奥に引っ込んでいて誰にも聞かれていなかったものの、
そんなイージーミスに、石川は全身が凍りつくようなサスペンスを感じていた――。
- 237 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:28
-
飯田の伝言を受けて、三人は同時に顔をしかめさせていた。
「まあしゃーないわ。BでもAでも計画は実行するで」
中澤がそう言い、保田もそれに続く。
「そうね。Aは公園の横だからばれにくいけど、Bでも同じよね」
そんな会話に参加することなく、運転席の稲葉はすでに車を発進させていた。
「二人とも用意はええやろな?スタンガンのスイッチ入れときや」
その言葉が三人それぞれに本格的な犯罪行為であるということを思い起こさせていた。
銀行強盗をする、ということよりも、むしろそっちの方に罪悪感を覚えていたのだ。
それは以前にヲタのキャッシュカードを狙ったこともある保田も同じだった。
あのときは誰も傷つけてはいない。つんのめったヲタがいたくらいだったが、
今度ははっきりと人を傷つけるのだ。
気絶させるだけとはいえ、それは強盗以上にはっきりとした犯罪行為だった――。
- 238 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:28
-
教習車は無事にその場へと戻って来た。
そのすぐ前には一台の白い乗用車が停まっていて、しかしそれ自体は不審なことではない。
問題は、その教習車から黒い覆面をした人間が二人降りてきたということだった。
一人は手に袋を持っていて、もう一人はなにやら小型の機械のようなものを持っていた。
二人が白い乗用車に乗り込むと、車はすぐに発進してあっという間に消え去っていった。
残されたのはただ一台、16号車と書かれた教習車だけであり、
その中にいた生徒と、そして気絶した教官の二人だけだった――。
- 239 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:29
-
石川は笑顔でお金を払い、そして笑顔で店を出た。
パトカーのサイレンなんかは聞こえなかった。だから気分がよかった。
きっと完全犯罪を成し遂げられたのだろうと、そんな気楽な達成感を覚えていた。
歩道を歩き、そして少し進むとそこにバス停があった。
石川はそこのベンチに座ってただバスを待った。
そして十分ほど経ったところでバスが来て、それに乗り込んだ。やはり笑顔だった――。
- 240 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:29
-
16号車は大通りから二車線の道路へと左折し、その曲がりくねった道を進んだ後、
今度は一車線ながら広い幅の道路へと進んだ。すぐにブロックで区切られた住宅街となり、
その交通量の少ない道を縦に行ったり横に行ったりする。
そこは教習所の教習コースの一つになっていた。
Aコースの場合、そこをぐるぐると回った後、ある決まった場所で駐停車をする。
Cコースの場合は別の場所を通った後で、駐停車のためだけにそこに来る。
ただし、Bコースの場合、そこを多少ぐるぐると回りはするものの、
駐停車をする場所はそこではなく、そこから向かう先にあった。
再び二車線の道路へと戻り、武州信用金庫の前を通ってしばらく進んだ後、また道を折れる。
そのときにはすでにケーキ屋に一人の女性がスタンバイしていたが、
彼女はそのコースを変更した教習車が目の前を通り過ぎたことには気づいていなかった。
実際に実行される前のことであるから、大きなミスということではなかったが、
それは確かに無用心ではあった。
16号車はある一帯に入り込んでいた。そこは広い駐車場や小さな工場があったりして、
一応車が通る道ではあったが、人通りという点ではかなり寂れた場所でもあった。
そこで車は駐停車をした。後ろから車が来たときのために左側すれすれに停める。
が、左側に側溝があるというのが頭にあるのか、それはいびつな斜めの形で停まった。
そして、事件は教官が生徒に注意しているときに起こった。
突然、助手席のドアに黒い覆面をした二人が押し寄せ、
ドアを開けるや否や、スタンガンでその教官を気絶させたのだ。
運転席にいた女性はなにが起こったのかわからないというようにただ怯えていた。
そして、怯える演技をしていた――。
- 241 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:29
-
部屋には中澤裕子、稲葉貴子、保田圭、石川梨華の四人がいた。
ただし、当然ながらそこに飯田圭織の姿はない。彼女は一人だけ被害者だったのだから。
「とりあえず、成功したみたいやな」
中澤がそう言って、稲葉がそれに応える。
「コース変更ってときはほんま焦ったわ。せやけど成功してよかったで。あとはカオリンやな」
「大丈夫よ。カオリンならちゃんとうまくやってくれるわ」
「そう本気で願うわ。ボロが出たら、うちらも一緒にお縄やさかいな」
その中澤の言葉でようやく石川が口を開いた。
「お縄?」
「捕まるってことよ」
保田がそう説明すると同時に、中澤と稲葉が一斉に石川の目を見た。
一番ぽろっと漏らしてしまいそうな感じがするのが石川だったのだ。
そこにはそういった警告の意味が込められていたが、石川にはそれ以上の効果があった。
石川は今にも泣き出しそうだった。ただし、捕まることが怖かったのではない。
小学校時代にクラスの女子たちに囲まれたときのような戦慄を覚えたのだ。
そんな石川に対して助け船を出したのは保田だった。
「まあそこまで心配しなくてもいいわ。前回の計画だって、梨華はちゃんとこなしたわ」
石川はそんな保田に心底、感動を覚えていた。
自分がモーニング娘。に加入したばかりの頃から、保田は石川の面倒を見てくれていた。
わからないこともあるけど色んなアドバイスをしてくれて、
そしていざというときには必ず助けてくれる。逆に冷たく突き放されることもあったが、
それでも石川にとって、自分の弱さを知られてもいい唯一の存在が保田だったのだ。
そしてまた、ちゃんとこなしたという評価の部分が、石川を心から嬉しくさせていた――。
- 242 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:29
-
飯田は呆然とした振りをしていた。そして、念のため助手席の教官を揺り動かす。
「先生、せんせい、せんせいってば」
しかし教官は意識を戻さない。スタンガンは予想以上の効果があったらしい。
飯田は車を停車させたまま、すぐに次の行動へと移った。
まず、後部座席を確認して、二人の忘れ物がないかどうかをチェックする。
二人は降りる際に小型のハンドクリーナーで髪の毛やホコリなんかを吸い取っているので、
見た感じではそこに痕跡はなかった。それにもし髪の毛なんかが落ちていたとしても、
そこには飯田のバッグがあり、それはいつも仕事場に持って行くものだった。
だからもし保田の髪の毛が見つかったとしても、疑われるようなことにはならない。
車内を掃除するというアイデアは、意外なことに石川が考えたことだった。
警察が特殊な掃除機で現場を掃除し、吸い取ったゴミの中から犯人の遺留品を探す、
そんな刑事ドラマを以前に見たことがあったのだ。
手袋をして指紋をつかないようにする、というだけでは警察の目は欺けないのだと。
飯田は確認を終えると、もう一度教官を揺り動かした。
ううん……という唸り声が聞こえはしたが、やはり意識を取り戻すまではいかない。
飯田は決心し、右足でブレーキを踏み、左手でサイドブレーキを倒した。
そしてバックミラーとサイドミラーをそれぞれ確認し、よし、よし、と呟く。
飯田は“犯人”に脅された通り、たった一人で教習所へと戻ろうとしていた――。
- 243 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:29
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四人は全てを飯田に委ね、わいわいとピザを食べていた。
「お、これ旨いやん。なかなかやで」
「この緑のタバスコがね、結構いいのよ」
「うちはその七味だけでええわ」
「七味って裕ちゃん、ピザなんだからスパイスとかなんとか言ってくれないと」
よくこんな状況で平気でピザなんか食べれるなあと、石川は一人かなり困惑していた。
普段なら真っ先に手を伸ばしているはずなのに、なんだか食欲が沸かないのだ。
それを石川は、罪悪感のせいだと考えていた。
その一時間と十分ほど前、計画が実行された時間に、
自分がケーキを二つも食べたということはすでに頭の中にはなかった。
「ほな、明日から色々大変やろうけど、うちらはなんも知らんのやし……」
「ただ普通に驚いてればいいのよね」
「そうや。カオリンのこと訊かれるやろし、ワイドショーなんかもうるさいやろけど」
「ええなあ。あんたら注目されまくりやん。うちは絶対なんもないで」
「わかんないわよ。プリプリピンクで一緒なんだし、最近はこうしてよく集まってるし」
「それはあんま出さん方がええかもな。仕事で一緒になることが多い言うくらいで」
「とにかく、事件を知って自分たちも驚いてる、そう言っとけばいいのよね」
保田がそう締めくくり、石川もそんな対応を頭にインプットした。
「梨華、あんたもびっくりしたって言うのよ。それと、もしもだけど……」
「もしも?」
「あんた、あの時間現場のそばにいたんだから、かなり怪しいわよ」
その言葉は石川に天地がひっくり返るほどの衝撃を与えていた。
偵察部隊だから一番安全なのだと、あれほどまで説明されていたのに、
いざ終わったと思ったら、いつのまにか一番危険なのが自分になっていたのだから。
石川は久しぶりに泣きたくなった。そこにはスリルもサスペンスもなかった。
あるのはただのショックだった――。
- 244 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:30
-
教習所に戻った飯田は、その所内のコースに停車し、携帯で電話をかけた。
「あ、あの、武州信用金庫さんですか?あの、私、人質にされてて……」
犯人は車に一枚のメモを残していた。そこには事件が起きた支店の電話番号が書かれてあり、
教習所に着いたら連絡するようにと“犯人”から言われていたのだ。
「今、教習所について、あの、犯人から言われてて、電話するようにって」
飯田が電話を切り、その計画は終了を迎えた。
それから教習所の人たちを呼びに行ったり事情を説明したりと慌しくしているうちに、
やがてサイレンの音が聞こえ、教習所内に数台のパトカーがなだれ込んできた。
それからはあれよあれよという間に話が進んでいく。
警察は人質となった女性が芸能人である、ということにはすぐに気づき、
これは職業を尋ねられたためでもあるが、とにかく、その後の対応に苦慮しているらしかった。
それが公開情報になるとわかったのは、飯田が警察署に運ばれてしばらくのことだ。
教習所内で事務所に連絡したこともあり、また警察からも同じような連絡がいったため、
警察署にはすぐに事務所の関係者が数人駆けつけて来た。
そこには当然飯田を疑うような雰囲気はなかった。
飯田は完全に被害者として保護されていた――。
- 245 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:30
-
ピザを食べ終えてしばらくしてから、まず中澤が帰っていった。
夜にテレビ収録があり、夕方にはスタジオ入りしなくてはいけないらしい。
それから石川は夕方から美勇伝の新しい振り付けのレッスン、
稲葉はそのダンスレッスンの講師として天王洲に赴かなければならなかったが、
それにはまだ時間の余裕があった。レッスンでありホームグラウンドであるということもあるが。
保田がなにげにテレビをつけて、石川には気が気ではなかった。
だが、画面に映るのは日常の番組であり、タモリが銀行強盗のニュースを読んだりはしない。
「事件、やってないね」
安心して石川はそう尋ねた。だが、そんな安心はすぐにかき消される。
「まだ事件起こったばっかやしな。夕方のニュースには絶対流れるはずやで」
「流れるんだ……やっぱり……」
「銀行強盗だもんね。そりゃ流れるよ。問題はカオリンのこと言うかどうかってこと」
「あ、言わないこともある?」
「どうやろな。教習車が襲われて生徒が脅迫されてってとこまでは言うやろな」
「そっか。そうだといいね」
石川はそんなことを言って、それなら安心できると思った。
飯田の名前さえ出なければ、その瞬間から自分は事件とは全くの無関係になるのだと。
実際は報道されないだけで、飯田が人質として利用されたという事実は消せないのだが、
石川にとって、それは他人事になるかならないかという点で重要な分かれ目だった。
だが、運命は石川の不安をそう簡単に消してくれはしない――。
- 246 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:30
-
飯田は取り調べを受けていた。と言っても、よくドラマで見かける取調室ではない。
飯田が芸能人であるためかはわからないが、そこはちょっとした接客室だった。
ふわふわではないもののソファがあり、机を挟んで刑事から話を訊かれる。
飯田の隣には被害者の人権を配慮してか、事務所の関係者が一人付き添っていた。
「じゃあ、駐停車をしたときに、突然二人組が襲ってきたんですね?」
「はい。左の、なんて言うんですか、死角ですか?その死角になった部分から……」
「犯人は二人組」
「はい。二人がドアを開けて、それで先生を突然ビビビッて。それでもう私びっくりして」
「先生が気絶させられて、それから二人はどうしましたか?」
「私、もうどうしていいかわからなくて、とっさにキーを回してエンジンをかけようとしたり」
「パニックになるのもわかります。誰でもそんなことがあれば動揺しますから」
実際にはそのときより取り調べを受けている今の方がパニックに近かったかもしれない。
だが、そんな様子が警察に対してはっきりとした被害者というイメージを植え付けていた。
「それで、その二人なんですけど、後部座席に乗り込んだんですか?」
「は、はい。それで、後ろから私の体になんか針金みたいなのを巻きつけて」
「それは、爆発物のことですね?」
「わかりません。でも、爆弾だって言ってました。針金でくくりつけたって」
「それであなたは脅迫されて、指示通りにその信用金庫まで運転をした」
「はい。ボタンを押せばいつでも爆発させれるって。だから私、気が気じゃなくて」
そこで飯田は身体を振るわせた。だが、それは半分ほど演技ではなかった。
話をしているうちに自分が本当に被害者になったかのような気持ちになっていたのだ――。
- 247 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:30
-
稲葉と石川が帰り、部屋には保田一人だけが残された。
以前のキャッシュカード強奪とは比べものにならないほどの達成感。
だが、そこにはそれ以上の不安がつきまとっていたのも確かだった。
近所のコンビニに雑誌を買いに行き、久しぶりにタバコを買ったりした。
それから部屋に戻った後、また近所のスーパーに買い物に出かけたりもした。
そして夕方のニュース番組の時間になり、保田はドキドキしながらテレビをつけた。
自分たちが成し遂げたことがどれほど凄いことで、どれほどのことと思われたのか、
それを早く知りたかったのだ。
保田が求めていたのは社会への復讐ではなく、社会への帰属だった――。
- 248 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:30
-
一通りのことを訊かれ、それから爆弾の話になる。飯田はその場で立たされて、
どのような形状でどのように取り付けられたのかを説明する。だが、それは嘘ではない。
飯田は犯行の間中、実際にへんてこな装置をつけていたのだから。
銀行の監視カメラに映ることはもとより、目撃証言が出てくるなんてことも想定済みだった。
だが、想定にはないこともあった。
「それでは、その今着ている服をお借りできますか?あ、後でいいんですけど」
「これですか?」
「ええ。爆発物が本物だったのかどうか、その痕跡を検証する必要がありますから」
「はあ。わかりました。そういうことなら……」
「それと、その装置のことですけど」
いつのまにかスケッチブックを持った婦警さんが目の前に戻ってきていた。
少し前に犯人の服装などを証言したときと同様に、その爆発装置の絵を描くらしい。
だが、言葉で説明するというのはかなり難しい。
封筒色の円筒形のチョークみたいなものが五本くらい丸まっていて、
それに小さな箱が針金で固定されていて、赤や青のコードがごちゃごちゃしている。
そんなことを言ってはみたものの、できたのは実物とはかけ離れたスケッチだった。
「あの、私、絵が得意なんで、自分で書きましょうか?」
疑われないようにと飯田は逆に積極的になっていた。鉛筆を握り、装置の絵を描き始める。
が、飯田は重大なことに気づいていなかった。
装置を取り付けられた本人は、その装置を詳しく観察することができない。
ただし、一つ救いだったのは、飯田が絵が上手いと言われる割りに、
実際はそこまで上手くないということだった。
それは誰が見ても、変な箱にコードがごちゃごちゃしているとしか見えない絵であり、
とっさのことであまりはっきりと見てはいない、ということを端的に示した絵でもあった――。
- 249 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:31
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一番早くに始まる夕方のニュース番組。
事件がそのトップニュースで伝えられたことに保田は喜びを隠せなかった。
ただし、そこにはまだ飯田圭織という名前はない。
「閑静な住宅街にある信用金庫が襲われました。しかし、犯行に使われたのは意外な車でした」
事件が起きた武州信用金庫前から中継が繋がり、リポーターがメモを読み上げる。
現場には警察の車両の他に各局の報道陣が多数詰め掛け、野次馬の姿も映っていた。
武州信用金庫の支店が襲われて現金三千万円が強奪された、というのが本筋だったが、
それに続いてそれが通常の強盗ではなかった、ということが伝えられる。
「犯人はその十分ほど前、近くで一台の車を襲い、乗っていた女性一人を人質にしていました」
リポーターがそこまで読み上げると、そこで画面は唐突に教習所の映像に切り替わる。
そして事前に収録して映像と合わせたであろう女性ナレーションの声。
「犯人が襲ったのは、驚くことに自動車学校の教習車でした」
ご丁寧に画面の隅に「犯行に使われたのと同型の教習車」というテロップが表示される。
それから犯人がどのようにして現金を強奪したのかという過程が説明される。
まず乗っていた教官を“スタンガンのようなもの”で気絶させたということ。
人質にした女性に遠隔操作式らしき爆発物を装着させ、窓口に向かわせたということ。
一枚のメモを渡させ、その女性の命を盾にして現金三千万円を用意させたということ。
女性はその後解放され、自力で教習所に戻るように指示されていたということ。
犯人は二人組であるが、それ以外に仲間がいる可能性があるということなど。
そして最後に犯人の服装や背格好が伝えられたあと、
アナウンサーは次の言葉を口にしてそのニュースを締めくくった。
「犯人は依然逃走中です」
そして次のニュースが流れる――。
- 250 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:31
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レッスンはいつもと変わらなかった。
美勇伝の二人がいて、講師の稲葉と見慣れた二人の補佐がいる。
三十分ほどマンツーマンで指導を受けたあと、三人揃っての練習になる。
休憩になり、石川は鏡の前で自分の振り付けを反復練習していた。
ダンスはそこまで上手くはないが、それでも何年もそういうことをやってきている。
その日初めて教えられた振り付けではあったが、石川はそれをすでに自分のものにしていた。
と、ドアを開けてレッスン室に稲葉が入ってきた。
「なんかあったんかいな。なんや事務所の人がやけに慌てとったわ」
その言葉に石川はドキッとしていた。それがすでに事務所に伝わっているというのは、
当然の成り行きではあったが、その当然がいよいよ現実になったのだ。
石川にとって、それはなんだか事件がようやく始まったかのような錯覚を与えていた。
そしてまた、そのさりげない稲葉の演技には、ちょっぴり感心もしていた。
それから一時間ほどレッスンが続き、弁当を食べながら美勇伝の三人で歓談する。
と言っても主役は三好と岡田の二人であり、石川はただ愛想笑いをしているだけだった。
「でね、その写真が結構イケメンでさ」
「ええなあ。それ。うちにも見せてや」
それはファンレターにファンの写真が入っていた云々というような話で、
いつもなら石川もそれを楽しく聞いていたかもしれない。むしろ一番乗り気になり、
その三好が言うところのイケメンの程度を確認して心の中で嘲笑っていたかもしれない。
だが、今の石川にとって、そんなことは結局は子供の会話でしかなかった。
石川はここ数ヶ月の間に様々な冒険をしてきているのだから。
そしてまさにその日、銀行強盗という大それた犯罪行為を成し遂げたばかりなのだから。
石川は二人を子供だなあと思いつつ、弁当とともにちょっとした優越感を味わっていた――。
- 251 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:31
-
夜になり、保田は珍しくNHKのニュース番組を見ていた。普段なら絶対に見ない番組だ。
そしてやっと来たか、という思いでその画面を見つめる。
アナウンサーが新しい情報が入ったという言葉とともにその名前を告げたのだ。
これで世間の話題は独占ね、と保田はそんなことを本気で考えていたが、
保田がそう考えるのも当然のことだった。
銀行強盗だけならまだ普通の凶悪犯罪であり、最近ではそこまで珍しくもない。
だが、犯行に使われたのが強奪された教習車だったという劇場型の犯行に加えて、
犯行に巻き込まれて人質となった女性が偶然にも芸能人だったとなると、
それはやはり世間の興味と関心を集めずにはいられない。
そして、そんな予想を裏づけるかのように、そのNHKの真面目な番組でさえも、
普通の強盗事件よりも多くの時間を割いてそのニュースを伝えていた。
内容自体は夕方の各局の情報をさらにまとめたといった感じだったが、
それプラス、教習車が襲われた現場の映像などが新たに付け加えられていた。
そんな映像を見ながら、保田が勝手な憶測を口にする。ただし、独り言である。
「これはあれね、きっとカオリンを連れて現場へ行ったのね。現場検証ってやつよ」
それから事件当時信用金庫にいたおばあさんのインタビューなんかもあった。
「うん、若い女の人がね。青白い顔して、震えながら入って来て。様子が少し変だなあと」
真偽不明な情報を話すおじさんなんかもいた。
「事件の二時間前かな。怪しい男が一人、信用金庫の前をうろうろしてて……」
それから映像は出なかったものの、襲われた教官の話というのもあった。
「襲われた教官の話によりますと、犯人は二人組で、一人は女性のような印象を受けたと……」
さすがの保田もその話にはヒヤッとした。だが、それもはっきりと想定の範囲内だった。
「まあ一人はいいのよ。最初からそういうつもりなんだし。カオリンだってそう言ってるはずだし」
保田がそう独り言を口にして、そして事前の計画で話し合ったことを思い出す――。
- 252 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:31
-
「ほな、カオリンの車が停まるやろ。その陰にうちと圭ちゃんが潜んでるわけやな」
「目出し帽ってやつをかぶってるんだよね?覆面みたいなやつ」
「そうや。それで停まったら、うちがドアを開けて、すぐにスタンガンや」
「あたしはどうしてればいい?」
「後ろにおったらええわ。もし相手が暴れたりしたら、そんときは圭ちゃんがクロロホルムや」
それは以前のキャッシュカード強奪のときに準備していたもので、今もそのまま所持していた。
「ここが一番のポイントやな。突然の襲撃やけど、相手は男やさかい」
稲葉がそう言って保田と中澤がうなづく。その日は飯田と石川は仕事でいなかった。
「そのときやけど、圭ちゃんはうちが失敗せん限り、黙っといた方がええやろな」
「ばれるといけないもんね」
「いや、うちは多分揉めたりするやろし、そのときに声が漏れたりするわ。きっと」
実際はほとんど声は漏れなかったのだが、とにかく、犯行を想定しながら続ける。
「それでうちが女やってわかるはずやろ。でも、二人とも女やったらちょいとまずいわな」
「どうして?」
「どうしてっちゅうか、例えば一人女で一人男やったとしたら、うちらには当てはまらんやん」
「それはカオリンにそう証言させるってことかいな?」
「その通りや。犯人は男女で、さらに仲間と携帯で連絡を取り合ってたってことにすんねん」
「女はいたけど、女のグループじゃなくて、その中に一人いただけって思わせるのね?」
「そうや。その辺の犯人像はまたカオリンいるときちゃんと突き詰めなあかんけどな」
そんな着々と進んでいく計画に、保田は中澤を心強く思い直していた。
さすが財布を郵便ポストで送り返すというアイデアを出しただけのことはあると――。
- 253 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:31
-
パトカーだと思っていたのが普通の乗用車で、飯田はちょっとだけ残念だった。
だが、すぐにドラマのようにパトランプを上に乗っけたことで、それは帳消しになっていた。
パトカーの後ろにその飯田の乗る警察の乗用車、さらに後ろには同じく数台の車が続く。
まず中には入らなかったが教習所の前まで行き、そこで幾つかの質問をされる。
教習所を出たとき、怪しい車につけられているような様子はなかったかというようなことだ。
飯田は運転に夢中で気づかなかったと答えた。
ただ、気づかなかっただけかもしれない、とも付け加えておいた。これはアドリブだ。
それから、その日のコースを辿るというようなことはなく、すぐに車が襲われた現場へと向かう。
「えっと、確かこの道です。それで、その先を曲がるように言われて……」
飯田はどの質問にも丁寧に答えた。ただ、思いつめたような表情を装うことは忘れない。
人質の被害者とはいえ、犯行に加担してしまったという罪悪感を持った女性なのだから。
現場に着き、そこで本格的に話を訊かれる。だが、飯田はそれには答えなかった。
「すいません……私が……犯人の言いなりになったりしたから……」
後部座席の飯田の隣に座っていた婦警が慰めるように肩を撫でる。
「先生が襲われたときも、私、どうしていいかわからず、キーを回したりなんかして……」
それは警察署内でも話したことだった。飯田はしばらく手で顔を覆ったあと、
すいません、と言ってまた質問への返答を始めた。
「それで、犯人は二人、一人は女性で間違いないんだね?」
「はい。顔はわからないけど、男性と女性でした」
「さっきも訊いたけど、声で年齢はわからないかな?」
「どうだろ。女の人は若かったかもしれません。私のこと気遣ってくれてるみたいで……」
「自分と同じくらい?それとも?」
「うーん、わからないけど、私よりは年上かもしれません。そんな感じでした」
「男の方は?」
「結構いってると思います。低い声でしたから。凄みがあるっていうか、とにかく怖くて……」
飯田はそう言って思わず身震いをした。
どうやらその年の映画賞を総なめにするつもりらしい――。
- 254 :名無し娘。:2005/11/18(金) 19:32
- ここからちょいと小出しにします。色々書きたいことが増えてきたので。
感想とか書いてくれたらとても嬉しいです。ちょこっとでもいいので。
- 255 :名無し娘。:2005/11/18(金) 21:17
- 面白いよ。続きがすごい気になる
- 256 :名無し娘。:2005/11/19(土) 16:19
- 早く続きを!と急かしたいくらいおもしろいよ
じっくり待ってます
- 257 :名無し娘。:2005/11/21(月) 23:58
-
慌しい一日がやっと終わろうかという、午後九時。
飯田圭織は警察署の裏口から、車に乗せられて自宅へと戻った。
ただし、飯田一人というわけではなく、
その夜は念のため、事務所の女性が飯田に付き添うことになっていた。
「それにしても、大変だったわね」
「ええ……」
「疲れてるでしょ?」
「うーん、疲れてるというか、なんか警察の取り調べの方が疲れちゃった」
「それはそうかもね。ずっと拘束されてたもんね」
その女性とはそこまで親しくはなかったが、全く知らないというわけでもなかった。
ただ、こうして二人きりで話をするというのは、あっても一度か二度だった。
「明日も朝からみたいよ」
「うん。そう聞いた。現場検証とか、よくわかんないけど明日はちゃんとやるみたい」
「なんかドラマみたいよね」
その言葉に飯田も困ったような笑顔を浮かべる。
「私もそう思ってた。だって刑事さんとかがいて、スケッチしたりとか。ドラマみたいだなって」
「色々大変だと思うけど、困ったことがあったらなんでも相談に乗るから。ね?」
「ありがとうございます」
飯田はそう言って頭を軽く下げ、でもそう言いながら、
それもなにかに使えるかもしれないと、そんなことを考えていた。
飯田のドラマは、まだ始まったばかりだった――。
- 258 :名無し娘。:2005/11/21(月) 23:58
-
速報>一覧
 ̄ ̄  ̄ ̄
・21:04 教習車強奪現場付近で白色の不審車 目撃証言
・20:27 飯田さん今後の予定は未定 カウンセラーと相談
・20:22 飯田さんに被害なし 事務所「とにかくほっとした」
・20:14 所属事務所の記者会見 飯田圭織さんは姿見せず
・19:05 飯田圭織さん所属事務所 まもなく会見の模様
・19:00 武州信用金庫事件進展なし 犯人は依然逃走中
・18:36 人質女性は歌手の飯田圭織さん 教習中の悲劇
・18:31 人質女性は歌手の飯田圭織さん
・16:08 二人組が教習車を強奪 スタンガンと爆発物を所持か
・16:04 事件発生は午前十時半 五分前に教習車を強奪
・15:14 爆発物による脅迫 犯人が依然所持の可能性
・15:12 教習車の教官スタンガンで襲われる 実行犯は二人か
・15:11 被害額は三千万円 人質女性を利用した犯行
・13:44 教習車を強奪 女性を人質にして現金を要求か
・12:17 武州信用金庫に強盗 人質女性はすでに保護
・12:15 武州信用金庫○○支店に強盗 女性を人質か
武州信用金庫事件、教習車強奪事件関連のニュースは、以下の項目に移動しました。(21:15)
社会>事件事故>武州信用金庫事件――。
 ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
- 259 :名無し娘。:2005/11/21(月) 23:58
-
翌日の新聞の見出しは、経済紙も含めて全てが事件を一面に扱っていた。
ただし、各紙面によって前面に押し出す構成はそれぞれ異なっていた。
「武州信用金庫に強盗」「信用金庫三千万円強奪」というのが普通の一般的な新聞で、
「教習車を狙った特殊な犯行」「現金受け渡しに人質」と強調しているのが大衆受けの新聞、
「用意周到な犯行手口」「警察への挑戦か?」とあるのは一人で突っ走るタイプの新聞だ。
そして経済紙以外にはどれも「歌手の飯田圭織さんが人質」ということが書かれてあり、
それを小見出しにしている新聞も数紙あった。
だが、スポーツ新聞はそれらとは異なり、一面はほとんど「飯田圭織」一色だった。
「元モー娘。襲われる」「飯田圭織、人質」「元モーニング娘。飯田圭織、狙われた」などなど。
中には「カオリン三千万円ゲット」「元リーダー安全確認怠る」なんて困った小見出しもあったが、
とにかく、飯田圭織にとってそれは自身の卒業を遥かに超える扱いだった。
ただし、芸能人がターゲットになったということとともに、
やはり教習車が襲われたという部分にもかなりの重点が置かれていた。
大半の新聞に載っていた言葉を使えば、それははっきりとした劇場型犯罪だった。
そんな劇場型犯罪について、各紙はそれぞれ元警察関係者や専門家のコメントを載せる。
事前に車を襲い、被害者に現金受け取りの役目をさせたことをもって、
グリコ・森永事件の手口との類似を指摘する意見も幾つかあった。
教習車を狙うという盲点をついた犯行から、犯罪を楽しんでいる様子が窺えるとして、
比較的若い世代によるゲーム感覚の犯行を示唆する一方、
プロの犯罪組織による社会への挑戦的な事件と見る意見もあった。
また、その教習所で二十年ほど前に教習車強襲事件という、
ダジャレのような名前の事件があったことを探し出してきた新聞もあった。
ただし、その事件は教官への怨恨による襲撃で、目的は強盗ではなかったらしいが。
とにかく、そんな様々な憶測が各紙には載り、
それがさらに世間の興味を引き立てていた――。
- 260 :名無し娘。:2005/11/21(月) 23:58
-
保田はその日、本来なら大阪にいるはずだった。
隔週のレギュラーで、ただ普通に座ってたまに話を振られる程度の役回りだったが、
それがワイドショーの要素を含む番組であることから、急遽取りやめになったのだ。
交代要員は加藤紀子だったが、とにかく事務所にしては珍しくまともな対応だった。
久しぶりに注目されると思っていた保田は、その事務所からの電話に少し落胆した。
しかしそれは、自分たちの成し遂げたことが現実として回り始めているということでもあった。
そう思うと、なんだか自分たちが社会を動かしているような気がして、
保田は達成感以上に優越感を覚え始めていた。自分こそが影の、いや、真の主役なのだと。
「はあ、わかりました。あの、それで、カオリンは……無事、なんですよね?」
わかりきったことを尋ねるというのは少し変な気分だったが、
飯田が今どのような状況に置かれているのか、それは確かに気がかりではあった。
その“無事”という言葉は、もちろん保田たちにとっての“無事”という意味だった。
「あの、カオリンに電話しても……やっぱりやめた方がいいですか?」
事務所の回答は、特に問題はないが、ただ繋がるかどうかはわからないとのことだった。
保田は早速飯田に電話をかけた。が、案の定電話は通じなかった。
仕方なく留守番電話に「びっくりした」「無事ですか」という至極簡単なメッセージを残す。
日本国憲法に通信の秘密を侵してはならないという検閲禁止の条文があるので、
警察がその通話記録をチェックするということはない。
ただし、それが効力を持つのは、飯田が被害者である現状においてのみであり、
それは保田にとって、自分を守るための無意識のメッセージだったのかもしれない――。
- 261 :名無し娘。:2005/11/21(月) 23:59
-
「それじゃ、教官を襲ったのが女で、後ろにいたのが男でいいんですね?」
「はい、そうです。女の人がドアを開けて入ってきて、それで男の人は後ろで見守るっていうか」
飯田は事前に決めた通り、犯人が男女の二人組であったことを前日と同じように話した。
すぐ気絶させるとはいえ、中澤は教官と接近しての勝負なので、女性だとばれる可能性が高い。
しかし後ろにいる保田が声を出さなければ、それが男性か女性かは教官にはわからない。
そして唯一の証言者である飯田が、犯人は男女の二人組だったとはっきり証言すれば、
教習車強奪の実行犯はその架空の男女二人組以外には存在しなくなる。
「もう一度確認します。女が教官を襲ったんですね?それは間違いありませんか?」
「はい。女の人でした。それで、後ろにいたのが男の人で……」
その刑事の凄みのある声に、飯田はかなりビクビクしていた。
二日目となり警察の取り調べはかなり本格的なものになっていた。
取調室ではなく、また事務所の人間がその場に付き添うのも前日と同じだったが、
それでも今にも机をバンバンと叩いて「おまえがやったんだろ!」と言わんばかりだった。
第一発見者や目撃者を疑うというのは、警察の捜査の基本中の基本なのだから。
ただ、飯田はそんな警察の尋問に対して、ほとんど疑いを持つことはなかった。
例え警察がその質問に対し、その日はやけにこだわっていたとしても――。
- 262 :名無し娘。:2005/11/21(月) 23:59
-
中澤はテレビを見ていた。その日は午前中からラジオの収録がある予定だったが、
騒動の経過を見守るため、収録を夕方からにずらしてもらっていたのだ。
だから中澤はそのテレビを自宅で見ていた。
普通の強盗事件であれば、朝のワイドショーがそこまで取り上げることはない。
しかしそれは普通の事件ではなかった。全てのワイドショーがその事件を大きく扱っていた。
「私はですね、かなり緻密な犯行だと思います。特に教習車を襲ったという部分ですね」
事件には素人であるはずの門外漢のコメンテーターがそのようなことを口にする。
「それはどんなところが?」
「新聞の記事にもあるんですが、その現場は教習車の駐停車の練習場所になっていたと」
「つまり、犯人は最初からそこに教習車が停まるということを知っていた、と?」
「ただ、それは付近の住人もですね、教習所に通った人たちもみな知ってることですから」
「しかし、犯人はそれを知っていて、教習車が来るのを待っていたということになりますね」
「そうですね。そしてそこはその武州銀行ですか、信用金庫ですか、その近くですから」
そんなやり取りが続き、中澤はチャンネルを変えた。
飯田の話題がひとまず終わって、教習車の話題がメインになっていたというのが理由だ。
次に見た番組は、今まさに飯田圭織の話題をしているところだった。
「人質となった女性は、元モーニング娘。の飯田圭織さんだったことが判明……」
画面に飯田の静止画が映り、バックに『エーゲ海に抱かれて』が微かながら流れた。
「ええなあ。結構な宣伝になるんちゃうかこれ」
中澤はそんなことを呟いて、そしてそんな自分を不謹慎だとせせら笑った。
それから昨夜の事務所の会見の模様が流れる。
事務所の男性の隣になぜかつんくがいるのが中澤にはやけにおもしろく見えるらしい。
「あんた関係ないやん。それからその金髪似合ってへんで」
ただ、そんなツッコミは中澤だからというようなものではなかった。
お茶の間でテレビを見ている主婦などは、そういうツッコミこそが仕事なのだから――。
- 263 :名無し娘。:2005/11/21(月) 23:59
-
天王洲スタジオは静かだった。ダンススタジオにはベリーズ工房のメンバーたちがいたが、
事務所から騒がないように言われているためか、表立ってその話題をすることもなく、
その普段よりも大人しい面々を、稲葉は逆に不気味だと感じていた。
「よーし、ほな次は合わせてやるで。それじゃ自分の立ち位置、確認して」
パンパンと手を叩いてリズムを数え始める。
「いちに、さんし、いちに、さんし、次からやでーほいほい、いちに、さんし、ごーろくしちはち」
稲葉はハロープロジェクトのメンバーであり、シャッフルユニットに参加したりもするが、
今ではダンスの先生というのが一番の仕事になっていた。
プロフェッショナルだという自覚があるから、その仕事を退屈だとは思わなかったが、
一度でいいから主役になってみたい、という思いがないわけでもなかった。
「そこ、間隔が甘いで。それからリズム、そこはワンテンポ待つ。いちに、で待機」
そんな指導をしながら、稲葉はプリプリピンク結成の頃のことを思い出していた。
初めにでっかいことをしたい、と言い出したのが誰なのかはすでに覚えていなかった。
その誰が言い出しても不思議ではなく、むしろそれは全員の総意だったのかもしれない。
石川ヲタの暗証番号という話が出て、そして自作自演の銀行強盗計画。
全ては順調に進んだ。それも怖いくらい順調に。
きっと今回の事件も、自分たちは捕まらず最後まで逃げ失せられるのだと、
稲葉はそう考えていた。そして、そんな予感をはっきりと感じていた。
だが、彼女たちは別として、稲葉にとっては、それは決して完成ではなかった。
自分が主役になるためには、それは全て露呈しなくてはならないのだから。
稲葉は不敵な笑みを浮かべながら、またダンス指導へと戻った――。
- 264 :名無し娘。:2005/11/21(月) 23:59
-
前日とは打って変わって、そこは事件現場になっていた。
道路は通行止めとなり、道路の両端には中を隠すようにブルーのシート。
上空にはヘリコプターが一台、そして道路にはたくさんの警察官がいた。
普通の制服を着ている人に、スーツを着た刑事、それに鑑識と思しき人たち。
昨日飯田がそこを訪れたときには、そんな物々しい雰囲気は全くなかった。
まだそのときは現場の位置がわからなかったから当然ではあるのだが。
ただ、ずっとそうやって調べているのかと思うと、それは飯田にとってちょっとした恐怖だった。
飯田はその教習車が襲われた現場で、また色々なことを質問されていた。
犯人がどこに隠れていてどのようにして出てきたのか。
周りにはどのような車が停まっていたのか。
警察官が犯人役をして、それを再現したりもした。
そして、また次の現場へと向かう――。
- 265 :名無し娘。:2005/11/21(月) 23:59
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被害者がいなくなり、その場に残った刑事たちがある問題点を口にしていた。
それは勘違いで済まされる話ではあったが、しかしやはり疑問でもあった。
「やっぱり変ですね。教官は襲ったのが女だとは気づかなかったと言ってます」
若い刑事がそう言って、また続ける。
「むしろもう一人の方、後ろに立っていたのが女のような感じだったと」
「しかし、被害者の女性は、襲ったのが女で、後ろにいたのが男だと証言したわけだ」
コンビを組んでいるのか教育係なのか、ベテランと思しき刑事がそう口にした。
「ただの勘違いなんでしょうか?」
「わからん。ただ、とっさのことだからな。それに教官がそう感じたというだけで……」
「でしょうね。教官はすぐ気絶してるわけですし、どこまで正確かは疑問もあります」
「とにかく、男女の二人組で間違いはないだろう。その、実行犯の二人は、だが」
二人の刑事はパトランプをつけた乗用車に乗り込み、次の現場へと向かった――。
- 266 :名無し娘。:2005/11/22(火) 00:00
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前日は交通規制されていたその二車線の道路も、今は普通に通ることができていた。
ただし、武州信用金庫の前の歩道は相変わらず立入禁止になっていて、
逆側の歩道には警察官を超える以上の報道陣がわんさか詰め寄せていた。
そんな中、リポーターが髪型を整えてカメラの前に立った。
「こちらは武州信用金庫○○支店前です。えー、たくさんの報道陣が詰め掛けています」
テレビカメラは信用金庫よりむしろその報道陣を映しているような感じだった。
事件そのものよりも、事件が起きたということの方が事件なのかもしれない。
「さきほどまではブルーのシートに覆われていましたが、今ではシートは取り外され……」
ただし、シートがなくなったとはいえ、信用金庫の窓は全てシャッターで閉ざされていた。
カメラは入口を出入りする警察関係者の姿を捉えるが、その中までは映せない。
しばらくして、今度は別の局のリポーターが同じようにカメラに向かって説明する。
そこは事件現場ではあったが、ある意味事件は今もなおその現場で起こっていた――。
- 267 :名無し娘。:2005/11/22(火) 00:00
-
事件発生から二日が過ぎた。飯田はようやく取り調べから解放され、自宅へと戻った。
事務所が手配したカウンセラーと面談をしたりもして、しばらく休養することにはなったが、
疲れと“あること”を除けば、そこまで問題視するようなことはないということだった。
飯田はテレビを見ていた。騒ぎが収まる気配は一向に見られない。
それどころか、飯田の知らない事実までもがどんどん出てきていた。
例えば、警察が内部犯行の疑いを持っている、というようなことだ。
武州信用金庫は経営がかなり危なかったらしく、合併推進派と反対派で揉めていたらしい。
そして犯人が要求した三千万円という額が、内部犯の疑いを勝手に強めていた。
飯田にはよくわからなかったが、番号不揃いで未チェックのちょうど三千万円が、
その日の午前中にその信用金庫に入ることになっていたらしい。
警察は当初、犯人のメモにある内部犯を示唆する部分をダミーと見ていたが、
その事実を知ってからは内部の調査にも力を入れるようになったらしい。
それから、教習者強奪現場近くの駐車場の監視カメラの映像が公開されたりもした。
はっきりとは映っていないが、そこには飯田の教習車の他に数台の車が映っていた。
犯人が逃走したあと、飯田が自力で教習所に戻るときの映像だったが、遠景であり、
モノクロでかなり画質が悪いため、車種の特定がせいぜいというところだった。
しかも運のいいことに、そこに稲葉たちの車は映っていなかった。
稲葉たちの乗った車はその前の道を曲がっていたのだから。
全てがうまく進んでいるのだと、飯田はそう確信していた。
そしてその確信を強めるため、飯田はさらなる手に出ていた。
電話をかける。それは飯田にずっと付き添っていた事務所の女性の番号だった――。
- 268 :名無し娘。:2005/11/22(火) 00:00
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飯田が中澤に電話をし、中澤から他のメンバーにそれぞれ連絡が届く。
保田はその電話を受けて、いよいよか、と思った。
それとともに、飯田がどのような演技をするのか、それが楽しみでもあった。
それはついに飯田が記者会見に臨む、というものだった。事件から一週間後のこと。
保田はテレビの前で待機していた。
そこには矢口もいた。ただ、もちろん矢口はその計画のことは全く知らない。
事件が起きたときも、きゃははははと他人の不幸を笑っていたくらいだ。
まさか今自分の隣に犯人の仲間がいる、なんてことは完全に頭にはない。
飯田が会見場に姿を現し、パシパシッとフラッシュが焚かれる。
が、そのフラッシュに飯田は立ち止まり、手で目を隠した。
両脇に座っていた事務所の男性が慌てて報道陣を制止する。
「すいません。事前に言ったようにフラッシュは焚かないでください。フラッシュは焚かないで」
まあまあの演技ね、と保田は思い、また画面に目を戻す。
飯田が椅子に座り、頭を下げた。事務所の男性が一言挨拶をしたあと、
いよいよ飯田のドラマは佳境へと突入する――。
- 269 :名無し娘。:2005/11/22(火) 00:00
-
自宅でのんびり過ごしていた飯田のもとに、例の女性がやって来ていた。
「はいこれ。警察から預かってた服。昨日事務所に戻って来たから」
「あ、あのときの」
「なんか爆弾ではなかったみたいよ。花火の火薬を調合してあったみたいだけど」
「あ、そうだったんですか……そっか、爆弾じゃなかったんだ……」
「でも、爆弾だって言われたら普通そう思っちゃうよね。だから、仕方なかったと思うわ」
「うん……」
そう答えながら、飯田はさすが警察だなあと思わずにはいられなかった。
爆破装置を作ったとき、最初は外見だけそれっぽくする予定だった。
ただ、それでは真実味が薄いということで、彼女たちはそれを調合することにした。
市販の花火であってもその火薬を集めれば結構な威力になるとインターネットで知り、
それを試してみたのだ。もし窓口で失敗したときは、それに実際に火をつけるのだとも。
ただ、それでは飯田が危ないということで、結局その案はなくなったのだが、
それでも実際に爆発するという危機感があったからこそ、飯田は演技できたのかもしれない。
「そっか……花火だったんだ……」
飯田はそう呟いた。そのことは事件が起きる前から知っていた。
ただ、それを筒に入れて茶色い紙で包んだのに、それが検出されたという事実が、
飯田には少し重かった。これでプロの犯罪組織という線が消える、ということもある。
「うん。そうみたい。でも警察の話じゃ、それでも危険物に変わりはないって」
女性がそう言って、飯田は多少救われた気がした。犯人は依然として凶悪なままなのだと。
「私ね、最初から、なんか作り物っぽいなって、なんとなくそうは感じてて」
「だけど脅迫されてたんだから、気にすることはないわよ」
「でも、爆弾より、本当はスタンガンの方が怖くて。チカチカッて白い光が……だから私」
飯田はすでに次のステップに向けて進んでいた。
もうすぐ、一週間もすれば、自分が記者会見の場に臨むことになると踏んでいたのだ。
そして、そのスタンガンの話は、そのときのための伏線だった――。
- 270 :名無し娘。:2005/11/22(火) 00:00
-
週刊誌を二つ買って、でも中澤が驚いたのはその記事ではなかった。
どちらにも武州信用金庫事件の記事が詳しく載っていて、
飯田のことも当然たくさん書かれていた。だが、驚いたのはそれではない。
それは後ろの方の小さな記事だった。見出しには「謎のひったくり?」とある。
財布をひったくられたという小さな窃盗事件についての記事だったが、
そこには財布が手つかずのまま郵便ポストに入れられていたとあり、
しかもキャッシュカードを使って現金が引き出されかけた形跡があるとも書かれてあった。
そして、あまりの残高の少なさに哀れに思ったのか、という勝手な推論を載せ、
とにかく奇妙な事件である、と締めくくっていた。
そんな記事を見て、中澤は「どうなんやろなあ」と独り言を呟いていた。
すっかり忘れていたことが今さらのように浮かび上がってきたことに対する感想だったが、
ちぃとめんどいことになるかもしれへんな、という思いがなくもなかった。
記事はおもしろおかしく書かれてあるので、そこまでしっかり捜査しているわけではない、
というような様子が見て取れるのだが、そのタイミングがどうも気になったのだ。
そこから芋づる式に今回の事件まで、ということはまあありえないが、
二つの事件が同じ週刊誌に載ったという偶然が、偶然ではないような気がしたのだ。
「嫌な方に行かへんければええんやけどな」
中澤はそう呟いて、コーヒーを一口、口に含んだ――。
- 271 :名無し娘。:2005/11/22(火) 00:00
-
「色々あって……みなさんにお騒がせして……まず、それを謝りたいと思います」
飯田はかなり謙虚だった。被害者でありながら謝罪の言葉から入ったのだから。
それを見て保田は好感度上がりまくりね、なんてことを思ったが、
すぐにそれを取り消さなくてはならなかった。いや、そういう役なら他に適任がいるのだ。
「きゃはははは。これぜってー好感度上がりまくりだって。カオリンやるじゃん」
「こら、それは不謹慎だってば」
「あ、ごめーん。でもさあ、いい宣伝になるよねえ。こういうのってさあ」
しかし全く同じことを考えていたということで、保田はちょっと笑いを浮かべてもいた。
飯田は淡々と話を進めていた。どうしていいかわからなくて、気が気でなくて、
もうなにがなんだかわからなくて、気が動転していて、と、とにかくそんな言葉がよく出る。
本来なら受け付ける予定のなかった質問にも飯田は答えた。
「一番怖かったのは……多分、最初に襲われたときです」
そう言って飯田は下を向いた。
その瞬間、二三のカメラがフラッシュを焚き、飯田は見事なまでにそれに怯えていた。
「やめてください。お願いですからフラッシュはやめてください」
事務所の男性がそう制止して、その言葉で飯田はさらに体を震わせた。
脇にいた事務所の女性が飯田に駆け寄り、そしてマイクに口を近づける。
「飯田さんは爆弾よりスタンガンの方が怖かったんです。今も光に敏感になってるんです」
その言葉で飯田は情感が高まったのか、思わず涙をこぼしてしまっていた。
そして、その涙を撮ろうと次から次へとフラッシュが焚かれ、会見場は騒然となった。
「や、やめて……お願いだから……おねがいだから……」
その小さな声が聞こえないくらい、パシパシというフラッシュの音が続いた。
「なんか……かわいそうだね、カオリン……」
あまりのことに矢口がそう言って、でも保田はそれとは全く逆のことを考えていた。
おめでとう、また一つ新人賞にノミネートされたわね、と――。
- 272 :名無し娘。:2005/11/22(火) 00:01
- 今日はここまでです。楽しんでいただければ幸いです。
- 273 :名無し娘。:2005/11/22(火) 02:34
- じわじわ迫ってくる感じがいいね
- 274 :名無し娘。:2005/11/22(火) 11:55
- イイヨイイヨー
- 275 :名無し娘。:2005/11/22(火) 20:13
-
石川はるんるんしていた。とにかくるんるんしていた。
事件のニュースは毎日見るのに、そのどこにも自分たちを疑う気配はないのだから。
中澤や保田や稲葉や自分たちの名前がいきなり出てくる、なんてことはまずありえないが、
あれだけ話題になっている飯田が全く疑われていない、というのが石川には嬉しかった。
ソースの不確かな噂話を掲載するようなゴシップ誌でさえ、飯田を疑ってはいない。
そう思うと、石川はなんだか初めて社会に勝ったような気がして、自然とうきうきしてしまう。
例え下級の偵察要員であったとしても、そんなことはどうでもよかった。
石川は社会に挑み、そしてそれに勝ったのだ。歴史に残る完全犯罪を成し遂げたのだ。
だが、そんな気分はその日の午前中までだった。
「なんか警察の人が話が訊きたいって。なんか事件の日近くにいたんだって?」
マネージャーがそう言って、石川は呆然となった。一瞬頭の中が真っ白になる。
飯田より先に自分が疑われることになるとは思ってもいないことだった。
ただ、そういうことになるという想定が全くなかったわけではない。
あの日、四人で保田の部屋に戻ったときにそれは教えられていたのだから。
「あ……あの、もしかしてケーキ屋さんのこと?」
石川は中澤たちから伝授された想定問答集を思い出していた。
ただ、その要点はなるべくぽかんとした表情を心掛ける、ということだけだった。
なぜ自分が疑われているのかわからない、そんな雰囲気を醸し出せれば勝ちなのだから。
「あ、ケーキ屋にいたんだ」
マネージャーが納得したようにうなづいた。
「はい。あのー、もしかしてあの近くだったんですか、飯田さんの事件って?」
「ああ、なんかそうらしくて、それで、ちょっと警察の人が来てるみたいだから」
マネージャーは少し困惑している様子だったが、それは疑いというものではなかった。
飯田が巻き込まれて迷惑してるのに、さらに石川までか、というような思いでいたのだ。
「いいですよ。でも、なんか覚えてることあるかな?」
石川はそう返事をして、心の中でカメラを意識した。すでにカチンコは鳴っていた――。
- 276 :名無し娘。:2005/11/22(火) 20:14
-
記者会見のVTRからまたスタジオへと画面が戻り、だが部屋に言葉はなかった。
矢口は自分が飯田の不幸を笑ったことを後悔していた。
そして上を見て下を見て、また上を見てから口を開いた。
「カオリン……かわいそうだったね。あんなにフラッシュ浴びて、やめてって言ってるのに」
「そりゃ怖いよね。だって目の前で先生がやられたんだから。そりゃ怖いよ」
飯田の演技には負けるなあと思いつつ、保田も演技を続けていた。
「ひどいよね。寄ってたかってあんなに。あれじゃいじめだよ」
「でも、よく頑張ったよね、カオリン。私だったらあの場に出るなんてできないもん」
「うん。よく頑張ったと思う。なんか、カオリンの良さを改めて感じたかもしんない」
矢口がそう言って、またしばらく会話が止まる。
テレビでは相変わらず関係ない人間が好き勝手なことを喋っていた。
もちろん、しばらくは飯田を擁護してマスコミを批判する意見が続いてはいたが。
「ねえ、マンガ、読んでもいいかな」
空気を変えようと矢口がそう言って、保田はなんの気なしにそれに答えた。
それがどういう結果をもたらすことになるのか、全く予想もせずに。
「うんいいよ。いつもんとこにあるから、好きなの持って来て」
勝手知ったる他人の家、という感じで、矢口は立ち上がって隣の部屋に向かった。
そして、しばらくして一冊のマンガを手に戻って来た。だが、その顔には笑顔はなかった。
その様子に保田は首をかしげた。
「どうかした?部屋ちらかってたかな?」
「あ、いや、そうじゃなくて。ただカオリンのこと思い出してただけだから。うん」
矢口が帰り、保田は部屋の掃除を始めた。
リビングから始めて、隣の部屋では床に乱雑に散らばっていたマンガを棚に戻す。
だが、その部屋の隅に放置してあった汚い袋には全く注意を払わなかった。
その袋には番号不揃いの現金三千万円がそのまま入っていた――。
- 277 :名無し娘。:2005/11/22(火) 20:14
-
ロビーの椅子に座っていたのが女性の刑事さんで、石川はほっとしていた。
それも見た目では刑事だとわからないスーツ姿だ。
「石川梨華さんですね。すいませんお時間取らせてしまって」
「あ、いえ」
「えーと、突然でびっくりしてると思うんだけど」
そう言って女刑事が話を切り出した。
「事件が起きたとき、ベル・シャトウっていうケーキ屋さんにいたんだよね?」
女刑事は三十過ぎくらいで、友達に話し掛けるような口調でそう言った。
疑ってはいないんだけど、というのがその口調からも伝わってくる。
だが、それをそのまま受け取ることはできない。石川はその女刑事を疑っていた。
「はい。あの、ショコラ、なんだっけかな、ショコラなんとかっていうケーキが美味しいんです」
「あ、そうなんだ。でもあれだね、偶然とはいえ、事件の瞬間にそこにいたわけだよね?」
「みたいですね。私知らなかったんだけど、さっきマネージャーさんから聞いてびっくりして」
女刑事はうんうんと相槌を打ちながらそれを聞く。
手には手帳を持っているが、なにかメモを取るという様子は今のところなかった。
ただ、駆け引きが始まっているのは確かなのだと、石川はそう捉えていた。
「別に疑ってるわけじゃないの。それはまあわかってると思うけど」
そう女刑事が言って、石川はやはり疑っているんだという確信を強めた。
「ただね、あの時間近くにいたわけだから。なにか目撃したりとかしてないかなって」
「うーん、目撃ですか?」
「そう。教習車が信用金庫の前に停まったと思うんだけど、覚えてないかな?」
「うーん、どうだろ。そんなこと考えたことなかったし。ごめんなさい、よく覚えてません」
「そうよねえ。もう十日も前のことだしね」
「そっか。でもあそこの近くだったんだ。なんかそんな感じ全然しなかったんだけどな」
「お店の斜め前に信用金庫があったんだけど、それも知らなかったかな?」
「そう言えばそんな感じだったかな?でもどうだろ。ケーキは美味しかったんだけど」
石川はそう言って、全くわからないという目をした。
いや、頭を空っぽにしたといった方がいいのかもしれない。
石川はなにかを演じる必要はなかった。ただ普段通りアホでいればいいのだ――。
- 278 :名無し娘。:2005/11/22(火) 20:14
-
石川が警察から話を訊かれたという話は、メンバーを少し不安にさせていた。
なにかボロを喋ったんじゃないかと、気が気ではなかったのだ。
だが、そんな不安をよそに、当の石川はけろっとしていた。
るんるんした気分ではなくなっていたが、それでも乗り切ったという自信がそこにはあった。
「あんた、本当に大丈夫だったの?」
保田がそう尋ねる。その日はハロモニ。の収録日であり、
そこは天王洲スタジオの彼女たちのいつもの楽屋だった。
「うん。言われてた通りにいつも通りにしたし。最後の方はなんか呆れてたし」
「あっちゃんは大変だったみたいよ。かなり詳しく事情を訊かれたって」
「あ、稲葉さんも?」
「あんたがあっちゃんと落ち合う約束だったって言ったからでしょ。まあ予定通りだったけど」
「そっか。私だけじゃなかったんだ」
「でもまあうまく説明したみたいだし、それに警察は別の方に向いてるみたいだから」
保田が言った別の方というのは、内部犯行ということと、襲われた教官のことだった。
新聞は不確かな情報は書けないため、そのような記事が載ることはなかったが、
週刊誌などはその方面に関して大いに書き立てていた。
内部犯行説では、全社員の普段の素行が調べられたということが書かれてあった。
そして、実行犯に女性がいることから、社員の浮気すら調査対象になったのだとも。
つまり、愛人を巻き込んでの犯行、という線を見ているらしい。
- 279 :名無し娘。:2005/11/22(火) 20:14
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だが、事件も十日を過ぎ、それ以外にもう一つの線が浮上してきてもいた。
それは襲われた教官に借金問題や女性問題があったということであり、
二十年前のダジャレのような教習車強襲事件に着想を得ていた。
つまり、強盗というのが第一の目的であるが、その教習車、その教官を狙ったところに、
また別の目的、怨恨のようなものがあったのではないか、とする線である。
その教習所と社員を含む信用金庫との間に、幾つかの接点が見つかったともあった。
雑誌ではそこまでしか書かれていなかったが、そこにはその教官が犯人の一味である、
つまり自作自演の可能性もありうる、というようなニュアンスが含まれてもいた。
「じゃあその車の先生が疑われてるんだ」
「そうよ。でも、そうなるとカオリンが疑われたって不思議じゃなくなるわね」
「あ、そっか。先生が疑われるんだもんね。それじゃ飯田さんが疑われるかもしれないんだ」
「でも大丈夫よ。カオリンはあんだけうまくやったんだから。誰も疑ってないわ」
「だよね。大丈夫だよね」
その言葉を聞いて保田は、あんたが一番心配なのよ、と言いたくてたまらなかった。
保田は犯行がばれるのは飯田からではなく、石川からだと考えていたのだ。
ただし、そう考えているのは保田だけではない。それは石川を除く全員の総意だった――。
- 280 :名無し娘。:2005/11/22(火) 20:14
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教習車が襲われた現場は、今ではすっかり普通の道に戻っていた。
「教官の自作自演だったとして、でも愛人はアリバイがあったんですよね?」
若い刑事がそう疑問調で言った。隣には例のベテラン風情がいる。
「金が欲しい女はいくらでもいる。一人や二人外れてもその次はわからんさ」
「でも、私はその線はないと思うんですよね。だってわざわざ騒ぎにしたりしますか?」
それはわざわざ飯田圭織という芸能人が教習のときに実行するか、という意味だった。
捜査本部は話題をそらすために芸能人をあえて事件に巻き込んだのだと考えていた。
つまり、飯田圭織は偶然ではなく、故意に狙われたのだと。
だが、騒ぎが大きくなればなるほど、不利になるのは教官ということになる。
それは週刊誌が書き立てていることを読めばすぐに理解できることだった。
「確かにそうかもしれん。でも、そうでないかもしれん。誰にも未来は読めんのだ」
それはその刑事の口癖だった。未来から、つまり結果から物事を考えるのではないのだと。
出発地点は犯行を計画した時点であり、そこにこそ後に結果となるべき原因があるのだ。
「じゃあ、やっぱり教官が怪しいと考えてるんですか?」
「計画通りに行くような犯罪はまれだ。ほとんどは予想とは違う方へ行くもんだ」
スタンガンで気絶さえすれば自分は疑われない、教官がそう考えていても不思議ではない。
そしてそうであれば、芸能人の教習生は話題をそらすには恰好の標的となる。
と、そこでそのベテランの刑事がなにか思い出したかのような表情を浮かべた。
「予想とは違う方、か。そう言えば被害者の二人、証言が食い違ってたな」
「襲ったのが男か女かってやつですよね?」
「うーん、でもよくわからんな。教官が気絶してたってのはまず間違いないからな」
そう聞いて、でもその言葉に若い刑事は首をかしげるしかなかった――。
- 281 :名無し娘。:2005/11/22(火) 20:14
-
「稲葉さんって知ってますか?ハロプロのメンバーで、ダンスの先生とかしてて」
「稲葉、名前はなにさんかな?」
「稲葉貴子さん。“たか子”って書いて“あつ子”って読むんだけど」
「稲葉、貴子さんね」
「稲葉さんって、とても面白いんですよ。関西人で、ツッコミとかがプロ級で」
女刑事は手帳に名前を走り書きした。もちろんツッコミのことまでは書かない。
「それで私、稲葉さんに色々相談とかしてて。すっごい親身になってくれるから」
「相談ってどんなことかな?」
「ダンスとかはないんだけど、ラジオで面白い話がしたいとか、バラエティの心構えとか」
「ああ、なるほどね。ダンスの先生だけどお笑いの先生でもあるんだ」
「あ、そうそう!そうなんです。稲葉さんって、もしかしてお笑いの師匠かもしれない」
石川は目を輝かせながら、稲葉の面白さについてその女刑事に延々と話し出した。
そこには強盗の仲間だというような緊張感は全くなかった。
自分が疑われていることもわからないというほど、それはポジティブな脳天気に見えた。
「ありがとう。一応、稲葉さんにも話を聞くことになるけど、もちろん一応だからね」
「はい。でもどうなんだろ。稲葉さんって、最近物忘れとかひどいんですよ」
ドラマの演技ではない、素の演技であれば、石川は誰にも負けなかった。
もう何年も、石川はアイドル石川梨華を演じ続けていたのだから――。
- 282 :名無し娘。:2005/11/22(火) 20:15
-
「十日前ですか?なんやろ……どうやったかな……」
「石川梨華さんと会う約束だったとか」
「あー、その日か。えーと、すいません、ちょっと手帳持ってきていいですか?」
「あ、別にそこまで詳しく聞くつもりはないんで。単なる確認なんで」
「いやいや、こういうのはちゃんとせなあきまへんで。うち疑われたないですもん」
稲葉は笑顔でそう言った。それは疑いを持つ女刑事に対する挑発でもあった。
「えっと。あったあった。せや、石川との約束その日やったわ。なんや事件の日やったんか」
「そのとき、偶然だけど石川さんが現場付近のケーキ屋にいたんです」
「あー!あのケーキ屋か!あれ、うちが教えたんですよ。あの近くやったんですか?」
「ええ、まあ。それで、一応ね、目撃証言を探してるんで」
「でもあの日は確か、うち寝坊して、結局そこには行かへんかったし」
「その日は石川さんとは?」
「会いましたよ。車であん子拾って、そんでスタジオに一緒に」
石川と稲葉がその日一緒にスタジオに来たことはすでに調べが済んでいた。
そのケーキ屋が、稲葉と石川の自宅、そして天王洲スタジオの位置を考えたとき、
特に不自然ではない場所にある、ということもすでにわかっていた。
そこまで疑っているわけではなくても、一つずつ疑惑を消していくのが刑事の仕事だった。
「わかりました。それじゃ現場には行ってないんですね?」
「すんません。うちがおったら犯人の顔とかしっかり目に焼き付けたったんに」
それは飯田の敵討ちと言わんばかりだった。
ただし、そこには犯人が目出し帽かぶっとるのに顔なんかわかるかいな、という、
そんな稲葉的お笑いセンスも含まれていた。稲葉はそれを楽しんでいた――。
- 283 :名無し娘。:2005/11/22(火) 20:15
-
事件発生から十三日目。事件の報道は絶えないもののすっかり大人しくなり、
飯田の話題が出ることもあまりなくなっていた、そんな日。
警察の捜査本部は混乱していた。捜査を根本から覆すような新事実が発覚したのだ。
しかも、それはこれまでノーマークだった飯田圭織に関しての事実だった。
「それじゃ、飯田圭織は偶然事件に巻き込まれたんじゃなく、狙われたんだと?」
「その線が本星だとしたら、そうなるわな。計画当初から彼女“が”被害者だった」
それは飯田を疑うというようなものではなかった。それとは全く逆だった。
捜査員は幾つかの班に分かれてそれぞれの線を突き詰めていた。
内部犯行の線、教官の線、またプロの犯罪組織という線もまだ消えてはいない。
そして、それ以外の遊離班の中から、新たに捜査員が集められていた。
その全員にコピーが配られる。
「これが飯田圭織の所属事務所に送られていた不審な手紙だ」
それは飯田圭織に対するストーカー的な手紙だった。脅迫状とも受け取れる。
「日付は一番古いのが三ヶ月前。それから大体週に一通のペースで送られていた」
「全部で十通ですね」
「まだ事件との関係はわからんが、ストーカーによる犯行という線も考えられる」
「ストーカーですか……」
飯田圭織が狙われたという見方は、少数派ながら事件当初からあったものだった。
その論拠となっていたのは、現金要求のメモにある「女」という文字。
つまり、犯行グループは最初から女性の教習生を人質にする計画だったことになる。
もちろん、それだけでは飯田圭織という芸能人が狙われたとは断言できない。
しかし、犯人が教習車の駐停車場所など、緻密な計画を練っていることを考えると、
飯田圭織が教習生だということまでわかっていた可能生は十分にある。
それがストーカーであれ別のものであれ、とにかく、飯田は狙われていたのだ――。
- 284 :名無し娘。:2005/11/22(火) 20:15
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「ねえねえ、圭ちゃんさあ、最近カオリンと仲良かったりする?どう?」
矢口がそう尋ねて、保田はその意味がわからずにいた。
「どうって訊かれても。特に変わらないよ。事件から一度も会ってないし」
「そうじゃなくて、その前とか。だってユニットで結構遊んだりしてたじゃん」
「あ、プリプリピンクか。うん、四人で遊んだりしたよ。みんな似たような境遇だし」
「でもいいなあ。おいらアレがあったから、仕事だってみんなと分けられたし」
“アレ”というのは矢口の脱退騒動のことだ。
「真里いっぱいテレビ出たじゃない。正直羨ましかったんだからね。みんな」
「まあそうなんだけどさ。でもおいらって一人なんだよね。最近ずっと」
矢口がなにが言いたいのか保田にはまだわからない。
「でも四人で集まったりとかしてたんだよね?」
「そうね。ここで一緒にお酒飲んだりとか。カオリンはほとんど飲めないんだけどね」
「へえ。やっぱり四人で集まったりしてたんだ。ふーん……」
矢口は頭の中を整理しているような、そんな素振りを見せた。
だが、結局保田はそんな矢口を変だなと思うことはなかった――。
- 285 :名無し娘。:2005/11/22(火) 20:15
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事件から三週間。飯田も仕事に復帰し、またいつもの生活が戻ってきていた。
もちろん飯田の仕事といっても、ハローの身内の仕事くらいで、数はそんなに多くない。
事務所の中には、事件のマイナスイメージを心配する声もあり、
そんな身内の仕事でさえ、もうしばらく様子を見た方がいいという意見もあった。
警察が飯田のストーカーによる犯行という疑いを持っているというのも理由の一つだ。
だが、そんな予想はすぐに覆されていた。
まず事務所に殺到したのが、各種メディアによるインタビューだった。
週刊誌はもちろん、新聞や日常の雑誌までもが、我先にと飛びついてきたのだ。
事務所が事件のことに触れないことを条件に出し、幾つかは手を引いたものの、
それでも結局、飯田は事件のことについて触れないわけにはいかなかった。
元々の丁寧さもあり、飯田のインタビューはメディア関係者には好評だった。
儚(はかな)くも健気(けなげ)な女性というイメージが自然と浮かび上がる。
そしてそんなイメージからか、事務所には数本のCMの話まで舞い込んできていた。
だが、事務所にはこれを大々的に利用するという一派と、慎重な一派があった。
そして結局、事件が解決するまでは大々的な露出は控えるということになったが、
それでも事務所の飯田への扱いは以前とは全く別のものになっていた――。
- 286 :名無し娘。:2005/11/22(火) 20:15
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部屋には久しぶりに五人が揃っていた。
中澤裕子、稲葉貴子、保田圭、飯田圭織、そしてもちろん石川梨華もいた。
みんな社会に勝ったことの喜びを顔に表していた。
外では無理でも、その保田の部屋だけはそんな顔が許されていたのだ。
ただ、石川にはなんだか、その“それぞれ”がちょっと奇妙に思えていた。
「しかしみんなようやったわ。ほんま凄いで。これならもうなんでもありやな」
そう言った中澤の言葉に、石川はやはり不安を感じずにはいられない。
この人は調子に乗ったら危険なのだと、これまでのことを改めて思い返す。
「うちもな、刑事が来たときはびびったで。ここまで来たんかーってな」
稲葉もちょっと危険だった。陽気さは以前と変わらなかったが、
それでもなんだかなにか一人で企んでいそうな、そんな気がしたのだ。
「あ、それでお金のことなんだけどさ、あれ、結局どうしたらいい?」
保田がそう言って、石川はなんのことだろうと一瞬迷ったが、
保田が隣の部屋から例の袋を持ってきて、ようやくその言葉の重要性を理解した。
「うちら別に金には困ってへんからなあ。それに、それ安全かどうかほんまはわからんし」
「安全じゃないの?」
石川がそう口を挟んだ。番号不揃い、未チェックだから安全だとばかり思っていたのだ。
「警察がそう言ってるだけかもしれへんやろ。チェック済みやったら使ったらお縄や」
「また郵便ポストに入れちゃう?それともゆうパックとか?」
「そんなんしたらほんま捕まるで。まあなんや、しばらく置いといてまた考えよか」
結局、事件が解決しなかったのは、犯人の目的が金ではなかったこともあるのだろう。
事件から一ヶ月が経とうとしている頃に、ようやくそれを思い出したくらいなのだから。
ただし、稲葉だけはその金にかなり興味を持っている様子だったが。
- 287 :名無し娘。:2005/11/22(火) 20:16
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「でも、一番の活躍はやっぱりカオリンよね。だって凄かったもん」
保田がそう言って、飯田が照れ笑いを浮かべた。
ただ、なんだか苦しそうな笑顔だなと、石川はそんなふうに感じていた。
よっぽど精神的に疲れたんだろうな、なんてことを思う。
が、次の瞬間、その自分の目が捉えたものを見て、やっぱりおかしいと石川は思った。
飯田の首筋に、大きな赤いあざがあったのだ。
それは通常の飯田であれば考えられないようなことだった。
保田たちの話をよそに、石川はまじまじとそれを眺めた。
その視線に気づいたのか、飯田がさりげなく襟で首筋を隠す。それはやはり異常だった。
飯田に彼氏がいてそういうことをしている、というのは別にどうでもよかった。
ただ、飯田がそんな不注意なことをした、というのが石川には信じられなかったのだ。
なにかがまだ続いているのかもしれない。石川はそう思った。
そして、それはきっと、自分を巻き込むことになるのだと。
石川はスリルとショックとサスペンスから離れられないことをすでに承知していたが、
絶対にショックだけは嫌だと、そんなことを思ってもいた。
ショックを受けるくらいなら、その前に自分からそのショックを消してやるのだとも。
- 288 :名無し娘。:2005/11/22(火) 20:16
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中澤がグラスにビールを注ぎながら、そろそろええかな、という合図をする。
保田と稲葉がそれに目で応え、飯田もうんとうなづく。
「ほな、そろそろ次の計画やな」
「次の計画?」
石川がそう訊き返し、でも、次に進むことを怖れる気持ちはもはやなかった。
いや、むしろ早く先に進みたいと、そんな気持ちがその声には含まれていた。
中澤がビールを一口飲み、そしてその言葉を口にする。
「次に狙うんは……つんくの資産、三十億円や!」
石川の背筋にゾゾゾッと奇妙な感覚が走る。
だが、それは石川にとって、はっきりとした快感であり、快楽だった――。
┌――┐
││3 │
│└→│
└――┘
- 289 :名無し娘。:2005/11/24(木) 11:17
- う〜んハラハラするぜぃ
- 290 :名無し娘。:2005/11/25(金) 00:01
- マジおもしろいなぁ
- 291 :名無し娘。:2005/11/25(金) 01:02
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透明のレインコートが赤く染まり、彼女はその自分の手を見つめた。
日常生活ではほとんど持つことのない包丁、その金属の光沢もまた赤く輝いていた。
何度も突き刺したせいか、先端が少し欠けていて、その欠けた部分に肉片がぶらさがっている。
いつまでしがみついてるつもりなのか、彼女にはそれが少し腹立たしかった。
だが、そんなことは些細なことだった。彼女は笑顔を浮かべ、ふふふふっと静かに笑った――。
- 292 :名無し娘。:2005/11/25(金) 01:02
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「つんくさんってそんなに持ってんの?」
三十億円という額を聞いて、石川がそう訊き返した。
「はいこれ。この前の経済紙のインタビュー記事と、それとネットでの情報」
保田が人数分コピーした用紙をそれぞれに手渡す。
「がっちり溜め込んでるらしいで。あん人貧乏性やろ。小室みたいな贅沢でけへんねん」
「でも意外に少ないんやな。もっと稼いどるか思ったんやけど、しょせんその程度かいな」
稲葉がそう言って、中澤が微妙に反論する。
「アホなこと言うなや。三十億やで?才能枯渇してそんだけ残っとれば十分やろ」
「ほとんどコーラス印税だったりしてね」
飯田がそう口を挟んで、場の雰囲気が和んだ。そんなところはいつもの飯田のように見える。
「一枚千円のCDを仮に五百万枚売ったとして、売上高は五十億円でしょ、それから……」
保田がそう言いながら頭の中で計算を始める。
商業高校中退とはいえ、簿記の資格なんかも持っていて、計算はそこまで苦手ではない。
「原価や流通は考えなくてええやろ。作詞作曲にプロデュースで取り分何パーかやな」
デビュー前にOL経験のある中澤がその計算に加わる。
「十パーセントでも五億円か。じゃあもっと貰ってるってことかな?」
「アルバムとかもあるさかいな。それに、シャ乱Q時代のミリオンなんかもあるで」
「カラオケとかそういうのも入るんじゃない?着メロとかは少ないだろうけど」
「それで三十億かいな。税金引いてそんならまあ妥当なとこかもしれへんな」
「でも問題はこれよね、これ」
そう言って保田が用紙のある部分を指差した。
「ほとんど有価証券らしいわよ。不動産と貯蓄は少しで、あとは全部ガチガチの投資信託」
「あ、ねえねえ、ユーカショーケンって?トーシシイタケ?」
「簡単に言えば株ってことね。あたしも投資信託でインド株やってるんだけど」
「あー、インド株かいな。なんや最近そんな話ばっかりやな。ほんま儲かるんか?」
「なんや、あんたら株なんかやってんのかいな。よっぽどアレなんやな」
稲葉がそう言って保田が苦笑いを浮かべる。
ただ、石川だけはそんな大人の世界を凄いなあと思うしかなかった――。
- 293 :名無し娘。:2005/11/25(金) 01:02
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保田はコンビニで買った高級カップラーメンをすすりながら、テレビを見ていた。
あの事件以来、家にいるときは知らず知らずニュース番組をつけるようになっていた。
興味のない外交や政治問題のニュースが流れ、そして殺人事件の速報が入る。
「殺害されたのは、自動車学校勤務、○○○○さん、五十歳で……」
そんなニュースを聞きながら、ぶっそうな世の中よねえ、なんてことを思う。
それとは別に、ちょっとチャーシューが小さいかしら、なんてことも思う。
保田にとってはそっちの方が重要だったのかもしれない。
だが、チャーシューの小ささへの不満は、すぐに重要なものではなくなっていた。
「○○さんは二ヶ月前の武州信用金庫事件において、教習中に襲われた教官でもあり……」
そのアナウンサーの言葉に保田はピタッと箸を止めていた。麺が箸から滑り落ちる。
めっきりニュース番組で聞かなくなったその言葉が、久しぶりに保田の耳に届いていた。
「警察では、武州信用金庫事件との関連も踏まえ、捜査に乗り出す方針です」
ニュースが次の話題へと移り、しかし保田はしばらくその意味がわからずにいた。
カップラーメンからは刻一刻と湯気が立ち上り、しかし時間とともに白く薄らいでいく。
「どういうこと?なんで?」
そんな言葉しか出てこない。それは全く予期せぬフラグが立った瞬間だった――。
- 294 :名無し娘。:2005/11/25(金) 01:02
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「もう……やめてくれませんか……」
女は怯えた顔でそう言った。白いシーツの隙間から淡雪のような肌が淋しそうに覗く。
「なにをやめるんだ?」
男の目には狂気が浮かんでいた。いや、その収“獲”に対する狂喜なのか。
とにかく男は完全に優位に立っていた。そして女を支配していた。
「お金なら……払います……だからもう……」
「金はもちろんだが、若い愛人がいるって方が人生は楽しいからな」
「私……私もう嫌なんですあなたのことなんて全く……」
“愛していない”と言おうとして、だがその口は男の唇によってふさがれていた。
「ふむむ……ん……」
女は辛そうにそれを振り払った。地獄のような苦しみがその目には浮かんでいた。
「ふん、愚息がまた元気になっちまった。もう一番楽しませてもらおうか?なあ?」
男が女の上に覆いかぶさり、女の目から再び涙がこぼれた。
だが、それはまだ枯れてはいない。枯れたらどうなるか、それは女にもわからない――。
- 295 :名無し娘。:2005/11/25(金) 01:02
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事件のニュースを聞かなくなって久しいその日、稲葉は自宅で作業をしていた。
パソコンの画面を見ながら、その文面を何度も何度も推敲する。
「前略より拝啓の方がええわな。時候の挨拶なんかもまじえたら余計に不気味や」
そんなことを呟きながら、慣れた手つきでタイプを打つ。
「日に日に寒さが身に染み、燃える様に色付いた木々が目に眩しい今日この頃っと」
ちらっと机の上にある『手紙の書き方入門』なんてのを見たりもするが、
そこに彼女が伝えたいような例文は載っていない。載っているはずもない。
「あかんなあ。もっとこう、そこしか見えてないっていうような生真面目な感じ出さんと」
稲葉は肩を左から右へと回し、そして両手を大きく上に上げて伸びをした。
そして立ち上がると、テレビの横にあるステンレス製のラックから書類ファイルを取り出した。
「最初どんなんやったかいな。前略やなし拝啓やなし……一筆啓上やったか?」
そのファイルをパラパラとめくる。そこには十数通のファンレターのコピーが挟まっていた。
宛先はどれも同じで、“アップフロントエージェンシー 飯田圭織様”となっていた――。
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